どちらも真の物語
アニメ映画『風の谷のナウシカ』は、誰もがよく知り、何度も繰り返しTVで放送されたりもするので「一度は見たことがある」であろう作品である。
最後はナウシカが救世主然として世界を破滅から救い、感動的なハッピーエンドとなっている。ナウシカといえば、たいていの人はこっちの話しか知らないのではないだろうか。というよりは、この話が「ナウシカのすべて」と思っていたりするかもしれない。
だが、コアなファンは原作漫画のナウシカのほうもちゃんと読んでいる。映像化されているのは、原作全体の三分の一程度で、もっと続きがある。しかも、あんなハッピーエンドでは終わらない。もっとキツいお話になっている。
原作をちゃんと読んだ人は、したり顔でアニメ映画ナウシカしか知らない人は「本当のナウシカを分かってないくせに」と思うかもしれない。感動しました、ナウシカすごい! という感想を言う人に対し、あんな原作の一部だけ、しかも大衆娯楽向けにハッピーエンドに抑え込まれてしまった作品だけでナウシカを分かったと思うな! と冷めた目で見てしまうかもしれない。
確かに、原作こそ宮崎監督が一番伝えたいメッセージの詰まったいわゆる「原作者の意図するナウシカ」そのものだということには間違いがない。
でもだからといって、不特定多数に喜ばれ、いつまでも良い思い出で覚えてもらうために一分改変を施したあの「アニメナウシカ」はじゃあニセモノなのかというと、価値が低いのかというとそれは違う。
原作、そしてアニメ映画と「並べて比較・評価」することに意味などない。マンガはマンガ、アニメ映画化作品はそれ自体のもつ「良さ」というものがそれぞれにあって、もうまったくの別物なのである。
ちなみに筆者は、中学生の時初めてアニメ映画を見たが、クシャナと部下のクロトワとの関係の理解が難しく、とにかく「大人な事情」というものがそこには詰まっているんだろうなとは感じたが、今になって知ったビックリな情報は「実はクロトワは、国の正当な継承者であるクシャナを脅威として亡き者にしようとした敵が送り込んだ暗殺者だった」という設定だ。でも、クシャナに気付かれてしまったクロトワは「どうせ任務に成功しても、口封じのために結局殺されて終わりかもしれない」と考え、クシャナに寝返ることにした、という関係のようだ。
もとは命を狙う、狙われる関係にあったのだという情報が加われば、また新たに見えてくるものがある。でも、この情報を知る以前の私が「ナウシカを分かってない」、知って後が「以前よりも理解できている」のだろうか? 違う。
●知らない部分がある時でも、それはその時の自分のベストの物語。
知識が増えより理解が深まっても、それはそのタイミングでのベストに過ぎず、決して過去の認識が劣るわけではない。一期一会でその時だけの価値というものがあるのだ。
人はある程度長く生きると、過去のある場面を思い出して恥ずかしいなぁ、バカだったなぁと赤面してしまうことがある。
確かに、今のその人からしたら反省するところしきりなんだろう。穴があったら入りたいような、人には言いにくい失敗もあるだろう。では、その時のあなたの人生は、物事の道理が当時よりもよく分かっていて大人であるあなたの「今」ほどの価値はない、ということですか? 価値が劣るということですか?
それは違う。人は「比較」という使い方をよく間違える能力によって、並べて「どちらにより価値がある」と考えてしまいがちだが、そんなもの比べる意味がない。どちらにもその時にしかない価値がある。
だから、人が今の私は何か分かってないことがあるんじゃないだろうかと考え、それによって何らかの損をしているんじゃないだろうか? と怖がったりしなくていい。また、過去を思い出して「あの時これを分かっていれば」と心を痛めることもあるだろう。もちろん反省は必要だ。過ちを繰り返さないためにあえて「痛み」を感じようとすることも誠実な姿勢ではある。
でも、物事には「いい塩梅」というものがある。過度に自分をいじめるような過去の反芻の仕方はよくない。
●知らないでいた頃の物語も、それはそれでひとつの大事な物語。
知識が増した今の物語も、今だけの貴重な物語。
どちらがどう、などということはない。
中学生のころ見て感動したナウシカも、ひとつのナウシカ。
大学生の頃、原作を知って「原作はこんななのか」と知った時のナウシカもやっぱりナウシカ。そして、ナウシカの設定に関していくつかの「トリビア」的知識を得て、あの場面はこういうことだったのか! という理解が深まった今の見方で見るナウシカも、また別のナウシカ。
それぞれがそれぞれに価値があり、私にはどれも大事でどれも「本物」。
タレントのryuchell(りゅうちぇる)さんが亡くなった。自殺だそうだ。自殺の原因に関しては憶測が飛び交うのみで、ほんとうのところは分からない。
原因どうの以前に、自殺ということ自体に大勢が「え?」という感じで、飲み込むのにまだ時間がかかっている感じだ。唐突すぎてウソでしょ? というような。
第三者はこれからもいろいろ言うであろう。誰かに相談できなかったのか、本当にどうにもならなかったのか、とか。そんな手段を取らなくても、とか残されたお子さんは……とか。
きっと、りゅちぇるさん本人だけが分かっている『物語』があるのだろう。何も書置きしていない以上は、それは本人が持って行ってしまい、残された者にはもう手の届かないところに行ってしまった。
だから私たちは、残された情報をかき集めてしか、りゅうちぇるさんという他人の物語を構築できない。というか、それでよいのだ。
ただよくないのは、その「自分が勝手に構築した物語」に必要以上に自信を持ってしまって、違う意見の者を見下したり批判したりしだすことだ。
私たちは争わず、ただただひとつの命が断たれ、旅立たれてしまったというその事実にのみ胸を痛めればよい。そこに勝手にストーリー付けをし、正誤や優劣を競う場合ではない。
真実の物語も、そこに辿りつきたくてもできない中での精一杯の物語も、等しく価値がある。人が互いの物語の「価値」を認め合えば。個人の人生の「どの瞬間」にも変わらない価値があると考えられるなら——
もう少し程度、今の罵詈雑言とバッシングの飛び交う世の中が緩むのではないか。
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