付加価値ばかりしか見られない世の中
有名人が言った言葉は、良い意味でも悪い意味でも取り上げられ、騒がれる。
ある言葉はものすごく共感され賞賛され、またある言葉は世間の人々の反感を買い、叩かれてしまう。
でも、まったく同じことを一般人が言っても、相手にされない。たとえば、私がだいぶ前記事で言ったようなことを、もうちょっと浅堀であるスピリチュアル有名人が本に書いた。それ、こっちの見てもらうほうがもうちょっと分かりやすいし具体的なんだけどな、と思ったがそもそもこっちは注目を集めるためにやってないので、残念なだけで腹は立たない。
ただ、せっかくいい情報があっても、多くは「人気があるかどうか」で誘蛾灯のように向かっていくため、本当に価値ある情報に行き着ける人はそう多くない。
私は、ツイッターをやっている。今は『X』というへんな名前になってしまっているが。賢者テラとしては、ここカクヨムの記事を更新しましたというお知らせしか流してない。特に面白くもなんともないので、フォロワーなんて増えるわけがない。一時期人気があった時のフォロワーが2300人ほどで、それ以降数字はほとんど動いていない。
だが、今あるメジャーなオンラインゲームにはまり、そのゲーム垢でテラとは別のものを作った。もちろん、そこを見る者は私が何者か知らない。スピリチュアル色は絶対に出さないが、書いてあることが面白いのか始めてから二週間あまりで、本家賢者テラのフォロワー数二千に迫るまでになった。もちろんフォロワー数を増やすテクニックのようなものはあるが、あくまでも小手先の手段だ。ツィートが面白くないと、他人にイイネを押しまくったりフォローをバンバンしてもどこかで伸びがストップする。結局、読んで面白くないと(あるいは感じる何かがないと)誰も相手にしてくれなくなる。
芸能人でも、最近は二世タレントが多い。どこそこの大御所歌手や俳優の息子・娘だとか。もちろん、中には本当にタレント性があって実力のある者もいるが、かなり程度親父やおふくろの七光りに支えられてるだろ、というのも多い。
私は、世襲制が絶対にいけないとは言わない。伝統芸能などには、あってもいいと思う。だが、やはりそれならそれで、自分に問うてほしいことがある。
●たとえ他人が、あなたを~の娘息子だと知らなくても、そのパフォーマンスを見て純粋に「いい」と評価してくれるほどの実力を持っているだろうか? と。
ある売れている小説家が、正体を伏せて最新作を自分のお世話になっている編集部の懸賞に送った。入賞はしたが「努力賞」「佳作」みたいなランクの受賞だったらしく、書評には「文章はうまいが内容にひねりがもうひとつ」「比喩表現に難があり、くどい」、きわめつけは「(その本人の名前を挙げて)あの有名小説家のパクリ?」
編集からは「内容に奇をてらいすぎないのがかえって良い」「素晴らしいまでの緻密な比喩表現の連続」と普段は褒められており、それは先ほど挙げた批判と表裏一体である。
やっぱり、先入観が大きく評価を左右するのである。そのへんの子どもの落書きなら無価値、ピカソの書いたものなら数億でも出るだろう。
だから小説家に限らず、何かを他者に「表現」することでメシを食っている人、特にその中でも成功して一定の不動の地位を築き安泰な者に言いたい。
常に、自問自答してほしい。もし、これを言ったり描いたりしたのが自分じゃないとしても、評価されるほどのものであるか。名前を伏せても、誰がやったのだとしてもそのものに価値があるかどうか。
もしそう思えないものを提供していたら、それは自分の怠慢と驕りなのだと。
そんなことを続けていては、自分は長くは持たないと危機感をもってほしい。
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