好きなことを仕事にするとどうなるか

 私のようになります。(笑)

 今、毎日好きなことを書いて、動画配信も好き勝手しゃべっています。スタッフもいないし、バックに何もついていないので、ああしろこうしろ、こういうことを言え言うなと指示する人はいません。自由です。

 それでお金が入らなくても、「こんなことではいけない」と改善策やリサーチ(世の中ではどういうものに人気があり、どういうことを言うとうけるのか)を提案してくる人もいません。

 つまり、何にも責任を負わなくていいということです。ただその引き換えに、お金はもうかりません。なんとか死なずに済んでいますが、決して余裕のある生活ではありません。



 仕事とは、当たり前ですが責任が伴います。

 仕事というものは宿命的に、自分ではなく他人(社会)にその主軸を置かねばなりません。あなたという人間がその中心の役に立たねばならない。役に立つことでお金をもらう。好き勝手はできません。かなりの程度、他人の要求に合わせる義務が出てきます。もっと言えば「他人の要求するものを提供しなければならない」のです。



 あなたが自然体でしていたことが、この情報化社会の時代にあってたまたま世間の目に留まり、注目されることがあるとします。あなたの動画にアクセスが集まり、いきなり「時の人」として祭り上げられるようなことがあるとします。

 そうすると、あなたというネタにお金の臭いを嗅ぎつけた「聞いたこともない世界の人」がハイエナのように群がってきます。まれに本当にあなたの人生のためになる出会いもあるのですが、そうは言ってもたいていは言った通りなので、言葉のチョイスが気に入らないという人には一応謝っておきます。

 色んな人が名刺を渡してきて、何らかの話に乗らないかと言ってきます。物腰も口調も「あなたが王様か王女様か」のようですが、その実考えているのはいかにお金になるかです。

 かなりちやほやされるので、勘違いしやすいです。ついに好きなことを仕事にできる、と。好きなことでお金になって、人生バラ色だと。でも、遅かれ早かれやってきます。お金や人気に関係なく、ただ「それをすることが好きだった、ただそれだけに自分のペースで向き合っていられた」日々を懐かしく思う日が。そしてできれば時間を戻したいと思える日が。



 最初は良いのです。

 鮮烈なデビューというのは、その人のしたいこと純度ほぼ100%のもの。

 例えば作家なら、新人賞など何かの賞で、選考員に選ばれるという形です。もちろん提出した作品は、誰からも指示をされず、伸び伸びと書いたもの(であるはず)です。作品には間違いなく全力の「その人」が込められています。

 でも、ひとたびデビューして出版社と契約し、編集者の担当が付くと、その日を境にあなたはピュアな物書きとしては死にます。新たな、職業作家としての命が始まるのです。今まではなかった「他人のダメ出し」がつきまとう日々となります。

 さっきも言った「他人が要求する」「お金になる」ものにする責任があなたに生じるのです。そこで「自分が本当に表現したいもの」と「外の世界があなたに望むもの」とが一致しない、ということに悩むことになります。

『響~小説家になる方法~ 』というマンガ作品(アニメ・実写映画化したものもあり)があり、私も愛読者です。物語としては素晴らしいですがフィクションです。響のような人間は、成功している作家たちの中にも一人いるかいないかくらいのことで、悪く言えば「非現実的」です。「ドクターX」という医療ドラマのヒットもそうで、非現実的な部分が裏目に出ず逆にそれが面白みになったのであり、決して医者として目指すべき理想像ではありません。(ってかムリです)それを皆分かった上で楽しんでいるわけで。



●この世界において好きなことを仕事にする、という言葉は100%の意味で成立することは絶対にない。



 おおまかな空気ではそう言えるでしょうが、本人は言わないだけでどこかに「仕事が成立するためにムリをしている部分」があるものなのです。いいやそんなことはない、毎日心から好きなことだけしてお金になっていますよ、と言う人はウソをついています。コナンくんか金田一くんに見抜いてもらわないといけませんね!

 だから、「好き」全開でいられるのは無名時代だけです。趣味で狭くやっているうちです。人なら誰しも、同じやるならその道で大勢に認められ知られ影響を与える人間になれないかな、と夢見るものです。でも、夢は夢のままのほうがいいかもしれません。もそのすごい確率であなたが「そうなってしまった」場合、「こんなの聞いてない!」と思うことが、いっぱいおまけでついてくるからです。

 有名人になること自体が悪いことなのではありません。誰かしら、そういう役割の人間は世界に要るからです。ただ、今の資本主義社会(自由競争社会)という枠組みの中で有名人になるということが、たいへんなことだというだけです。

 だから、有名人になることで不幸にならないためにも、行き過ぎた商業主義のまかり通るこの世界のシステム自体を変えていく必要があります。今の世の中のままで、何らかの形で「好きを仕事にすること」は、想像以上に大変で危うい道です。下手をすると「好きを仕事にしている」というのが名ばかりな状況が生まれます。



 だから私は、おとなしくしています。

 不器用なので、あまり合わせようとすると「好きがもう義務や責任になってくる」からです。中にはその枷があっても才能を発揮し続けられる人もいますが、私はとたんにダメになるほうです。(多分どこかでケンカになるか、それだったらもうええという話になります)

 大勢の人にとって「好き」を無理なく仕事にできる日は、今の人類見てたらまだまだ先ことのようです。少なくとも、今の中高年世代が生きているうちにはムリでしょう。別に好きなことじゃないのだけど何とかできる仕事があって、その余暇で人に文句も言われず好きな趣味を楽しむ。今の世の枠組みでは、このタイプの人のほうが何かの道での責任ある有名人よりも「幸せ度が高い」かもしれません。

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