神は人間よりも劣る

『地獄楽』というマンガ(アニメ)作品がある。

 時代物で、時は江戸時代。「不老不死の薬が欲しい」という時の徳川将軍の気まぐれというか道楽に振り回され、別に死んでも構わない「死罪人」ばかりを集め、不老不死の仙薬があると伝えられる島へ送られることになる。そしてその仙薬を持ち帰った者を「無罪放免とする」という。

 主人公の画眉丸(がびまる)は、愛する妻にもう一度会いたいという強い思いから、何としても仙薬を持ち帰り無罪を勝ち取る決意で島へ着く。

 ただ、その島にはとんでもないものが棲んでいた……



 いくら刀で斬ろうと、ダメージを与えようと、死なずに再生してしまう。

 死罪人一行は、この島でそういう存在と戦うことになる。見た目は人に見えるが、首を切ろうが腕を切ろうが瞬時に再生する。

 まるで神のようだが、神ではない。その正体は植物と人間を掛け合わせた人造人間で、切断してもすぐに手足が再生するのは、植物の驚異的な再生能力のゆえである。また彼らはタオ(陰陽五行における生命エネルギー)というものの循環により、若さを保ち再生能力を発揮し続ける。人は男か女かなので、単独でタオを創出はできない。ただしその島に住む人造人間たちは、雌雄同体(オスでもメスでもある)ため単独でタオを創出でき、それが続く限りは死なない。

 裏を返すと、神だから死なないというのとは違い、タオの循環を止めさせる手段さえあれば殺せるということになる。ただそれはかなり困難であり、主人公たちのような特殊な戦闘能力をもつ者が来るまでの間、彼らは年も取らず死ぬ可能性もない状況を維持してきた。そしてその「まず死ぬことはない」状況が、もともとは人間であった彼らの「人間性」を奪い去っていった。

 そうした彼らは「天仙」と呼ばれ、主人公たちが戦ってみて分かった彼らの特徴(内的な傾向)は——



①個体差もあるが、基本的に感情が薄い。

②善悪の概念はない。倫理・道徳とも無縁。

③思考が超合理的で、そうでないものに価値を見出さない。

④ガチガチの合理思考の弊害で、冷酷で無慈悲。目的を達成するためなら、どんな犠牲を払おうと意に介さない。

⑤ムダのない思考と動きをするため強いが、裏を返せばムダがない分意外性がなく、読みやすい。創造性がない。

⑥腐るほど時間があるので、常に退屈している。もはや普通の刺激には飽きているため、常に刺激を求める「ジャンキー」なので、これに運悪く出会ってしまった者は、自分が大切に扱われるなどという希望を持たぬことだ。



 永遠の命(厳密には違うが、よほどのことがないと死なないという状況もここに当てはめる)というものは、古来より「理想」として、よいこととと思われて求められてきた。しかし皮肉な話であるが、それは逆に人から人らしさを奪ってしまう。

 私たちは普段、「自分はいつかは死ぬ、死ぬ」なんて毎分毎秒確認して思っているわけではない。確かに、オギャアと生まれたその瞬間から「死までのカウントダウン」は始まっているのだが、そこまで深刻に考えて焦って生きている人はまずいない。皆のほほんとしたものであるが、実はそれでいいのだ。

 不老不死なんてなるもんじゃない、ということだ。



『王様ランキング』というマンガ(アニメ)でも、オウケンという不老不死の敵キャラクターが登場する。どんな攻撃をしても体が再生するので(この場合は黒魔術というか、一種の呪いのようなものでそうなっている)、主人公も撃退に苦慮する。

 不老不死になる前のオウケンは、人を思いやる優しい男だったが、不老不死になってからは残虐なことを平気でするように。(というよりそれ以外のことをしない)

 オウケンの兄の分析では、人はいつか死ぬ、人生に終わりがあることをどこかで知っているから一生懸命前向きに生きようとし、他者への思いやりや愛なども生まれる。しかし、永遠に生き死ぬことはないという状態になり自身もそれを自覚すると、次第に人間性が失われ(なぜなら必要ないし、持っていることが苦痛になるため)、だんだんと無感情になっていき最後の最後には「自我」までもが失われる、ということだ。

 また、オウケンとは別に「神々」という勢力が登場するが、力こそ強大だが中身は人間と似たり寄ったりに描かれている。

『終末のワルキューレ』というマンガ(アニメ)でも、神と人間の戦いが描かれている。そもそも人間は偉大すぎる神に勝てるわけがない(同じ土俵にすら立てない)という宗教的常識がずっと支配してきた中で、こうした作品たちが登場することは実に面白い。人は神に勝てる。ある面では神よりも優秀である。裏を返すと、完璧に思われる神にも欠点がある。その欠点とは「完璧であること」である。



●完璧であるということは、情(感情)という属性が不要ということである。

 なので、間違えるということがないことと引き換えに、合理性(法則性)という枠からはみ出ることはない。つまりは感情や創造性がない。

 つまり、神には愛がない。長年、神は愛なりと言ってきた宗教にはたいへん申し訳ないのだが。愛があるのは逆に人間のほうである。不完全さこそが、弱さこそが愛を生むのだ。より新しいものを生む力、そして法則性の枠を超える「感情エネルギー」はまさに最強と言える。



 あなたは、何かの作品を作る時全力で作らないだろうか? 少しでも良いものにしたいという願いを込めないだろうか? 

 子どもを産むとき、自分よりも立派になるな、幸せになるなと思いますか? いや、自分よりもっとすごい子になれ、自分よりももっと幸せになれ、と思いませんか? 神が人を創造した時、そうしなかったと思いますか?

 聖書に書いていある「神は人間を自身よりすこし劣るものとして創造された」という趣旨の言葉は、まるっきりの間違いである。

 神は完璧な代わりに感情がない。死なない代わりに創造性がない。弱さがないから愛もない。ただ、彼らはそれを自覚はしているので、我々に託した。

 寿命はあるが、間違いは犯しまくるが、それでも創造性と意外性、喜怒哀楽をベースに無限の飽きないドラマを生み出す人間は、もはや神よりすごいのである。

 我々はこのままでよい。自らが勝手に「限界であり弱さだと思ってしまっているもの」を科学力で克服しようとなんて思うな。それは皮肉にも逆で、人間の美点をかえって損なう結果となる。

 銀河鉄道999の星野哲郎は、最初は永遠に生きられる「機械の体」を得るための旅に出るが、その旅路の果てに出した結論は「生身の体がいい」ということ。それこそが人が人たるゆえんだと気づいた。

 この世界で実権を握る層の人間の中で、この気付きを持つ者が一定数いないと、歴史はとんでもない方向へ行くことだろう。

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