気持ちと感情

 TVドラマで、ある仲の良い夫婦がいた。二人は年老いて、やがて奥さんのほうが死期を迎えた。病院のベッドのそばで、夫は死の間際にある奥さんの手を握ってつぶやくように言う。

「お疲れだった。先に行って待っていてくれ。オレもいつかそっちへ行くから。そしたらまた、ふたりで暮らそう」

 奥さんはその言葉を耳にしてコックリとうなづき、安らかな笑みを浮かべてこの世を去った。そんなシーンがあった。

 実に感動的な場面なんであるが、さっきの夫の言葉には疑問点がいくつもある。



①そもそも死んだら行く「霊界」という場所が確実にあるのか。


②ちゃんと、生前の名前と顔で認識できる世界なのか。言語概念と空間概念があって、視覚聴覚で他者を認識、区別できる流儀の働く場所なのかどうか。


③たとえそこをクリアしても、誰にでも会おうと思えば会える場所なのか。仮に生前の行いや達した精神境地によって振り分けられる「階層」というものがあれば、会いたくても会えない可能性があるのではないか。


④生まれ変わりという現象が本当にある場合、夫が霊界に行ったとき奥さんは生まれ変わりを果たし、もうそこにいない可能性もあるのではないか。


⑤待っていてくれ、と言ったがあちらには「時間」というものが存在するのか。


⑥この世界の延長のような「暮らし」という概念があるのかどうか。



 これらのことを知らないのに、夫は大まじめに先ほどの言葉を言い、奥さんも奥さんで信じ切ったような表情でこの世界での生を終えた。フィクションではあるが、現実に似た場面は存在するはずである。

 筆者は、先ほどの①~⑥の問題に関して私なりの答えを持っている。それをいちいち紹介することは、今回一番言いたいこととはちょっと脱線する話になるため、割愛する。

 今朝私が思ったのは、私がいかに自身の体験や特性からかなり強固な人生観や宇宙観を普段から持っていたとしても、もしウチの奥さんが私より先にこの世を去るようなことになる場面では、ドラマの旦那と似たようなセリフを口にするかもしれないな、と思ったのだ。



●この世界で、もっとも人を強烈に動かすのは知識でも、思想信条でもない。

 瞬間最大風速的な、その刹那の感情である。



 きっと、私の頭の中で悟りなどという行儀のよい言葉は消えて、「また会おうな」とか「先に行って待っていてくれ」とか言いそうである。あちらは「もう結構です」って思ってたら意味ないけど!

 ある美食家が、死の間際に「最後に食べたいものは」と聞かれカップラーメンと答えた。なぜなら、世間体やプライドゆえ人目のあるところ(家庭ですら)では食べられなかったからである。もう最後だから、名声だのプライドだの守ってもしょうがなないものを取り除いた時、初めて出たホンネだろう。

 人生で一番感情が動く場面では、それまでに学習してきた知識や常識なんて何も仕事をしない。思想信条だって、元をたどれば気持ちや感情だったりするから「仲間」ではあるんだけど、パワーとしては愛する者の死や何かの魂を揺さぶられるイベントの前では役に立たんのよ。

 キリスト教なんか信じてきて「汝の敵を愛せ」「ゆるせ」と教えられてきたある信者が、お子さんを犯罪で失って「とうてい犯人をゆるせない」「殺してやりたい」という状態になって、聖書の教えではどうにも修正できなかった人もいる。



 だから、宗教的な教義やスピリチュアルなどで語られる真理っぽい定義や法則の類は、平和な時間におけるおままごと程度に考えておくといい。意味がないともくだらないとも言わない。だって平時にはよい暇つぶしになるからだ。それなりに探求は楽しい。だが、最後の最後ものを言うのは、自分でも普段は自覚できない、魂の奥底に澱のように沈んだ「感情の塊」である。

 よほど自分を普段からしっかり見つめ向き合っている人でもなければ、それを把握できてるなんてことはまずない。大概のひとは、その時のぶつけ本番でびっくりする。えっ、自分の中にはこんな感情が眠っていたのか! なんて。

 だから、難しくは考えず自然体でいいのだ。日々の瞬間を大切にするだいたいの感覚を確認できたらいい。あとは、本番を楽しみにするくらいのことでいい。



●自分の「いざというとき」をコントロールしようとするな。そうではなく、そういう時に自分から自然に出るなにかを信頼して委ねられるほどになることが大切である。ただしそれは地道な積み重ねがものを言う世界なので、瞬時的な踏ん張りでどうにかなるとは思うな。

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