一人ひとり宇宙が違う

 私のメッセージの中でも、かなり大事な柱となるある考え方がある。それは、人間一人ひとりが自分独自の宇宙を持ち、人が違えば宇宙が違うということだ。

 私たちは同じ宇宙という箱の中で、まったく同じルール上で多数が生かされていると認識している。もちろん、この世界の特徴として、時間性(直線として一方方向に流れ続ける)・論理的整合性(こうだから次はこう、という正確な対応関係にある因果・起承転結)・様々な物理上ルール(重力など)というものがあり、それらは確かにすべての人に同じように働いている(ように思える)。

 だが、目に見えない世界、精神世界における真実は、人によってすべて違う。例えば、あなたがある事実の認識において情報が十分ではなく「間違っている」ことがあるとする。でも、あなたはその間違いを保持したままでも生活上は大して困ることもなく、その状態が別に不利益を生まない時、それは正しくても間違いでも「どうでもいい」ということになる。

 人の一生は今、たかだか80~100年程度。その中で、揺るぎない真実を極められる事柄など知れている。その、知れている数でしかない程度の「正確な情報」しか持たないで生きているのだから、もはや人間という生き物は「自分の好きに考える世界(世界観)に浸かって生きている」と言っていい。

 その意味で、この世界で全人類が正しく共通して持てる「絶対な真理・法則」は存在しない。何なら、先ほどは「これだけは全員で同じ」として挙げた物理法則や数学的事実すらも、非常にまれなケースで「歪み」をもつ者がいて、常識的な物理法則がそのごとく適用されない宇宙をもつ人物もいる。



 一例を挙げたら、幽霊が見え、霊がいるということが日常で当たり前な人生を生きる者もいれば、霊感がなく一生霊と関りをもたない、あるいは関りがあるかもしれないがそんなこと分かっていなくても生きる上で支障がぜんぜんない者もいて、その二者が同じ地球で同じ空気を吸って共存できている。共存というのは正確ではなく、それぞれがまったく違う宇宙を生きているのに、同じ箱の中で同じ原理に従って生きているように見えてしまっていると言ったほうがいい。

 筆者の認識では、誰一人私と同じ世界で生きていない。目にする家族や友人、社会の人々は、どこかの次元には確かに存在するが「本体」ではない。私が自分の五感を通して勝手にこしらえた「その人」であり、基本的には自分一人と思っている。

 でも、他人が「本体でないこと」はちっとも寂しくなんかない。なぜなら、無数の人間がいる中で「私一人だけが持てる、独特のその人像」だからだ。それは、唯一無二の宝だ。



 霊能者の発言で、たまに「この有名芸能人には、~の霊がついている」というのがある。明石家さんまには数千人ついている、大御所歌手の誰それには、ある歴史上の有名人物が背後霊でついている、とか。

 私は個人的に、そういうことを公言するのはやめたほうがいいと思う。



●あなたの宇宙観ではそうかもしれないが、皆あなたと同じ宇宙を生きてはいない。



 指摘された本人の「宇宙」では、違う可能性が高い。また、別の霊能者が見たら意見が違うこともある。なぜなら、皆がまったく違う宇宙ルールと背景の中で生きているからだ。だから、自分の霊視力に自信があって、その自分にこう見えるということはすべての人にとっても真実であるということ。知らないのは可哀そう、私が教えてあげないと——と考えてしまう。

 それは傲慢である。もうこの時点で、その霊能者は足元をすくわれている。公言してしまうということは、裏を返せば「それ以外は間違い」だという表明とイコールだからだ。他の可能性を一切シャットダウンする行為だからだ。

 そういうことを言う人物が人気を得るとどうなるか。「へーそうなんだ」と皆安易に信じる。信じると言っても、有名人の背後霊が何だろうが別に普通に生きている人には何の関係もないので、別段信じても害はない。ただ、そういう霊能者先生に心酔し、ことあるごとに頼るような上客(ファン)は、色々と大変なことになる。



●霊的世界(精神世界)における真実とは、科学物理方面のそれとは違い、ブレーキでいう『あそび』の部分がたいへん多い。それは宇宙のよいところである。

 なのに、そのいいところを放棄し、ガチガチに遊びをなくすのが宗教であり、一部のガチガチスピリチュアルである。自身には霊がはっきり見える霊能者も、それに近いものがある。



 なんかすごいことを言ってるというとことに惹かれてはいけない。むしろ「個人の宇宙観の違いというあそびの部分を尊重してくれる」もののほうを推奨する。ただ、私の実感では、そういうところはそう多くはない。

 この世界では、人の迷惑とならない限り犯罪とならない限り、心の内にどんな思想信条を秘めていようが自由だ。だが、それを言葉として他人にぶつけ、大なり小なり他人の人生を左右する行動を取る時には慎重になるべきだ。

 少なくとも、公共の電波で「あの人には誰誰の霊がついている」ということを公言できるような人間はキライだ。

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