君たちはどう生きるかを誰が教えてくれるのか

 宮崎駿監督の『君たちはどう生きるか』が公開され、賛否を呼んでいる。

 筆者は映画好きで、もちろん「難解」「一度見ただけでは意味が分からない」映画なんてものもあっていいと思っている。だがそれは、最初から「そういうつもりで作っている」者にだけゆるされる。原作がそもそもバッドエンドだったり鬱な展開だったり。監督自体が難解な映画を作る人で有名、という立ったキャラがあったり。

 でも、「ナウシカ」「トトロ」「ラピュタ」、ちょっと外れるが「ルパン三世カリオストロの城」を世に出し、老若男女問わず広く親しまれ喜ばれる王者の地位を獲得した「ジブリ」がすることではない。これは明らかに、己が大衆から立たせてもらった立ち位置を自ら忘れ、ただ自分が描きたいものを好きに描いてしまった作品だと私は評する。

 この先また映画を作れる保証のない老人が、人生最後の作品として、今までの功績も讃えて「自由にさせてあげる」という意味ではこれでよかったのだろうが、問題は好き勝手なものを作られ見せられるこちら側だ。



 私がこの作品のコメントとして大嫌いなものを挙げると「この作品の良さが分からない人は意識が低い」みたいな論調。日頃からYouTube動画とかマンガばっかり見て、本も読まず本質的なことを考える力がないから、この映画の真価を読み取れないんだ。そんなふうに、面白くないと素直に言う連中を、これまた「自分は楽しくかつ深い意味が汲み取れたので、おまえらよりは優れているよ」みたいにマウントをとるホンネが垣間見れるコメント。



●普通に見て普通に面白くないからそう言った何が悪い派 VS ちゃんと見てよかったと思えた、ということは自分は立派に宮崎監督と近い意識レベルなのだ、あ~よかったあんな分けわからんって言う人と違って!派



 映画の評価についたコメントで、次のようなものがあった。

『意識低めで生きている俺にはつまらなかった。メッセージ性の強い作品より娯楽作品が見たかったよ』

 意識低め、と自分で言っているのは謙遜である。この世界の誰も、自分で意識低めに生きることを意識し調節していて、それをよいと思って生きてなどいない。皆、それぞれに一生懸命生きている。つまり、「意味が分かってこの作品を高評価できるオレは偉くて上等な人間なんだぜぇ」と暗にマウントを取ってくる監督擁護勢に対する皮肉で言っているのだ。ええそうですよ、確かにアンタからしたら、意味わからんと思うあっしは魂が鈍いんでしょうねぇ!



 もちろん、筆者はこの作品に高評価を下す全ての人をひとくくりにして批判しているわけではない。感想なんて、何を感じ読み取るかなんて人それぞれだ。大絶賛だって、傑作だという声だってあっていい。

 ただ筆者が引っ掛かるのは、あなたが傑作だ名作だと褒める分には自由だが、逆の意見に対して「分かってない」「人として深くないからだ」「アホ」呼ばわりするのは間違っている。

 これは私個人の思いだが、あれだけ世間に感動を与え喜ばれてきた監督だからこそ、賛否呼ぶ内面さらけ出し思春期こじらせ映画じゃなく、より大勢を笑顔にするエンタメ作品を最後くらい作ってほしかった。



 あるお坊さんが、SMAPの『世界にひとつだけの花』という歌が流行した時、なんとひどい時代になったのか、と泣いたというエピソードを聞いた。

 その方によると、今までの日本なら、子どもに「あなたは特別なオンリーワン」的なことを伝えるのは、親であったりその人物に身近な人物の役割であった。でも、親がそのようなことを言わなくなり、社会の誰もそう言ってくれない。むしろ競争による成果で評価し、情け容赦なく突き付けてくる。

 だから、誰も言ってくれないからアイドル歌手が代わりにそう言ってくれる。そんな遠い人物に慰めてもらわないといけない世の中。そんな当たり前のことがわざわざ歌詞になり、その歌がヒットする社会。その裏にあるであろう現実を考えた時、たいへんな時代になったと泣けてきたのだそうだ。

 君たちはどう生きるか、なんて大きなお世話だ。本当なら、そんなことは遠い他人に指摘されなくても、自分の力で見出すもの。そしてそれをサポートしてくれるのは、生身のあなたにより近い親や兄弟、恩師や親友、仕事仲間たちであったりするべきなのである。



●でも現実にはそんな美しい関係は虫眼鏡で探さないといけないほど数が少なく、文字通りのきれいごとが本当にドラマや映画、小説やマンガの中だけのものとなってしまった。ヒットソングの歌詞の中だけになってしまった。



 大して意味がないのに、作品に「君たちはどう生きるか」なんて酔狂なタイトルを付けるはずがない。問いたいから付けたのだ。もっと言えば、問わないといけない、まずいと心配されてしまったからだ。宮崎監督という「他人」に人生を心配されてしまうほど、今という時代が危うく見えるからだ。

 監督もおせっかいだが、私たちにも責任がある。あんなメッセージ性の強い、「哲学的なことちょっとでも真剣に考えてみ?」という映画を作らせてしまうほどに、もろく見えるのだ。煮詰まったこの人間世界が。

 心配ないよ、って言うためには、私たちがしっかりしないと。しっかりして、世のクリエイターたちを安心させてあげないと。そうしたら、この世界からもうちょっと「ひどい現実を描いた映画や文学」「心を痛めずには見れない作品」が減るのではないかと思う。

 強いメッセージ性を含み、多少なりとも見る人に爪痕とショックを残す作品というのは、人々を目覚めさせる使命を帯びて必要一定数が宇宙から提供される運びとなっている。それらが増えるということはそのままそういうことで、減れば宇宙が「この子も反省したようだし、もうくどくど説教も要らないね」となって、世界に見て楽しい娯楽作品の割合が増える。



 会って話すこともないような人間に「君たちはどう生きるか」を問われずとも、自分とその身近な人間関係の中で、この世界の片隅で、ちゃんとやっていけるんだ、答えを見つけられるんだということを世に示そうではないか。

 それは、本やメディアで伝えられる内容の一切を無視したり、歴史上の偉人やあこがれのスターの言葉や人生訓に耳を傾けるな、ということではない。

 時にはそういったものも取り入れながら、でも一番大事な自分の背骨となる部分くらいは、自分がその身近で大切な人ととの絆の中でできたものであってほしい、と願うのだ。

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