ゆるし合う世界

 アメリカで起きた事故らしいが、大学の研究室に出入りしてた清掃員が、耳障りなほど大きなアラーム音が鳴り続けたため、ブレーカーを落として止めた。

 その研究室には冷凍庫があり、特殊な温度調節を維持しないと死滅してしまうデリケートな細菌類を保管していた。アラームはその温度調節に異常が生じた際に鳴るものであったが、清掃員はその知識がなかった。

 大学側は「二十年にわたる研究成果が台無しにされた」として、清掃員を抱える清掃会社を訴え、一億ドル相当の損害賠償を求める裁判を起こした。日本だと会社は「社員が勝手にやったこと」でありむしろ被害者、みたいな感覚で通るが、アメリカだと「その社員を適切に研修・教育できていなかった会社の責任」という発想が強いようで、清掃員個人に罪を問わない姿勢を示した。



 さてこの場合、一体誰が悪いだろうか。誰に責任があるのか。


●清掃員個人


・職務はあくまで清掃。自分がよく分からないものをたとえよかれと思ってのことであっても、安易に触るべきではない。特に大学の研究室などは、素人が勝手に触ると危ないものの宝庫。そのことを弁えておれば、うるさいからといってその元のブレーカーまで落とすなどという暴挙にはならなかった。


・ブレーカーを落としたら落としたで、すぐさま大学の関係者の誰でもいいからつかまえて、このことを報告すべきだった。たとえ残っているのが研究に携わっていない人や警備員であっても、不在の研究者に「こういう事態ですがどうしましょう」と連絡を取ってくれる。その報連相ができていたら、防げたかもしれない悲劇である。


●清掃会社


・言うまでもないが、大学の研究室などという(しかもバイオテクノロジーという)特殊な場所に清掃に行くことがあるような仕事なら、ただのお掃除だけでなくそういう場での立ち回り方や危機管理、一般人には普通でもその場所では「このようなことをすると損害を与える」という可能性に思い至れる人材でなければ送れない。また送ってはいけない。

 ニュースが伝えているように、まさに清掃会社に社員の教育・管理責任がある。


●大学側


・ニュースでは伝えられていないが、大学側は清掃会社と契約するにあたって「この冷凍庫はデリケートだから触れるな。一番やってはいけないのは電源を落とすこと。万が一そのようなことになったら、一刻も早く関係者に報告すること」という念押しをしたのだろうか。強く伝えていたら、清掃会社も新人が行くたびに「これだけは何が何でも気を付けろ」と伝えるはずである。まともな会社なら。

 そこの釘差しが不十分だった可能性がある。


・アラームが鳴った時に関係者がいないというのはおかしい。鳴る可能性のある時間に人が配置されていないというのは致命的。

 そこまで大事な(二十年かけての研究・1億ドル相当の価値)なのだったら、なぜ関係者が無人だったのか。たとえ交代制でも、誰か一人いさせるべきではなかったか。人件費をけちったのか、人を確保できなかったのか、そこまでする「研究愛」がなかったのか? 

 価値の分からない人間を研究室に一人、という状況になぜしたのか?


・落とされて困る電源なら、そこに目立つ注意書きでも貼り付けておけばよい。「落とすな! 事情によりやむなく落とす場合は、直ちに関係者に連絡すること」と書いて、ブレーカーの真横にでも張っておけばよい。


・きっとこれまでにも、そのアラームが鳴ったことがあるはずである。その時に、関係者ならどういう止め方と、止めた後の対処をしていたのか? 研究室が清掃業者だけになる時間があることを知っていたら、「これは伝えとかないと」と、清掃会社に周知を徹底したはずだ。

 そのタイミングでアラームが鳴ってしまう可能性に思い至れないなら、大学の研究などする頭の良さなどない。



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 ニュースの文面だけでは、細かいことが分からない。

 なので、三者三様に上記のような「責任の可能性」がある。真実は分からないが、筆者が勝手に想像するに、「一番悪い奴」というのはこの事件では決められず、どの立場にもそれなりに同じ程度の過失、責任があったというところではないか。

