缶コーヒーを認める

『子どもとの会話が弾まない親に欠けているたった1つのこと』



 そんなタイトルのネット記事を今朝読んだ。

 そこにある読者からこんなコメントがついた。



「たったひとつのこと、とか~が~なワケとか、そんなタイトルの記事がネットにはあふれかえっているけど、アクセス解析で有効性が実証でもされているのか?

 子育てにおいてたったひとつの正解はない。なぜなら親も子どもも十人十色だから試行錯誤しかないんです。今上手くいっても明日通用しなくなるなんてザラで、その都度格闘していくしかないんです」



 そのコメントに、さらに返信の形でコメントがついた。それが以下。



「たしかに、ちょっとタイトルはちょっとアレですけど、悩んでいる人ってのは何より具体的な方法(分かりやすくどうしたらいいか)が知りたいものなんですよ。

 子育てに正解なんてない、今日は良くても明日はダメかもしれないから簡単にそんなもの求めるな、ってのは確かにそうなんですけど、その正論を今悩んでいる人に言っても仕方ないんです。きっとモヤモヤしたり反発したりされるだけです。

 なんで、書いてあることが絶対の正解じゃなくても、それはお前の家庭の話だろってツッコめる話だとしても、それを読むことでやってみようって気になる人が出たりして何かの改善のきっかけになるなら、それほど目くじらたてたものでもないんじゃないでしょうか」



※上記のやりとりはネットからの原文ママの引用そのものではなく、筆者になりに言い換えたものであることをお断りしておく。



 みなさんもウンザリするほど目にしているんではないだろうか。

『~できる(成功する)たったひとつの方法』

『~が~なワケ』

『成功する人が(金持ちが)実践している(心がけている)ったったひとつのこと』

 こういった記事が響かない人というのは、「それはその言っている人にとってはそうなだけで、実際は色々」であるという視点を冷静に持っている人である。

 悪い言い方をすると「自分には関係のない問題」のことだから、そのように醒めて見れるのである。これが、悩みの渦中にある人だったら、そんな「何を言ったって絶対にの正解などない」という落ち着いた心境でいるのは不可能で、わらをもすがる思いで助言になるような言葉を探しまくり、該当する「~なワケ」「~なたったひとつのコツ」というような記事を見つけようものなら、鼻先で笑うどころかありがたく拝読するであろう。



 筆者も、そういうタイトルの記事を見つけたらまず悟りの視点から「正解などない」という視点から見てしまうので、個人的には相手にしない。(まず読まない)

 でも、たまに「世の人は何を考えているんだろう?(こういう時はどうするのが正解だと考えるのだろう)」という興味から、参考までにとあえて目を走らせることがある。

 今回の記事も、「そりゃおめー(おめーの家庭)だからできんだろ」という話だった。出版したビジネス本が今一番売れている著者が、子育てについて意見を求められた際のインタビュー記事に、『子どもとの会話が弾まない親に欠けているたった1つのこと』というタイトルがつけられてたもの。

 ホリエモンこと堀江貴文氏がよくつかう言い回しで「~なやつ(するやつ)はバカ」というのがある。なんだかイヤな感じだが、なぜこの言葉にいい印象が持ちにくいのか。仮に本当にそうだとしても。



●その~するのはバカということをせざるを得ない立場にいる人に対する思いやり、配慮が微塵もない。当人の思う正解以外を選択する人間も一生懸命生きている、というリスペクト視点が欠けている。


 

 確かに、ホリエモンの言う通りのことはあるのだろう。彼の言うとおりにしたほうがいいこともあるだろう。ただ、「~はバカ」と言えるのはそんなバカな真似をしなくていい「恵まれた境遇」にいるからだ。自分が今そう在れることへの「お蔭様」の視点がなく、他人がそうせざるをえない状況にあることを理解する気がない。

 だから、私はここに日々書ているようなことが言えるのは、そう言える立場にあるからで、すべて諸々の縁起の「お蔭様」なんだなぁと思っている。

 たとえ私が言うようなことと真逆の生き方をしている人でも、それはそういうストーリーの人生なんだろうから、それを御担当されてるその方に頭を下げる。私とあなたの人生が交わることはないだろうけど、それでもご苦労さん、って。



●すべての正論は、宿命的に「上から目線」であることを分かっておくと、要らぬ腹は立たない。ああ、それが言えるということはあなたの人生その点に関しては問題がないのね、おめっとさん! くらいに思っておくといい。



 少しでも悩める人の参考になったり、力になるケースがあるのなら、そういう「たったひとつのこと」みたいな誇大広告なタイトルの記事もまぁあってもいいか、という気になる。頭のいい人、精神ステージの高い人は、基本黙っておきなさい。どうやったって、あなたのその高い境地からは、地べたを這いつくばって今を必死で生きている凡人の気持ちや思考などちゃんと思いやれないんだから。



 考えてみると、~なワケとかたったひとつのこととかいうタイトルのお話は、『缶コーヒー』みたいなもんかと思った。

 コーヒーにはうるさいある男が、ある時までずっと「缶コーヒー」を否定し続けてきた。本格コーヒー好きからしたらゆるせないのだ。あんなものが「コーヒー」と名乗るのを。

 でもある時、好意を寄せているある女性が「はい、あげる!」と缶コーヒーを手渡してきた。そして期待するような目で見るのだ。男は、これは今缶を開けて口をつけ、「おいしい」と言うのを期待されているのだ、という空気を読んだ。

 相手からはよく思われたい余り、男は日々のポリシーをかなぐり捨て、缶コーヒーに口をつけ、「おいしいよ。ありがとう」とさえ言ってのけた。

 でも、実はそれほどむりをした言葉でもなかった。何十年かぶりかで口に入れてみたそれは、ずっと嫌悪してきたほどではなかった。もちろん、好意をもつ女性の提供してくれたものだという心理的な効果もあるだろうが、それでも思ったほどまずくはなかった。

 で、彼はこう結論付けた。



●これはコーヒーではない。『缶コーヒー』という名前の別の飲み物なのだ。そう思えばこれはこれでアリだ。



 高い視点からはくだらない記事でも、そりゃひとつの可能性であり方法のひとつだろうが、たったひとつは言い過ぎやろ! と思っても、認めようと思った。

 だって、世界のどこかではそれですらすがる人がいて、必要な人がいて、その中からさらに「役に立った」という人が出るのだから。

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