帰宅し、また出かける

 ネット記事で、バリバリ仕事で頑張ってきたある仕事人間が、プレッシャーやその他で鬱になり、仕事ができないような状態になった体験からの「気付き」について語っているものがあった。

 ひどい時には、食事と排泄と睡眠以外何もできなくなったという。そんな自分を惨めに思った時、思ったのだそうだ。こういう、世間に何の役にも立っていない自分を惨めだと思うということは、これまで自分も「自分より能力も低く実績を出していない人間を下に見てきた」ということなのだな、と思い至ったそうだ。

 自分がそんな状況になってみて、初めて「できない側のしんどさ」を知ったのだという。自分がいかに能力主義の視点に立っていたか、いかに他人に比べて「すごい」と思われることにこだわっていたか。「すごい」と思われるのでなく自分が「いい」と思えることでいいと割り切った時、世界が違って見えてきたのだという。



 人には、大いなる『気付き』の瞬間がある。

 経験する現象も、受け取るメッセージも人それぞれだが、だいたいにおいて共通するのは「生きる上で本当に大切なこと」だったり「この上ない人としての最高の(あるいは理想の)在り方」だったりする。それを転換点にスピリチュアルな活動を始める者もいれば、そこまでいかなくても与えられた元々の場所(職場や家庭)で、心入れ替わったように振舞う方もいるだろう。

 もうちょっと深く言えば「生命としての原点」に立ち戻る、ということだろうか。その深さが尋常ではない場合、「悟り」と呼ばれることがある。



 筆者も、それを経験した者である。そう言うと偉そうに聞こえるが、私はちゃんと「これは自身の意図や努力で勝ち取った種類のものではなく、天からの授かりもの」であると捉えているので、傲慢にはなり得ない。ってか、その悟りってやつは諸刃の剣で、決してこの世で言う「幸せ」ばかりを呼び込むものではないので(その境地で地で生きると色々弊害もあるので)、あっても大変と思うこともある。

 その私が、つくづく実感することがある。



●そこがゴールどころか、到達した後はまたこちら(普通の生活)に戻るところまでいかないと、支障をきたす。



 確かに、人は弱くその弱さを認め合わないといけない。すべての命に等しく尊い価値があるというのはその通りで、またすべての命が心から望むとおりに生き、またその意志や行動が(公共の利益に反するものでない限り)尊重されるべきである、というのも正しい。

 ひとたび神秘体験のようなものや、何か大きなパラダイムシフトを内側で経験した者は、「これだ!」とつかんだその境地をこの上なく大事にしようとする。何なら、ずっとそこにとどまっていようと考える。

 しかし、戻ってこないといけないのだ。その宝は内に秘め、必要な時うやうやしく取り出す程度でないと、その人生はあらぬ方向へ行く。



 よい例として社会主義・共産主義思想というものがある。

 あれは、考え方だけをきけば、それなりによいものである。考え方として一理はあり、決して大きく見当外れな思想ではない。

 ただ、現実的ではなかった。理想ではあるが、この世界の性質に相容れないのだ。それをあますところなく実現しようとすると。守ろうとしてもがけばもがくほど、理想通りにはならない人の心というものが、悪気なくどんどんずれた実践を展開していく。昔の学生運動などがその極端な例で、「俺たちはいつからこうなっちまったんだろう」という、人としての在り方の理想どころか地獄の集団と化してしまった。詳しく知りたい方は、浅間山荘事件のことなど調べられるといい。



 すごい境地を知った。本当に大事なことをつかんだ——

 そこはゴールではない。ゴールどころか、スタート地点に立ったようなものだ。

 何か神秘体験やら覚醒体験やらして、それで即指導者ズラしていいわけではない。その経験や境地自体が、指導者のライセンスではない。むしろ、その体験のあと実生活に戻って、どれだけその生活の現場でうまく折り合いをつけて生きれるか。

 あなたがもし新興宗教の教祖の立場なら「これが正しんです!」とごり押しで強要できるだろう。でもそうでない人がほとんどなので、自分の境地との差分に関して周囲の人と折り合いをつける必要が出てくる。それは屈したとか負けたとかいう話ではなく、生きるための知恵である。



 冒頭に挙げた、弱さを知ったバリバリの企業戦士も、弱さを知って終わりでは意味がないのである。そこに気付けたら、また普通に戻ってくるのである。

 だって、その純粋な世界に居座るなら、この社会の実情に合わないため噛み合わず、浮くことになるからである。この世で生きるには、いくら平等とかすべてが尊いとか言っても、出来不出来はあり納品や締め切りに間に合わないといけず、実績も出さねばならない。そういう世界に生きていることを再び認めるに至らないなら、その人物の悟りや達した境地は言っちゃ悪いが大した働きはしない。



●理想が分かっていて、それでも現実を生きる、というところに最終行き着きます。



 この世界は一気には変化しない。(そういうこともあるが、それを待っていたら一生が終わるかも)あなたのつかんだ何かをもって、ムリなく少しづつ浸透させて、味方を増やして。間違っても、そのたどり着いた境地バリバリで、地から足を離したような突飛な運動をしないように。いくらその境地に自信があっても、です!

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