地球はあなたを中心に回っていない

 大昔、3年B組金八先生という、今の時代は多分通用しない伝説的な教師ドラマがあった。自己中な言動をとるある生徒に、先生が怒鳴る。

「地球は、君を中心に回っているんじゃない!」



『推しの子』という、今人気のアニメ(マンガ原作)がある。

 そのお話の中で、恋愛リアリティーショーに主人公が出る。そのメンバーの一人が悪気なくした失敗を世間に悪くとられ、誹謗中傷を受け自殺寸前までいく。

 確かにそれは、見る人が見れば自殺者を出して打ち切りとなった「テラスハウス」を連想させる。実際、その被害者遺族の方がこのアニメのことを知って、非常に残念に思っているというようなコメントを出したと聞いた。

 確かに、あんな悲劇を繰り返してはいけないし、そういうことが起きないよう気を付けていく義務が我々にはある。だが、この件ばかりはいくら悲しいことを経験した人の言葉とはいえ味方できない。



●世間には、あなたの事情など関係ないところで、あなたの気持ちとは関係のない世界で生きている人たちがたくさんいる。そういう人たちが、あなたの気持ちなど分からないで生きる権利を認めなさい。



 確かに私たちは、恋愛リアリティーショーで大事な人を失った経験などないので、推しの子のきついそのエピソードをひとつのエンタメとして見れてしまう。自分ごとでないからだ。それは認める。

 だからといって、世界中の悲劇を拾って、すべて誰も傷付かないように覆い隠さないといけないのか? そんなことをすれば、この世界が成り立たなくなる。

 すべて小説・マンガ・映画・ドラマの創作・制作がストップする。だって、あらゆる人が違う種類の苦痛を何かしらに背負っているからだ。どんなものでもそれを見れば傷が疼く人が誰かしらいるのだ。ある人が言っていたが、今回のがダメなら、運転免許更新の時に見せられる、交通事故関連の重い再現ドラマもアウトになる。

 お子さんを恋愛リアリティーショーで亡くされたことには、心から同情する。だが、それとこれとは話は別だ。筆者は、今回の件は「自分が被害者だという立場の出過ぎた利用」だと思っている。言っていい範囲とダメな範囲というものがあり、推しの子への文句は、悪いがわがままだ。



 小学校の時、私のおばあちゃんが死んで、そのあとのお葬式があった。

 孫に甘々なおばあちゃんではなく、しつけは結構厳しい人だった。でも、それは表面上のことでその実は優しい人だった。

 お葬式の後、親戚が集まって食事をした。その近くでテレビがついていて、どこかの漫才師が面白いことを言って観客を笑わせていた。

 その時思ったものだ。僕はこんなに悲しいのに、別の世界ではくだらない冗談に大笑いしている。この差は何なのだろうと子ども心に思った。世界中のみんな僕と一緒に悲しんでくれたらいいのに。この気持ちを分かち合えたらいいのに、と。

 でも、時を経て悟りという観点から思う。それは人としてはあっていい気持ちだが、宇宙の仕組みを受け入れサレンダーするならば、それはただのわがままなのだと。すべて人生は生きているその人のもので、ある人は悲しみに暮れていてもある人はそういうこともなく笑い転げる。それがこの世だ。

 同じある時間を生きていても、そのまったく違う二つの世界・時間は共存しなければならない。ある事情の元で怒っている人、笑っている人、泣いている人がいて、そのどれもが尊重されなければならない。

 あなたが大事な人を失った時に、違うところで変わらない日常を楽しんでいる人がいても、うらめしく思うべきではない。今ではないだけで、いつか彼らの番も来るのだ。その時まで、笑わせてやってくれないか。そのくらい、寛大になれないか?



 推しの子を楽しむ消費者も、創作した作者側も、誰もテラスハウスの被害者遺族を笑ってはない。どれひとつ嫌な思いをさせてやろうか、などと1ミリも思っていない。ただひとつのエンタメとして作品を作り、受け手は楽しんでいるだけだ。この地球で、恋愛リアリティーショーによって縁者が亡くなったという体験をした人は圧倒的にレアなのだ。そのほんの砂粒の人のために、そういう世界を描くのを自粛せよとは、言い分に無理がある。

 皆さんも、一人ひとり色々な事情を抱えて生きているだろう。その中で、普通の人には問題なくても、あなたにだけ問題があることというのがあるだろう。これは目にしたくない、聞きたくないという何かが。

 でもそれは、自衛するしかないのである。世の中に「目に入らないようにお前らが努力せんかい」では、あなたはいったいどこの国の王様なのだ?

 自分と事情が違う人間が快適に生きる権利を認めるのだ。たとえば、極端な菜食主義者は、肉を平気で食らう人たちのことを口に出さずとも蔑んでいるということがあるかもしれない。ちょっとまえも、ある感動系の映画の広告で「この作品を見て感動できるかどうかで人間性が分かる」みたいな内容が炎上した。



 あなたにどんな信念があろうが、思いがあろうが関係ない。

 事情の違う人々が、同じ地球という場所で共同で生きているのだ。そりゃあなたが辛い時笑っている人もいるだろう。恋愛リアリティーショーで身内をなくし、そんなもの目にもしたくないし無くしてほしいと思う人がいる一方で、それを視聴して楽しむ他人がいる。その他人を悪く思わないことが、自分だけ特殊な事情で苦しむ人が幸せに生きれる秘訣である。

 他人にあなたは分かってない的なことを言いだすと、無間地獄に陥る。どこかで見切りをつけ、他人が自分の気持ちを分からないことについて認め受け入れるのだ。悲劇さえ生まないならそういう恋愛リアリティーショーは今後もあっていいし、そういうものを描いたドラマもあっていいと。



 地球は、あなたを中心にして回っていない。

 人の数だけ中心があるのだから、どこかで折り合いをつけることがよりよく生きるということである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る