本体はそこじゃない

 人気アニメ『鬼滅の刃・刀鍛冶の里編』の放送が終わった。

 毎週の楽しみがひとつなくなってしまい、寂しいという方もいるのではないか。

 鬼との戦いは、毎度のことながらものすごいクオリティで描いてくれるので、作品と作品の間に多少の空き時間がでるとしても、納得はできる。ただお腹だけを満たすだけでない、味にこだわるレストランで「多少時間がかかってもかまわないから、とにかくおいしいものを出してください」という感じだ。

 敵キャラで『半天狗』という上弦の鬼が登場するのだが、コイツがまぁものすごく最悪なキャラクターで。人格がクソ、というのもあるが「分かりやすく見えているのは本体ではなく、こいつらをいくら攻撃しても倒せない」「本体はものすごくちっこい小人のようなやつで、見つけにくい」「その見た目に反して素早い・固い」「せっかく首を刀で捉えたと思っても、簡単には斬れない」など、とにかく「こんなん普通倒せるか!」といういやらしい特徴ばかりあるのだ。



 最近の別の記事でも話題に挙げた洋画『時計じかけのオレンジ』。

 主人公のアレックスは、悪い仲間と共に日々衝動的な暴力性と性欲に任せ、無差別に人を傷付け、襲う。うまく立ち回りなかなか警察に捕まらない彼だが、仲間とのトラブルから裏切りに遭い、彼一人運悪く警察に捕まる。

 長い刑期をまんま勤め上げることなどうんざりな彼は「ある実験の被験者になれば、二週間ほどで無罪放免」という情報に飛びつく。それは、犯罪行為に関して心が「トラウマ級」になるように、姿勢を固定し目もそらせないようにして、残虐極まりない映像の数々を見せ続けられる、というもの。その成果あって(?)吐き気をもよおそうが気が狂いそうになろうが容赦なく「人間の醜さ」を見せられたことで、自身が悪いことを行いそうになると体が拒絶反応を起こして「犯罪行為を犯せない」体になったのだ。

 では、実験は成功? アレックスは真人間になった? いやいや。



●人は「悪いことを強制的な手段でできなくした」だけでは何ひとつ変わっていない。何なら、余計にひどくなっている。



 アレックスは音楽鑑賞でベートーベンの『第9』を聴くのが好きだった。

 ひどい映像の数々を見せられた時、たまたまそのBGMが彼の好きな「第9」だった。その副作用で、彼は第9を聴くと頭がおかしくなるようになってしまった。

 それを何とかするためだったのかは知らないが(他の目的もあったのかもだが)とにかく、彼は再びなんらかの処置を施された。そこは作中では分かりやすく描かれてはいない。

 最後、彼は第九を聴いても平気になり、受け答えも一見すると「真人間」に戻ったかのよう。だが、見る人が見れば分かるのだ。彼の目を見れば、刑務所へ入る前のあの頃の「アレックス」の眼を取り戻していることに。

 この映画のメッセージポイントはひとつだけではないが、あえてそのうちのひとつを挙げると「わかりやすい問題点をいじるだけでは何も解決しない」ということである。犯罪ばかり犯し社会の迷惑となる「アレックス」自体を物理的強制手段に訴えて変えようとした結果、犯罪者個人を変えて世を良くしようとするだけの試みは失敗に終わった。皮肉な話だが、彼が結局元に戻ったのは「その社会のせい」である。

 その社会の在り方が皮肉にも、彼が普通に戻ることをゆるさなかった。



 この世界には、成功哲学というものがあり、自己啓発というものがある。

 それは、いかにしたら成功し、幸せを、充実した人生をつかめるかという内容であり、総じて「選ばれた人間しかできない」という論調ではなく「やれば誰にだって可能」という前提になっている。裏返せば、人が成功できない(幸せになれない)のは、やり方がまずいから。努力が足りないからということになる。結局のところ自己責任論ということになる。

 スピリチュアルにしてもそうだが、「個人」ばかりにスポットが当たる。あなたがこういう意識でいれば、こういうことを実践すれば成功する。幸せになる。そのように、すべてが「その個人の行動や意識の持ちよう」に帰結され、すべての責任がその個人にあるかのように錯覚させている。

 人間は、「だめなのを他人や環境のせいにするな」と言われ育てられ、それを美徳と信じている。それは程度問題で、今の社会はやっぱり人を歪ませる。どう考えたって、決定版として「ずっと変えなくていい」ものだとはお世辞にも言えない。

