結局自分を喜ばすこと

 稲盛和夫という、伝説的な経営者がいた。過去形で書いたが、昨年惜しくも90歳で故人となられた。この方の日本経済への貢献は計り知れないほどのものがある。

 稲盛氏が経営の成功の秘訣について語っていたことのひとつで「これだけは絶対にやってはいけない」と語っていたあることがある。それは——



●物事を損得勘定で判断するな



 これは実はかなり高度な話である。

 多分、普通に参考にしても役に立たない。総じて経済活動(利益を上げる行為)というものは、基本的にそうしないと成り立たない。最初からこの格言を胸に動いても、かなりの確率で失敗する。

 たとば、利益を上げない部門や人材を「かわいそう、彼らにも生活がある」からと切らなければ、それが枷となり共倒れとなるケースもある。

 稲盛氏はサラッと言うが、これはただ「損得勘定だけで動かない」ということを守ることだけでは成り立たない話で、その他の能力を併せ持たないといけない話だ。そこを欠かしてはこのお話はただの美談で、応用不可な話だ。



●損得勘定で判断しない、ということをしてるのに成功できるためには、一見損と見えることに対して「いかにしてプラスにかえていけるか」「それがあっても本来の目的(利益アップ)が達せられる秘策があるのか」というところの見通しがちゃんと立つ人物でないといけない。そこがないのはただの「お人よし」であり、最後は損得勘定で判断する他人に利用されて破滅する。



 話がそれかかっているが、稲盛氏が「損得勘定で判断するな」と言うが、では何を基準に判断すればいいとしているか。

 稲盛氏はそもそも「得度されたお坊さん」でもあったため、その言うことや思想のベースがスピリチュアルがかっている。そんな稲盛氏が言う物事の判断の基準とは「天が喜ぶ判断かどうか」ということだそうだ。天とは、「お天道様」という言葉に該当するもので、もっと分かりやすく言うと「神様」ということである。

 損か得か、という個人のエゴではなく、神様が見た時に「よっしゃ」と言ってくれる(と心から思える)判断をする、ということである。だから、稲盛氏はやらなくても誰にも文句は言われないし本来は責任もない「JAL(日本航空)の再建」に腰を上げた。誰もが反対する中、稲盛氏は会長に就任し、見事業績をV字回復させた。

 何度も言っておくが、「損得勘定で判断しない」ということを意識する意味が生じるのは、ある程度の経営手腕をすでに磨いてる場合と心得よ。その土台の上でこそ生きる思想であって、もちろん最初の最初からその心がけを貫ければ立派だし理想だが、それは地雷だらけの土地を目隠しで横切るような成功率だと覚悟されたし。



 筆者は、稲盛氏の「天を喜ばす判断をせよ」というところに自分なりの意見がある。世の中では、天とか神様とかいうと、自分とは切り離された特別な外の何か、という認識であろう。自分の外に、もっと偉大な何かがいて、自分はそれに比べると取るに足らない存在で、「畏れ多い」という感情を抱きがちである。

 外側に天がある(神様がいる)と考えることは、もちろんいい部分もある。ともすれば傲慢で暴走しがちなになる人類には「畏れかしこむ」という心がけは大事だからである。でも、弊害は自己イメージである。壮大で偉大な天(神・宇宙)に対して、実に自分はちっぽけで矮小な存在という対比。そして、考えることもともすれば自己中心的で、醜い。

 私はずっと、人が神様である、一人ひとりは「宇宙の王」であると言ってきた。それは、今でも変わらない。つまるところ天を喜ばす判断とは——



●自分を喜ばせる判断。



 人は思うだろう。自分を喜ばせる判断=自分にとって得(損をしない)な判断でしょ、結局損得じゃないの! って。でも、深い話をすれば実はそうではない。そりゃ、かなり表面的で稚拙な話だ。

 人は皆神だ。言葉を替えたら、人は皆自分という存在の内に神の部分を抱えている。そしてその神は、普段意識して向き合おうということをしていないかぎり見えないし、その声はか細く聞き取りにくい。無視をするのは実に簡単で、従うのはものすごく難しい。

 世の多くの人はそんな訓練するはずもないので、そんな声など分からないし聞きたいとも思っていない。だから損得勘定がすべてになれる。まれに、別に宗教やスピリチュアルに傾倒していなくても、周囲のすべてを師として学ぶ姿勢のある者が、別に教えられもせずこの声に到達することがある。

 だから、個人という表面上の仮面を喜ばせてもそれは刹那的で持続性がなく、それどころか一瞬間の効力の後寂寥感(虚しさ)が襲ってくるというおまけまでつく。ゆえに、自分(の中の神様)を喜ばせるというのが、個人の損得を越えて「全体(あるいはひとりでも多く)が最終的に喜べてあとあとにまで残る判断は何か」ということになるのだ。

 この「内なる神の声」は、実はしょっちゅう聞こえている。ただ、あなたはそうは扱わないだろう。思ってもせいぜい「自分の良心」という程度で、比較的容易に握りつぶす。この声がもっとも聞こえない人物は、たとえば世に恨みを持っていて「何かの強烈な感情を抱えたまま、偏った宇宙観・人生観(思想)を固く持ってしまい、それ以外の考え方や行動基準は採用しない、と固く決めている」ような人間だ。



 その昔、草彅剛がフードファイター役で主演していたドラマの中で、ラストに勝利を収めたあとで「俺の胃袋は宇宙だ」と決めゼリフを言うシーンが毎回あった。

 皆さん自身がひとつの宇宙であり、形を変えた神様である。あなたがその気にさえなれば、本来の自分であるその声は聞こえてくるだろう。その声に聞き従う者皆が皆、世間の言う「幸せ」になるとは限らない、キリストや釈迦、ジャンヌ・ダルク然り。従ったがゆえに、表面上はたいへんな人生となった者もいる。

 ただ、ひとつのことだけ保証しよう。たとえ、世間の言う成功や幸せを得られなかったとしても「一人で死んでいくときに、最後たった一人の味方である自分が『よかったよ』と評価してくれる」。これはお金や生きてる時の成功では買えず、何よりも貴重である。

 稲盛氏は、きっとこの宝を手土産に、この世界を旅立たれたのだろうと思う。

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