正義のヒーローは永遠に勝利しない

 若い人には縁が薄いかもしれないが、『必殺シリーズ』という長寿を誇る時代劇がある。今では年に一度ほどスペシャル版が制作される程度のペースであるが、1972年からの長きにわたり、実に30作以上が制作された。TVドラマを受けての劇場版も数多くつくられ、それらの作品の多くにはシリーズの顔とも言える『中村主水(藤田まこと)』が登場し、必殺と言えばこの人! というくらいにシリーズ通してファンに愛されてきたが、2010年に惜しくも逝去された。あとは東山紀之に主演が託され、細々とではあるが現在でもシリーズは続いている。



 この長きにわたるシリーズ中、江戸の(もちろん地方でも)悪人は、一体何人が殺されまくっただろうか。中村主水だけで言えば、ヒマな人が数えて殺した人の数は500人台後半だとコメントしている。ならば、シリーズには主水以外の仕事人も大勢いるわけで、そうなれば数万人を超えるかもしれない。

 でも、ドラマを見続けても世の中はぜんぜん変わらない。悪人を殺してもまた次の悪人が湧き、悪人を減らすことが世の中をゼンゼン変えていないように見えてしまう。でも実はそれはドラマだからとか、錯覚とかではなくて、この宇宙のもつ「性質」を考えれば当たっていると言える指摘なのだ。



●悪人を殺すと、生きている別の人間が似た役を演じる。つまりは、一定数が保たれるようになっている。ゆえに、殺すことは根本的な解決にはならない。



 確かに、ある人物にとって本当にゆるせない悪人がいるとして、それを何らかの形で始末できたとする。確かに、その人物の人生だけを考えたらイヤなやつが消えて開放されてメデタシメデタシなのかもしれないが、世界全体で見ると結局別のどこかにその役割を継ぐ者がでてきて、その人でないどこかの誰かが苦しむこととなる。結局世界全体としては状況は何ら変わらない。



●自分の身近な悪人を殺すことは、自分じゃないどこかの誰かにそれを押し付けるということになり、自分さえよければいいという姿勢を表明することとなる。



 貞子とか、悪霊の類もそうだが、滅するとか殺すとか押さえつける(封じる)とか、そういう実力行使では悪はびくともしないのである。ただこの世界にたったひとつ、悪人を正味に減らせる必勝法がある。



●悪人に涙を流させることである。愛されていると理解させ、改心させることである。それ以外に、世界から悪人を減らす建設的手段はない。倒すことはその瞬間はよくても結局堂々巡りで何にもなってはいない。



 たとえばの話。

 ある国に5000人の悪人がいたとする。そのうちの4000人を殺したとする。

 じゃあ、国に残った悪人は1000人だ。だいぶ減ったし、その国も生きやすくなったと勘違いをするかもしれない。確かに、この世界では「時間性という制約がある」ので、切り取ったある時間の一点においては「悪人が減った」と観察され得るが、それはあくまでも「ある瞬間の最大風速」のようなもので、時間が経てば生まれてきたある者が死んだ誰かと似た問題を起こし、またそれまで普通に生きてきたある者が豹変したりもする。

 そしてゆるやかに、時間をかけて悪人5000人にもどる。そういう自然の摂理だ。

 だが、悪人を殺すのではなく、本当に心を入れ替えさせたらどうなる?

 さっきの例の5000という分母に変化が生じるのである。宇宙が「ここの国には悪人5000」と把握していたら、減れば当然その分母の数に戻す働きをする。しかし、改心することによって悪人が悪人でなくなる数が増えてきたら、分母が4000人、3500人……となるので、宇宙がそう認識すればその減った改めての「分母数」以上には増えない。そうして世の中をよくしていくことは可能だ。



 でもまた一方で悲しいお知らせもある。

 割り算を思い出してほしい。ある数をある数で割ると、割り切れる時もあれば「あまり」というものが出ることもある。

 たとえば、悪人がたとえ減ってきたとしても、「分母が減ればそれは二度と増えたりしない」なんてことはない、という残念な事実がある。

 ある一人の悪人が、その行為の残虐性において度が過ぎ、被害を被った人間の恨みつらみの強度が「ハンパない」場合。割り算で出る「あまり」のように、余剰にマイナスエネルギーを現世に残留させる。塵も積もれば、のたとえのように、そういった「あまり」が集合して、一人の別の悪人を誕生させ、この世に悪人枠でエントリーさせるという事態が生じる。分母の数が増えるのだ。

 それが、この世ゲームが大変難易度が高いと言われる所以だ。心を入れ替えさせるだけでも大変なのに、残っている悪人の悪行すらも、受け止め次第でより増やすなんて……



●皆さん意外に思うだろうが、悪人がゆるせないという恨みの思いは、悪人や世の悲劇を減らす方には働かず、かえって増やす方向へ左右するのでやっかいなのである。憎しみというのは、同じ性質のものの「増殖」に作用するのだ。恨みを増やす=その恨みが生じるもととなる悪人を増やす、という皮肉な結果に。



 仮面ライダーやウルトラマンはある意味、世界を救うどころか何も変えていないというわけだ。戦って倒すということは悪人の(自分は間違っていたという)納得と反省を得ていないので、それは死後DNAのようにどこかに引き継がれてしまう。それをカルマと呼んでも構わない。何なら、正義のヒーローはある一瞬だけこの世界の見た目をマシにはするが、長期的には何も変えてないということである。

 最近のヒーロー物は時代を反映してか、黒白はっきりした話ではなく、完全な勧善懲悪からは遠い。正義の側にも問題があったり、悪側の言い分にも一部の理があったり。同情できる経緯があったり。

 昭和時代当たりの、悪い奴らをやっつけろ! なノリでは、世界は一歩も進まない、ということである。



 もちろん、今この瞬間怪獣が暴れているのに。この瞬間にも悪人の毒牙にかかり罪もない人が不幸になりかけているのに。それを動くな、力で何とかしても意味はないからと言う気はない。

 意味はなくとも、とりあえず今生きている人、幸せに生きようとしている人を守る必要はある。どうしてもそれは仕方なかろう。

 だから、悪を倒すヒーローには「仕方なしに」という意識を持っておいてほしいのだ。自分が変身して、力を使って敵を倒すのは最善策ではなく次善の策で、応急処置にすぎないということを忘れないでほしい。

 今すぐはムリでも、いつかはきっと絡み合った糸をほぐして、悪人と呼ばれる人を変えることが出来ると信じて、日々の治安を守ってほしいのだ。真っ先に倒すことを考える対象ではなく、今すぐは話し合っても分かってもらえないので、その機会が巡るまでは悲しいけれど他人を巻き込まないように倒す。

 とにかくキーワードは、すべての命を信じ、愛すること。

 場合によってはそれが著しく困難な場合があるだろう。その時には、荒ぶる相手を何らかの形で追い詰め、場合によっては排除することもあるかもしれない。そんな場合でも、せめて「いつかはきっと、命がめぐりめぐってこの魂は変わる」という一縷の希望をもつことである。

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