 でも、人はTPOを考えず杓子定規に「何かのせいにするのは卑怯者」という思い込みがあるので、絶対に「社会が悪い」というふうには意地でももっていかない。そう言ったら負けだと思っているのだろう。言えば、他人からも「その程度のクズ」と思われるのが怖いから、誰も「社会(世界)のせい」だと声を挙げられない。だから、失うものがない私が代わりに言ってあげよう。



●この世界で起きる悲劇は、半分以上人間ではなくシステム(枠組)のせいです! 空気のせいです! なのに「すべては自分の責任。外に悪者をつくって攻撃するのは程度の低い人間のやること」と責められ、どこにもやり場がないサイアクの状態。



 空気が人をつくる。その社会を縛る「制度・決まり事」が、いかにその個人が素敵な愛すべき人でも、クソみたいな行為をさせてしまう。させられてしまう。

 結局、社会がそのようである限り、アレックス青年は救われない。彼はひどいことをしたが、ある視点では彼もまた社会の犠牲者だと言える。あと、彼の場合は親もまた強烈である。(笑)



 皆、この世界を変えるために「個人の変革」ばかり言う。

 さも、一人ひとりの人間が変われば世界が変わる、みたいな。皆さん、正しく聞こえますが詐欺ですよ。



●あなたが変わったからといって、世界は変わらない。



 こんな当たり前のことが分からない人がいる。筆者も若かりし頃、自分が変われば世界は変わると信じていた。だから色々に自分の思想や精神性を高めるありとあらゆることをした。結果分かったことは、どんな精神をもとうがこの社会の枠組みに囚われた一個人であるというところからは逃げ切れない、ということだ。

 いやなら自殺するか、世と関係を断ってどこぞの人里離れた山にでもこもって生活するしかない。でもそれはその人間はいいだろうが「いちぬーけた」と言って逃げるだけのことで、人類全体の向上にはまったく貢献しない。その意味で、戦わず逃げる「精神性の高い聖者や賢者」は卑怯とまでは言わないが、自分だけズルい。



 この世界では、どうも社会の枠組みやあり方自体に目を向けられるのは困るようで、やたら「個人での成功」にスポットを当てて誤魔化している。

 成功本・自己啓発本が「あなたは幸せになれます」「成功できます」と言う時、そこに言葉を補わないと卑怯だ。正確には——



●あなたはこの世の枠組みの中で、別にそれをかえないままでも幸せになる道がありますよ!



 そのように洗脳しているのである。この世界は今のままで、というところが最大のポイント。一部に、世界がたとえ問題だらけでも「その状態が都合がよく、利益を生む」立場の者によって、必死の工作がなされている。

 それは真っ赤なウソであり、席の少ない『椅子取りゲーム』である。椅子の数が少ない事実を巧妙に隠し、「誰でも本気になれば、信じれば可能」と騙す。

 その少ない椅子に座れなかった者の悲劇や声は抹殺され、ほぼ無事に生きてる人間の耳には届かない。届いても自分が平和なら他はどうでもいいし、何せ自分が生きるだけでも忙しい。

 大事なことなので二度言うが、この世界ではすべてが個人の責任に考えられすぎです。もちろんある程度「何かのせいにしないで自分の問題と考える」心がけは必要だが、今の世の中は度が過ぎている。

 自分のせいじゃないことまで自分のせいと考えて、無駄に心を病んでいる。個人が変わることが世界を変えることに繋がると考え、まるで竹やりで戦闘機に挑むような涙ぐましい行為に明け暮れている。



●あなたが変われば世界は変わるというのは、あくまでも「あなたが捉えている世界の見え方が変わる」だけのことで、それはあなた自身の幸せには役立つかもしれないが、他人や社会の実質をなんら変えるものではない。それはそっくりそのままである。つまり、あなたが変わろうがあなたの視界の外に変化など起こさない。



 何らかのアクション・ムーブメントを起こすしかないですよ。

 黙っていても、今日も明日も社会が求めるあなたの役割を果たしているだけなら、この世界は続きます。何らかの破綻が自然にやってくるその日まで。

 自然に破綻するなら結構なことじゃないか、と思ったそこのあなた。甘いです。あなたが、歯が痛いのに歯医者が嫌で行かずにおいたら、命に関わるひどいことになって皆に担がれて病院に放り込まれ、大治療の末治ったとしても、それはベストな道と言えるだろうか? そんなに「より痛く辛い体験」をしなくてもよくはないか?

 とにかく、できることの第一歩としてやたら「(この世界がそのままの前提での)成功や幸せを奨励する情報」には、ちょっと警戒するようにすることだ。



 この世界の本当の敵の本体・問題の核心は鬼滅の「半天狗」と同じで、非常に分かりづらくなっている上に、倒すのは大変ときているからタイヘンですぞ!

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