本当に進めてよいことなのかどうかの見極め方

 奈良の大仏は、なぜできたか。

 聖武天皇がつくらせたとされるが、動機は当時日本を襲っていた伝染病、飢餓や政変により安定しない政治状況、戦乱の多さなど、そういったものを解決するには「仏教しかない」と考えた。信心深かった天皇は、仏教をより定着させることこそが国を安定させる、と考えた。

 シンボリックな巨大な大仏を作ることは、彼にとってはまさに平和の象徴であり、多くの民がその威光を仰ぎ見て御仏の教えに従い、世が安定する——そんなことを夢見たのだろう。



 でも、大仏をつくるということはどういうことか。

 造仏事業に従事した人間の数は260万人以上と言われている。当時の日本の人口が600万人と言われているので、ざっくり全人口の半分に近い人間が関わったことになる。しかも、その多くはまともな条件での健全な雇用ではなく、強制労働である。

 途方もない量の銅や錫を必要とし、当時はまだ金属化学などという科学知識もないので、作業場の安全などほぼ確保できていなかっただろう。特に大仏に金メッキを施す過程にあっては「水銀」を扱う必要があり、科学知識もほぼない当時の労働者はこれを吸い込み、中毒になった者が必ずいるはずなのだが、記録がない。 

 当然のことながら、労働力がドバッと全国から集まるため一時的に人口過多になり、食糧が不足し発生する人間の排泄物の量もシャレにならなくなり、当時の都である平城京は(上流階級の住む場所以外)トインデモナイ地獄絵図だったのではないか。寄生虫や伝染病の菌にとってはまさに天国だったろうが。

 遠くから労働に来る人間の行き帰りの旅費なども保障は十分でなく、路上で力尽きて死ぬ者もいた。それら含めて、そんなことになっていたはずなのだがそういった公式な記録がない。

 16メートルもある大仏に使われた金属は10トン以上。その作業過程で、千℃を越える高熱が出、水銀を含んだ蒸気も出るはずでかなりの作業員が健康被害を被ったと思われるが、その記録がまったくない。

 世を良くするために作られた大仏なのに、それを作るために大勢の人間が死に、また不幸になった。小さな犠牲を出しながらでも、大局では世の中が良い方向へ行った、ということならまだ救いがあるが、日本史が物語るのは「大仏建立後も世の中はそう変わらず、むしろもっと大変になる」という報われない史実である。



 マイナンバーカドにより保険証機能を一本化し、紙の保険証は廃止する方向で話が進んでいる。先日の報道で、様々なシステム上の不手際で世間から不安を訴えられている政府は「やめはしない。予定に変更はなく、期日までにしっかり改善していく」と言い切った。政府は聖武天皇のようなもので「これがきっと日本をよくするはず」と信じ切っている。あるいは不十分だと分かっていて、それでも自分たちに利益があるから押し通す。

 実際、町の小さなクリニックからは「意味(実感できるメリット)がない」「お年寄りがたいへん」「本業以外で実務や心労が増えた」などの声が挙がっている。

 システム導入のための設備投資を余儀なくされ、その補助も十分ではない。カネのあるところならまだしも、それで廃業を決める腕利きの町医者さんが少なからずいると聞いた。

 日々、マイナカードに関する「不具合」が何らかの形で報じられており、それでも政府は強気に推し進めようとしてる。全体目的としては「デジタル化は必要」という大義名分のもと、良いこととして推進されているが、その陰で、それに合わせなければならない数々の人の苦労を、全体はあまり見れていない。

 これはまさに、聖武天皇をはじめとして「国のために」と始めたことが、安全圏にいる権力階級側には見えないところで庶民の犠牲があったことと似ている。ひどいのはそのことが「公の記録として残っていない」こと。これは意図的な隠蔽だと言わざるを得ない。



 こうなると、マイナカード推進が本当に良いことなのかどうかが疑わしくなる。まさに「大仏建立はよいこと」という前提で進められたがその過程で「実はメリット以上にデメリットのほうが発生してしまった」ということに重なるからだ。

 もちろん、この世界に「リスクのまったく伴わない改善策」などというムシのよいものはない。なんだって、頑張っても少々の犠牲というか、救えない部分が出てくるのは仕方がない。ただ、その「程度」を問いたいのだ。



●本当に進めてよい政策とは『達成によるメリット>その過程で出る失敗や不幸』が成り立つ場合である。



 いくら犠牲が少ないとは言っても、たまたまその「少ない犠牲」に当てはまってしまった当事者にはたまらないだろう。個別に見ると確かに看過できないが、それを言いすぎていたら大局を動かせない。「TOKYO MER〜走る緊急救命室〜」というドラマのように、毎回毎回「死者、ゼロです!」なんてのはおとぎ話の中にしかない。

 ならばせめて、「大枠ではやってよかった」と判断できるものであってほしい。今でこそ、奈良の大仏は大勢に親しまれ観光スポットとなり、悪く言う者は誰もいない。でも建立当時にあったであろう庶民の「惨状」を見ると、果たして後々観光名所となり重要な文化遺産となった価値はあるといえ、当時たくさんの人々を死なせ不幸にしてまで建てた意義はあるのか、その犠牲に釣り合っているのかと考えると筆者には疑問である。

 別にマイナカードに限ったことではなく、少子化対策や教育問題(あるいは教員の確保や待遇)、格差問題や正規と非正規の雇用問題など、解決すべきは山ほどある。

 私が願うのは、これらの対策に完璧は求めないがせめて「結果にまつわる良い情報と悪い情報を集めたら、なんとか良い情報のほうが数が勝る」というものであってほしい。最低限、政治にはそれを要求する。

 無視できない数の国民が不安視し、不便や苦痛を感じるものなど推し進めるなら、「それでもやりきる」と言った政府の責任は重い。まぁ来秋以降にはその全貌が分かってくるだろうが、その時こそ結果によっては政治家が「高給泥棒」だと言われても仕方ない。

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