頭隠して尻隠さず
これは実話らしい。
ある若い女性が、社員十数人ほどのある小さな会社に正職として就職した。
その女性の住む地域では「社長自らがトイレ掃除を行う会社」として知られ、そういうところはいい会社だろうと考えた部分もあり、入社を決めた。
でも、聞いた話(理想や想像)と実際はゼンゼン違った。
確かに、社長自らがトイレ掃除を行うというのは本当で、トイレはいつもピカピカだった。だが女性にはひとつ困ったことがあった。
●トイレには使用済みナプキンを入れるものがなにも置いてなかった。
社長は男性で、しかも朝早くから掃除を行っていた。
トイレ掃除をする点は立派だが、残念なことに男性であるがゆえに女性のそういうところには疎かったのだろう。女性は、社長に「容器を用意してほしい」とは言いだしずらかった。
皆困らないのだろうか? と考えたが、自分以外の女性社員はパートで短時間で帰っていくか、年配の女性しかいなかったので成り立っていたのかもしれない。結局社長に言い出せず、ナプキンは自分でビニール袋に入れて縛り、臭いが出ないようにして持ち帰っていたという。
こんなところでやっていけるだろうかと悩んだが、その悩みも無用となった。三か月の試用期間を待たずに、わずか一ヵ月ほどでその女性は社長から解雇を告げられた。一体何が原因かは教えてもくれず結局不明。女性当人にも解雇されるような心当たりがなかった。
これだけでもひどいが、さらに極めつけな出来事が。社長は十万円ほどの入った封筒を女性の手に握らせて「これで自主退職したことにしてほしい」と懇願してきた。
なんでも、会社都合の解雇だと会社が雇用保険関係の助成金を受けられなくなるのだという。これにはあきれて「あんな会社後にも先にも見たことがない」。
トイレを社長自ら掃除する、というのはこの社長の人格の高潔さがにじみ出ることで自然と生じたのではない。おそらくだが、何かの成功哲学本とか一流社長はこうしてのし上がった、みたいな手記のようなものでも読みかじったのだろう。トイレを社員まかせにせず自ら掃除する社長、みたいなエピソードがきっとあったのだ。
その話題の本質はトイレ掃除という行為そのものにはなく「トップ自らが前線(現場)の苦労を買って出ることでその実情に触れ、全体をよく把握する」ことに意味がある。トイレ掃除云々というのはあくまでも「謙虚さ」「あくまでも社員を対等の同志として認め、目線を同じくする」ということを達成するための手段のひとつであって、その意図がないのにただカッコいいからと「社長がトイレ掃除をする」という行為だけモノマネしても無意味である。
この文章を読む方の中には、特定の宗教やスピリチュアル・あるいは自己啓発系の内容や成功哲学などに興味があって実践している方もいるかもしれない。
よくよく振り返ってほしい。あなたがするそれは、さきほどの社長のように「やってはいるがそれは行為をなぞるだけで、本質が分かってないので結局無意味」なことになっていないだろうか? と。
すべての宗教的・スピリチュアル的教えの神髄や実践というのは、伝聞という文字情報だけではその本質をつかむことは簡単ではない。それを何か、表面的なことを実践していともたやすく「分かった気・身につけた気になる」ような愚は犯していないか? トイレ掃除など、行為だけ何千回繰り返してもそれは何の価値も生まない。
産むとすれば、それはその行為に「どんな思いや願いを込めて、乗せて」行うのか、ということがしっかりと定まっている場合だ。そこにどんな人の顔が思い浮かべられて、どんなふうになったらあなたは幸せなのか。
先ほどの社長に致命的に欠けていたのはそれで、そんなだからトイレ掃除をする社長ではあっても、
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