物事が両面セットなことは福音
『アンホーリー 忌まわしき聖地』という映画を見た。
え、なぜ映画評論カテゴリーじゃないの、って?
それはさ。そこで扱うほどのオススメじゃないからだよ!(笑)
いいところは、まず主人公の雑誌記者の男が海外ドラマ「ウォーキング・デッド」でニーガンの役をやっている人。分からない人はスルーで。この人はもう寅さんやキムタクみたいなもので、何の役をやってもニーガンにしか見えない。
あと、悪魔のターゲットにされる女子の役がカワイイ。
ある神父の娘は、生まれつきしゃべることができなかった。
それがある日突然、しゃべりだした。医学的にはあり得ないことで、バチカンは調査の上これを「奇跡」と認め、その娘の住む教会の敷地は「聖地」とされた。
それだけではなく、なんとその娘はキリストみたいに「他人の病気や障がいを治し始めた」。これまた、二度と歩けないと医者から言われた子どもとか、そういうのを治して周囲を驚かせる。
これで話題にならないはずがない。治すことをあきらめていた疾患を持つ者がこぞって娘のいるところへ押し寄せた。娘は、周囲に「私がやっていることはすべて聖母マリアさまのお力のおかげ」であると宣言。仕方のないことだが、そう聞けば皆有難がってマリア様を信じることになる。
実は、それこそが狙いだったのだ。実は、奇跡の力の出どころは大昔にその土地に封印されていた悪魔の仕業で、名前がマリア様だろうが何だろうが、自分のしたことをありがたがらせ祈らせれば、その「信仰の力」で完全に呪縛を説くことができるのだ。そうしたら、悪魔は自由に行動できてしまう。
その裏に気付いた、奇跡を取材する雑誌記者は人々の目を覚まさせようと奮闘する、というのがだいたいのあらすじである。
では、教訓その1。
●あなたにとって「良いこと」が起きたからといって、それは本当に良いことかどうかは分からない。
この映画の場合だと、治らない病気を治したのは最終的に悪魔が「自由を得るため」にやったことで、そんなこと知らない人間は「ああ有難い」と思う。そして、短絡的にそういうのは「神様のおかげ」「ご先祖様(あるいは善霊)のおかげ」とか、とにかく何か善で愛の存在がしたもの、と発想する。
自分にとってよいことをしてくれるのは、いいやつのはずと考える。じつは、その発想が致命的なのだ。たとえば、お肉が素晴らしくきれいに切れても、最後味付けを失敗し料理自体が台無しになってしまっては意味がない。奇跡の力で病気が治っても、強力な悪魔が解き放たれたら世の中がひっちゃかめっちゃかになる。そうなっては何の意味もない。
だから、あなたの生活の中で「ラッキー」とか「よかった」と思える出来事であっても、それはあなたの矮小な「エゴ」が喜ばせることであって、もしかしたらそれは回りまわってあなたの成長や成功を阻むものになるかもしれない、ということだ。
教訓その2。ラストシーンのネタバレになるので、気になる人はここまでで。(見たい人少ないと思うけど!)
●光あるところには影がある。逆に、悪のあるところ善がどこかにあり、悪魔のいるところ必ず近くに神がいる。
映画のラスト、悪魔は撃退できたが引き換えに娘が死ぬ。完全に心臓も呼吸も止まって、主人公が絶望しかけたその時。突然娘が咳き込みだし、心拍も呼吸も戻る。
「これはもしかしたら、神のおかげかもしれない。光あるところ影がかならずあるように、影のあるところ必ずどこかに光があるということだな」
神様と悪魔とは、常にセットになっていると考えたほうが人生生きやすい。
どんなに辛い時でも、どこかに「陽」すなわち脱出口があるんだと前向きになれる。逆に、幸せなこといいこと続きで浮かれてしまわず「陰もセットだ」と見越して、兜の緒を締めることができる。一歩引いて用心ができると、要らぬ悲劇を防げる確率が格段に上がる。
どこはには必ず救いがある。そしてこの上ない幸せや成功の絶頂の隣には、どこかに足元をすくう罠が貼ってある。そのように考えることで、人生で起きる出来事への対処スキルが格段に上がるだろう。
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