完全無視で構わない批判とは

 他人の意見(批判)は素直に聞いたほうがよい、と言われることがある。

 そういうものを無視、回避したらそれは自分の弱さゆえの「逃げ」であると。ちゃんと向き合って真摯に対応することができるほうが成長するとも言われたりする。



 確かに、多様性の宝庫であるこの世界では、そうしたケースもなくはないだろう。しかし、なくはないというだけで、実情はレアケースだと言っていい。

 ではここで、完全無視で構わない批判(苦言)とはどんなものかを示そう。おおよそ以下のようなものである。次の三つの要件のどれかにあてはまれば、安心してスルーしたまえ。ひとつどころかふたつ、みっつ全部とかならその批判は空気のようなものとして扱いなさい。



①言葉遣いが汚いもの。


②言葉が汚くなくても、読んでいて刃物に切られるような冷たさしか感じないもの。いいところには何一つ触れず、徹頭徹尾否定しかしてこないもの。


③文章が長い。(これを言いたいがためにこれほど言葉を使う必要はないだろう、というほどにくどい)



 あと、心無い言葉に傷付かないために、上記の判定に加えてもうひとつの視点を持つことが大事である。



●その人物は、あなたが本当に間違っているというよりも、その人の信念や考え方にとって「あなたの意見が都合が悪い」「あなたを認めてしまうと自分が間違っていることになる」から、自分を守るためにあなたを否定してくるだけである。



 要するに、単なる都合というやつである。

 自分が間違っている、あるいはおかしいということをたとえ間接的でも突き付けられた人間は、精神ステージが低いと異常なほど反応する。それこそ刺激された狂犬ほどに、獰猛に噛みついてくる。余裕がないので、言葉遣いもぞんざいになる。

 言っても言っても言い足りないため、文章が長くなる。



 また、本当に相手のためを思って、相手の幸せのために間違いを正したいのなら、言い方が紳士的に穏やかになるだけではなく、ひとつくらいは褒める。

 北風と太陽の話があるだろう。きつく冷たい風で吹き付けるだけなら、旅人はコートの襟を閉ざしてしまい、決して脱ごうとは思わない。ポカポカ暖かく照らす必要がある。ゆえに、相手に自分の意見を聞いてもらおうとするなら、まずは相手のいいところを評価するなりして、その上で「でもここだけはこう思うのですけど、いかがでしょうか」という流れにすると、まだ相手も考えてみる気になる。

 多少でもまともな議論をする気があるやつなら、建設的ないい方をしてくる。ちょっとは批判を聞く側を「配慮」する部分が観察されるものだ。

 聞いていて、こちらがただ不快しかないような文章なら、相手には議論する気がないということだ。単に、あなたにダメージを与えられたらそれでいいのだ。

 何もそういうやつの思い通りになってやることはない。まったく相手にせず無視することで、そしてあなたが心穏やかな日々を送ることで、そんなやつらに一矢報いてやりなさい。

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