 うまく歯車がかみ合わなかった。「大丈夫だろう」「まさかこんなバカな真似はしないだろう」という大学や会社側の思い込み(バイアス)と、危機の軽視。そして無知から来る「うるさいから止めた」という悪気なくとてつもない損害を出す愚か者。それぞれの思惑が、たまたまうまくはまらず悲劇に至ったケースである。



 大学は会社を責める。表向きはそうだが、研究を台無しにした「張本人」にまったく悪感情がないなど、それはありえないだろう。建て前上のはず。

 会社は、自社にそんなとばっちりをぶつけた個人を恨むだろう。そしてもし大学側がさっき言ったような「徹底したこれだけは清掃時にするな、という心得」の伝達責任を十分に果たしていなかったら、その大学にも不満だろう。

 清掃員個人は、「それなら言っといてくれよ」と思うかもしれない。まぁ、表面上は「一番悪いと思われやすい」立場にいることは本人も承知で、恐縮していることだろう。もしこの清掃員が「いい人」だったとしたら——



●実は、自分が罰を受けるよりも辛い道である。最終的には過酷な処遇である。



 皆さんの中にも、経験がある人がいるかもしれない。

 自分が悪いはずなのに、自分は表に出されず上司が、親が、先生が頭を下げる。責任を取る。自分には、これといったおとがめがない——

 それが実は、一番のなによりの「罰」になるのである。そこで「なんだ、俺ラッキー」と思えるのは、問題外で発想としては下の下である。

 大切に育てた子どもが死んだら、親なら「なんなら自分の命を取ってくれてもよかった。なんでこの子が!」と思うものだろう。それにも似ている。人間、罰はどうにかして逃れたいものだが、それでもそうしない場合というのは「自分が悪いのに、直接関係ない人が責任という名のもとに自分のせいで不相応な重荷を背負わされる事態に、強い罪悪感を感じる」ものなのだ。

 今後、もしかしたらこの清掃員はクビにはならず働き続けるかもしれないが、相当居ずらいだろうし、どこへ行っても「会社に責任を取ってもらい自身はビタ一文払っていないヤツ」と陰口を叩かれ続けるのだろう。



 このように、三者三様に「どこかに責任がある」状態では、三者それぞれが残りの二者を敵視し攻撃していたら、いつまで経ってもその悪感情の経路は途絶えることがない。いつまでも終わりのない無間地獄である。

 三つのスイッチを全部切らないと止まらない機械と同じで、どれか一個とか二個ではなく、三個ともが「残りの二者をゆるす」ということを同時にしないと、負の連鎖は断ち切れない。

 人間社会というのは、まさに無数の個人が蜘蛛の巣のようにつながり、関りをもって影響し合うところだ。表面的には「誰誰が悪い」と思えるような事件でも、解き明かしていけば実にいろいろなところに責任が見いだせるものである。

 だから、分かりやすい「悪者」を責めるだけでは、この世界は永遠に成熟しない。なくて七癖、あって四十八癖ということわざがあるように、ひとつの事件があればそういう事件が起きる社会を本当に改善するためにはまさに数十カ所以上のポイントを、犯人当事者以外の場所で改善しないと、再発は防げない。



●関係者すべてが、残りを「ゆるす」ことでしか、事態はよくなっていかない。



 ゆるす、という言葉を使ったが、単純にチャラにする、ケンチャネヨ(気にするな)ということだと理解してほしくない。もちろん、実際に損害が出たのだから、然るべき償いはあるべきで、刑事的責任は果たされるべきである。そこをゆるしてやれ、ということではない。ただ、相手を感情的に「手放す」ということである。

 悪者探しや、攻撃して責任取らせて溜飲を下げる、というのは知的生命として野蛮の極みである。少しでも地球人類が「ちょっとは他宇宙人に誇れる」存在として立ちたいのならば、感情的にゆるすことで「じゃあこれからどうしていけば、最終的に三者三様に笑顔になれるのか」と前を向ける生き方をすることだ。

 言っておくが、あなたにどんな言い分があろうと、どんなに分かりやすく相手にだけ非がありあなたは全然悪くない(むしろ被害者)であっても——

 ゆるせない心をもったままでは、魂の成長は止まったまま。

 あなたの中の時間も、止まったまま。

 その時計の針を進めたければ、精進しなさい。

 チャラにする、忘れ去るということではない。ただ相手のためでなく自分のために前に進め、ということである。

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