どんなに完璧に思えるものでも

『ゼルダの伝説』という人気ゲームの新作が発売された。

 その購入にまつわるある失敗談が、SNS上で注目されている。

 失敗の一番の要因は「セルフレジ」である。ある男性が、コンビニで同作を購入、はやる気持ちを抑えつつ、さぁ始めるぞと外箱を開けたら——

 なんと、中身はカラっぽ! 男性は一瞬パニックに陥るが、外箱(パッケージ)をよく見てみると、普通の製品にはない表示が目についた。



●これは見本の空箱です。ご購入の際はこの空箱をレジまでお持ちください



 なんとこの男性は、空箱をセルフレジでピッと通して、お金を払って帰ってきてしまったのだ。これは人間のレジなら起きなかったであろう間違いだが、セルフレジだからこそやらかせてしまった。

 あとで店に戻り事情を説明したら「ああ、お金払って現物もっていかなかった人ね」と把握されており、無事本物のソフトを渡してもらえたということだ。

 この投稿に対しては「分かる」「セルフレジあるある」「自分もやらかしそう」などのコメントが多数寄せられた。



 この男性は、自分が空箱を本物と思い込んで持ち帰ってしまったことに気付くまでは、空箱を本物と信じて疑わなかったわけである。完全にそういう認識であり、1ミリの疑念も抱いていなかった。

 この話を聞いた時、思った。この世界における宗教やスピリチュアル、果ては哲学や自己啓発的内容を含めた人生訓や格言に至るまで——



●すべて、このゼルダの「空箱」と同じだ。



 この世界に、宇宙の終わりまで揺るがない内的・精神世界的「真理」はない。

 すべて有限で一過性のもので、時代と共に移ろい時の政権や人間の都合で物事の善悪すら変化していく。世界でもっとも広がりを見せたキリスト教も、その屋台骨はこの世界の精神的支柱の役割を果たし切れなくなっており、仏教も釈迦が「私の教えは千年ももたない」とほのめかしたように、それは現実となっている。

 現代では、格式ばった伝統宗教は右肩下がりで、その型を破った新興宗教や、宗教ほどに教義の遵守やそれに準じた行いを要求されずに済む、ライト感覚でできる「スピリチュアル」のほうがまだ盛り上がりを見せていると言える。

 かく言う私も、そのジャンルを語る人間の一人であるわけだが、私が常日頃わきまえていることは——



●私個人としては全力で「こうだ」と思うから、自信があるからこそ言うのだが、でもそれは他人のユニバース(宇宙)はまた微妙に皆つくりが違い、決して当てはまることばかりではない。

 個が違えば、置かれた環境とその人物の外界認識手段の特性、時代と場所と人種の民族性によってはまったく違うルールが適用される。1たす1は2、のような万国共通で誰も反対しない数学的・科学的真理(法則)は別として、人の内面や見えない世界を扱う言論や論理は、何ひとつとして絶対なものはない。



 世の宗教の教祖や、盛り上がっているスピリチュアルの提唱者などは「自分の伝えていることは真理」であるというニュアンスをもってメッセージを発している。

 他人に勧める、広めるという行動をもし取るなら、それは「正しいと自信があるからこそよかれと思って人に勧める」のであり、言い換えれば「真理だと思ってなければ他人を捕まえて勧めるなどとうていできない」ということである。

 悪いことは言わない。この世界のすべての「内的真理・あるいは法則」に言及するすべての発信は、「自分こそ正しい」という部分を取り下げよと。



 神様を信じている人がよく言うセリフで、次のようなものがある。

「神は、信じている人にとってだけいるとか、信じてない人にとってはいない、とかそういうものではない。いるかいないかで、もしいなくても信じている我々が恥をかくだけで済むが、もしいたらあなたのほうは大変なことになりますよ?」

 要するに、神の存在についてうやむやにせず、是非私たちと考えませんか? ということである。まぁ、信者を増やすためにこちらに引き込む作戦である。

 ここで、ちと意外なことを言おう。



●冗談抜きで、神は信じている人にだけ存在して、信じてない人にはいない可能性がある。



 実は、これが成立してしまえるのだ。この世界の特性ゆえに。

 ひとつひとつの意識が世界を作り、見た目には大勢がひとつの世界に収まっていてまったく同じルールに則って生きているように見えるが、実は人の数だけ宇宙が数ミリのズレで重なって影響し合っている『多重構造』になっている。

 たとえば、霊感が強く幽霊がよく見え、いるのが当たり前な人がいる一方で、生涯そんなものが見えず霊現象に悩まされることもなく、むしろ一度は見たいとすら思ってるのについぞ縁がない人もいる。でも、霊が見えなくてもメッセージが聴こえなくてもその人は人生でゼンゼン困らない。

 つまりは、そういうことである。幽霊が存在する宇宙と、必ずしも要らない、出てこない宇宙をそれぞれに持ち、体験しているのだ。どっちも正解で、「幽霊はいる」という意見と「そんなものいない、信じてない」という意見が、どちらが正しいかの座を懸けてケンカするのは愚かの極み。

 それが肌に合う人、好きな人だけがやったらいい。信じたらいい。そうでない人には、無理に勧めない。誘わない。しゃかりにき広めない!



 どんな考え方だろうが、今どんなに権威があって「真理」や「悟り」を語ろうが、例外なくいつか「自信満々だったそれが空箱だったと気づく」時が来るものだ。

 その時になって慌てるのは愚かだ。せっかく私がいまこういってあげているのだから、あまりご自身が今持つ世界観や信念に自信を持ちすぎないことです。

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