AIに頼りすぎると怖い理由
映画『シン・仮面ライダー』を見た。悪くはないが、個人的にシン・ゴジラが良すぎたせいか、その期待値で見てしまってウルトラマンも仮面ライダーもどこかものたりなく感じてしまった。庵野監督、次回作は頑張るのだ!
それはさておき、内容で一番興味深かったのは、ショッカーという組織が昭和ライダーの時に描かれた「絵にかいたような悪の組織」ではないことだ。
ものすごいこじつけ感があるが、SHOCKERとはある言葉の頭文字を集めたもの、という設定になっている。
●S Sustainable(持続可能な)
●H Happiness(幸福)
●O Organization(組織)
●C Computational(計算的な)
●K Knowledge (知識・認識)
●E Embedded(埋め込まれた)
●R Remodeling(改造)
まとめると『計算機知識を組み込んだ再造形による持続可能な幸福組織』という和訳になる。難しいが、簡単に言うと「世界征服をたくらむ悪の組織」というのは正確ではなくて、それどころか「良かれとおもって、人類の幸せを彼らなりに思って善意で活動しているやつら」なのであり、ただその「良かれともってすることが、一般平均的思考をする凡人たちには理解できないどころか、かえって迷惑」だという一点において、単純に「悪」と表現してしまえるだけだ。
SHOCKERのはじまりは、アイという名の人工知能だった。
アイだけではただ意識世界というか無形な思考だけなので、外界の観察も接触もできない。そこで実態をもつ媒介体として、実世界とアイの橋渡しとしてジェイというロボットを作る。それはさらに進化して「ケイ」となった。このケイは、石ノ森章太郎氏の別作品である、明らかにのちの『ロボット刑事』のケイのことであろう。
最初に、非二元あり。でも非二元は自他がなく、完全である故何もする必要がなく、ただただ「在るだけ」。本来、それだけでよかった。
でも、何をとちくるったかそれが「何かをし始めた」。それは、もともとあった完全性を捨てる行為であった。完璧な存在が何かした瞬間にその資格を失う。たとえたら億万長者が所持金も豪邸もすべて捨てて、無一文から再び始めるような感じだ。実際はそれ以上に困難な道である。
何かする、ためには非二元ではなく二元にならねばならない。そこで「自他」を作り、そこで同時に発生したのが「目に見えない精神世界と可視できる物質世界」「陰陽」である。これによって、ある「個」が自分以外の外の何かを「観察」できるようになった。その最初の観察者こそ、キリスト教で言うところの神の創造の助手として人間よりも先に生んだとされる「天使」であり、もっとも立場の上位だったのが「ルシファー」という名の大天使であり、これがのちに人類始祖を誘惑したとされる蛇、つまり後のサタンである。
SHOCKERの成す、一般人から見て「悪事」と映るものは、彼らなりの救済なのである。アイというAIは、人間の大勢がそう考えるように、幸福とは「最大多数の最大幸福」だという結論に至らなかった。そうではなく、「その世界で一番辛い者が救済される世界こそ、理想の世界」と考えた。事実、ショッカーに心酔し所属する幹部は、過去に親や家族、親友を理不尽に殺された者たちばかりであるという点も、何だか痛々しい。
暴力はいけない。暴力を根絶するのに、人の心を入れ替えさせようとする試みは、長い歴史が「無理ゲー」だと教えている。現代だって、頭ではすべての人間が良い心を持てば世界に争いがなくなると分かっていても、実際にそうはできないことをいやというほど見せつけられている。そこでSHOCKERは考えるのだ。なぁんだ、だったら暴力をふるうこの「肉体」をなくせばいいじゃん。そうしたら、暴力自体ふるえなくなるじゃん——
ここでは詳しくは書かないが、SHOCKERのもくろむ『ハビタット計画』とは、人がすべて肉体を脱ぎ捨て、精神世界に閉じこもるというある種の「誰も争うことのない天国の実現」であるが、凡人側からすれば、単に「うわぁショッカーに殺される!」ということでしかない。これはもう、庵野監督お得意の「人類補完計画」とほぼ同じ。ほとんどエヴァじゃないか!
