ズレた一生懸命が悲劇を生む

 うちの小3になる息子は、ちょっと不思議な子である。

 普段は快活で、どこにでもいる元気な男の子。学校でもそれなりにうまくやれているらしく、休日には友達とも遊んでいる。

 だが、トータルとしては乱暴なくくりで「普通の子」と見える息子には、唯一の弱点がある。それは『朝』である。



 朝が、息子の天敵なのである。

 たいてい、息子の泣き声と奥さんの厳しく問い詰める声で目が覚める。

 そして「またか」と思い、一日の始まりが何か気分がどんよりする。

 普段は聞き分けのよい(よすぎる)くらいのい息子が、朝だけ「超わがままちゃん」になってしまうのだ。奥さんにまとわりついて離れず、遠くへ行ってしまおうものなら泣き出す。

 奥さんは働いていて、朝は準備で忙しく、息子のそばにべったりしている物理的余裕はない。なので必然的に、奥さんは物事を合理的に解決し始める。

「なぜ泣いているのか」その理由を言わせようとする。

 でも息子は、ヒクヒク泣くばかりで答えない。それに、やることが山積みな奥さんはイライラして、「言わないと分からないでしょ」と高圧的に問い詰める。

 息子は息子なりに一生懸命何か言葉を発しようとするのだが、どうしても意味のある日本語に聞こえない。そこで、このきつい一言が出る。

「何しゃべってるか、ゼンゼンッ分からない。もっとはっきりしゃべりなさい!」

 でもやっぱりしゃべれないので、見限った奥さんは自分の用事をしようとする。そこへ息子がさらに縋り付き、イライラマックスの奥さんはそれを突き放す。

 突き放された息子はその場でずっと泣く。突き放される息子を見て、金色夜叉の寛一・お宮の熱海での場面を思い起こしてしまった。



 これを、毎日とまではいかないが週3くらいでやからかす。その度に遅刻し、本当は集団登校なのだが車で送迎するはめになる。

 私もなんでだろうと考え、ある考えに行き着いた。皆さんはHSPという言葉を聞いたことはあるだろうか?『Highly Sensitive Person』の略語で、とても敏感な人、または非常に感受性が強い人を意味するらしい。生まれ持った性質であり、決して病気ではない。

 そういえば、いくつか思い至る場面があった。強い光に弱いのである。

 朝、窓の外から日が差すままにしておくと嫌がる。私は、朝息子がいる部屋に入った時不自然に暗いので「なんでこんな暗くしてるの?」と電気のスイッチを入れかけたら怒られた。

 あと、テレビの音量。わたしなどなら迫力がないからもうちょっと音上げない? とか思っても、息子一人ならかなり小さめに設定する。

 色々調べてみると、HSPの人は「自分のホンネを伝えようとする時に、異常に感情が高ぶってしまったり頭の中で感情が処理できなくなる(追いつかない)ので、泣いてしまうという結果になりがちだそうである。

 そう考えたら、「言葉にしないと分からない」「はっきりしゃべれ」「結局何?」などという声かけは、正論ではあるが良いか悪いかで言えば「悪い」声かけになってしまう。奥さんの場合はそこに加えて「今何時だと思ってるの」「遅刻するでしょ」「ママも遅れるじゃない」という要素までぶっこむので、多分息子としては聞いてて相当辛いはずだ。



 もちろん、奥さんが息子を大事に思わないわけがない。むしろ、父親という立場の私よりもなお強い愛情と絆を持っているだろう。

 でも、愛しているからこそよかれと思って、一生懸命さのあまりそういった声かけになってしまうのだ。息子が遅刻するよりもちゃんといけたほうがいいから、そうなるように勧めるのであって。母子ともに仕事に学校に遅刻で共倒れになるより、両者ともがスケジュール通りに生活できたらそのほうがお互いにいいわけで。

 そうなるように、との配慮にちょっとした「このままではダメだ」というイライラが加わって、物事を合理的にさばこうという態度になってしまうのだ。一体何が問題なの? 今どうしようもないでしょう? という方向に話がなる。



 あるサスペンスドラマで、親しく近所づきあいをしているお隣さんが実は殺人鬼だ、と家族の一人(主婦)が知ってしまう。他の家族に一生懸命それを伝えようとするが、隣人がいい人と信じて疑わない(確かに、明確な証拠も示せないのにお隣さんが人殺しなどと言われても現実味がない)他の家族は、ママどうかしちゃった? と妄想を疑う。

 挙句の果て、あんなにいい人のことを人殺し呼ばわりなんて、と他の家族は隣人の味方をして、主婦を責めて「悪者扱い」し始める。

 両者ともに共通しているのが「一生懸命」「相手のためを思って」である。ただ一点違うのが「ベースとなる情報・考え方において決定的に違うものを用いている」というところだ。この一点のゆえに、皆互いを思ってのことなのに悲劇が起きる。

 奥さんはHSPを知らず(息子がそれかもしれないと思わず)、良かれと思って正論を用いて、合理的かつ迅速に事態を収拾しようと躍起になる。息子は息子で、母の問いかけは恐らく理解はしているが、でも心と体がついていかず、結局何も答えてくれない息子に奥さんはさらにイライラしてしまうという悪循環。



 私は奥さんに、息子がHSPでは?と考えたことを話してみた。まだ彼を然るべき機関で診てもらったわけではないが、とりあえずその可能性も考慮して、もうすこし穏やかに、その前提を心にもって接してみようということになった。

 この世界における悲劇のかなりの程度は、片方の一歩的な悪意によるものではなく、互いに幸せを願い合っているのに、よって立つ情報や考え方同士の相性が悪いために、結果傷つけ合うことになってしまうということが占めている。



●あれ、本当は愛しているはずなのに、なんで私たちはこうなる? ちょっとでもそういうモヤモヤが心をよぎったら、何か互いに「理解と合意に至れていない、ある情報」があるということなので、そこから解決の糸口を考えていくことだ。



 ただ、今言った方法でも困難なケースがある。近しい人が何かの新興宗教や陰謀論などにはまってしまった場合だ。よって立つ情報の違いが互いを断絶していると分かり切っているのに、その差を縮めることが極端に難しいからだ。むこうが「自分が間違っているとはみじんも思ってなく、むしろこちらを分かってない側として憐れんですらいる」ケースでは、かなり絶望的な戦いを強いられるだろう。 

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