古畑任三郎

『古畑任三郎』という、古い刑事物のドラマがある。

 今では大御所脚本家である三谷幸喜さんを世間に知らしめた、初期の代表作。また、古畑を演じる田村正和さんの助演をつとめた西村雅彦(現在はまさ彦と改名)さんのブレイクのきっかけとなった作品でもある。

 この作品を面白くしているのは、事件の犯人は最初から分かっていて、主人公である刑事の古畑が鋭い観察眼で不自然な点、犯人としては完璧だと思っていても見逃してしまっている「失敗」を見つけ、最後には犯人を追い詰めるという展開。



 人間は、誰しも「自信」を持っている。

 そう言うと違和感のある人もいるだろう。世の中には「自分なんて」と自分に自信がなく、自己否定や自己卑下をする人があふれかえっているのに? と。

 私がここで言うのは、そういう種類の「自信」ではない。




●自分の「世界に対するものの見方」、いわゆる価値観や世界観に関する根拠のない自信。



 例えば、自分には価値がないと考える人には、「自分には価値がない」と判断したその自分の判断(評価)に自信を持っているのである。

 人は皆それぞれ世界にひとつしかない、本人だけのフレーム(枠)を持っていて、それを常に可視できる世界に当てはめて見ている。人間同士コミュニケーションをしている間は「他人も同じものを見、同じものを聞き触れている」からこそ成立していると思うだろうが、実はそれぞれ全く違う世界が見えている。

 人間として自分に自信のあるなしは関係なく、自分が持つその「ものの見方」に関しては、たとえ子どもでもホームレスの方でも、絶対の自信を持っているのである。さっきも言ったが自分がダメだというのは「そのことに関して自信を持っている」。



 でも、世界はあっさりそれを裏切ってくれる。あなたが思うほど、世界は単純ではない。あなたの予想や見立てを軽く超えてくる。



●あなたの触れるその世界は、古畑任三郎のようなものである。



 あなたがいくら、世界はこうだと思っても。あの人はこうだ、このことは良い悪いと自分なりの正解を導き出しそれを最終回答だと思おうとも。

 古畑が、あなたが気付けなかった小さなことさえ見逃さず、犯人の思い込みや虚しい自信を打ち砕くように、あなたに思い知らせる。犯人にとって古畑は敵であり都合の悪い人物だが、裏を返せば「救い」でもある。もし、担当刑事がボンクラで犯人が逃げおおせたら? 表向き逮捕されず普通に暮らせる犯人は得をしたのだろうが、その内面がどうであるかは別の話である。



●つぐなうべきときに責任を取らせてくる相手は、あなたの敵ではなくあなたを救っている。



 あなたが小さな自信を根拠に世に立ち向かい、その相手の大いなることを見誤り痛い目を見た時。世界はあなたに冷たいのではなく、救ってくれているのである。

 もちろん、それに気付けないでいることもできる。腹立たしさを抱えたまま一生を終えることもできてしまう。だがそれはあまりに悲しく寂しい。

 古畑任三郎のドラマ中では、犯人はたいていの場合無様なことはしない。自分の負けを認め、決して古畑を憎んだような様子は見せない。むしろ清々しささえ感じる表情すら見せる。



 負けました——

 世界という、分かっているようで実はゼンゼン分かってなどいないすべてのものに「サレンダー(降伏)」する時。古畑に負けを認める時、それは本当の意味での負けなのではない。犯罪を暴かれ、隠しきることに失敗した犯人は、古畑に降参することで実は「負けてない」のだ。人生の再生、自分の弱さから逃げないという部分で、社会的にはしんどい状況だがまた「生き直す」機会を得られたからだ。

 逃げおおせてしまっては、その道が一生閉ざされる。そういう意味で、良薬口に苦しではないが、あなたの都合におかまいなく色々と不都合な現実を突きつけてくるこの世界は、実はあなたに冷たいのではなく回りまわっていつかは「あなたのためになる」材料を提供してくれているのだ。

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