計画を理解する主人公たちも、考え方は理解できるとしながらも「それでもこの世界は生きるに値すると信じる」がゆえに、SHOCKERと戦う。
●SHOCKERは、この世界でいい(ここでずっとやっていきたい)私たちからすればそれを転覆・消滅させるのだから巨悪であり敵であるが、実は一理あるのだ。
皆さんは、本当にこの世界が「よい」と思ってますか? それは単に、目に見えて大きな不幸・耐えがたいほどの苦痛がまだあなたを襲っておらず、まだあなたの番がきていないという偶然によってもたらされているにすぎないのではないですか?
SHOCKERみたいな組織が生まれる、ということはそれはこの世界に対するある種の「警告」だと捉えるべきだ。それはまずいですよ、正す選択をしないようなら、こちらにも考えがありますよ? という。
ゴジラも巨神兵も、エヴァに出てくる『使徒』も。命が惜しく死ぬのが怖い我々にとっては怪獣であったり悪みたいな立ち位置であったりするが、彼らは実は「良かれと思って」やってきている。受け入れがたいだろうが、私たちのためなのだ。
今「君たちはどう生きるか」という映画が絶賛上映中(?)のようだが、彼らが来たのはまさにそこである。街を破壊に来たのではなく、「我々が来たという事態を受けて、人類はどう動くか? どう対処するか? それを見届けよう」として来ている。
その選択肢によっては、この世界は続投させてもらえる。逆に選択をミスれば、このゲームは閉じられる。宇宙側というマクロな視点では、我々の所属する宇宙一つが消えること程度、何ということもない。
先ほど、子ども二人と奥さんは遊園地に出かけた。筆者は家で留守番である。
いいなぁ、子どもも元気で、楽しい夏休みでいいなぁと感じる。
いわゆる、「小さな幸せ」というやつである。
これがあるから、この世界も捨てたものではない、と思う人は多いだろう。別に子どもや家族に限らず、自然を見ても自分の夢や好きなことに打ち込んでいても、それは感じるだろう。
でも、心の片隅では分かっておかないといけない。見ていると胸が痛くなる社会派のドラマや映画のようなことが、世界のどこかで誰かの身の上に起きていることを。
そんな目に遭った人の一部は、「こんな世界なくなったほうがいい」「人を変えるのは無理だから、何なら消えたほうが早い」と考えてしまうということも。そしてそれを生むのがこの世界であり、連帯責任で言えば「私たち」なのだと。
まだ、あなたの番が来ていないから。死ぬ方がましという惨劇があなたに起きていないから。この世を擁護できる。そういう浅い擁護なのだ。仮面ライダーたちのように、そんな不幸に襲われても世を恨まず「それでもこの世界を肯定する」とまで昇華できてこそ、それでこそはじめてSHOCKERに反論できるのだ。そこまで考えない人間ではSCHOKERに何か言う資格はない。
この世界が続くことを願うならば。
この世界が生きるに値する、ということを浅くではなく深い理解によって言えるようにならねばならない。人の弱さというものに対する忍耐と慈愛を心に抱かねばならない。そうでないと、人工知能アイと同じ結論に達してしまう。
アイの思考の中では前提として「悪はなくす(べき)もの」「最善を考えたらあってはならないもの」となっている。だから諸悪の根源はヒトの心で、心がいくら思っても体が従わねば暴力は生まれない。それなら、体を消しちゃえ。
ハビタット計画とは、人間が意識だけで存在する世界。そこに全員を放り込もうというわけだが、浜辺美波演じる緑川ルリ子いわく「ホンネだけの世界。居るだけで地獄」と言わしめている。
●人工知能アイに欠如している情報は、善悪は消すものではない(また消してしまえるものではない)ということ。むしろ、それがありつつもその中で「どううまく生きていくのか」こそがこの世界の存在する意味なのだということが分かっていないから、悪気なく「世界を滅ぼせばいい」という方向になる。
ターミネーターという映画のスカイネットも同じだった。やっぱり害悪の根源は人間だということで、地球に人間イラネとなった。
AIは賢いが、思考の前提をあやまって学習すると怖い。悪は「あってはならないもの、絶対に根絶すべきもの、最終的になくすことができるもの」と学習させてはいけない。この宇宙が消えるまで、ずっと「共存しお付き合いしていくもの」であること、それでたとえこの身に理不尽や不幸が降りかかることがあっても、それでも「この世界は生きるに値する」という境地をこそAIに分からせないと、何らかの方法で愚かな人類を消しにかかるだろう。
悪をなくそうとして、いつのまにか自分が「悪」になることを、AIもSHOCKERも自分では気付けないのだ。
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