知識が知恵となるためには

 芥川龍之介の短編小説『杜子春』では、お金に困って途方に暮れている若者・杜子春にある老人が近づいてきて、そんなにお金が欲しいならある場所を掘ってみろ、と教える。そして言われた通りに掘って見ると、そこには大金が埋まっていた。

 いくら大金でも、使えばなくなる。お金が尽きた時、それまでいた友達もサァッと波が引いたようにいなくなり、また杜子春は最初と同じ状況になる。困ってまた街角で佇んでいると、あの老人が来てまた同じことになる。

 それも三度目になって、また老人が「お金がほしいならここを……」と言いかけたのを遮って、杜子春は「もうお金はいいです」と言った。彼は三度も同じことを繰り返すことである学びを得たのだ。そして杜子春は、その老人を仙人だと見破り、自分もなりたいと弟子入り志願を申し出る。



 ここで、ふたつほど疑問が生じる。



①仙人なら、正しいことを教えるのでは? お金でできる贅沢や友達に本質的な価値はない、と正解を最初から教えず、わざと間違いを長年経験させ、遠回りをさせたのはなぜか。



②杜子春が三度目に断らなければ、仙人は何度でもお金を与えただろうか。たとえばこれが五度六度になったとして、仙人が「いい加減気づけよ!」とネタバラシすることはあっただろうか。



 これに、筆者なりの答えを言っていこう。まず①に関して。



●学びとは、一面的なものでは成立しない。

 ある問い(問題)に関して、正解だけを理解すればいいのではない。

 なぜそれでないと「不正解」なのかも含めて理解して、初めてそれは生きた知恵となる。その二つが揃わないと、正解を知っていてもそれはただの「知識」である。



 昔のドラマ「女王の教室」で、主人公の鬼教師は「なぜ人を殺しちゃいけないんですか?」と問う生徒の首をしめる。(現実ではやっちゃいけませんよ!)

 その生徒は、平気でクラスメイト(子どもどころか無力なら大人相手でも)にひどいいじめをする人物で、そうできてしまうのはもちろん「自分が強者側であり、される方の立場に立つことがない」からである。鬼教師は、苦悶する生徒を見ながら言う。「なぜ人を殺してはいけないかですって? それは痛いからよ、苦しいからよ!」

 お金に困っている杜子春がその時一番欲しいのはお金である。その時に「お金なんてものはね……」と最終的な正解を教えたところで、うざがられるだけである。その時の杜子春には、そんな説教はゴミである。

 仙人は、学びには順序と段階があることを知っていた。だからあえて「正解でないものを存分に体験させ、自ら正解にたどり着くことが本当の宝となる」ことを。



 ②に関して、極端なことを言えば、100回でも仙人は同じことをしただろうし、結局杜子春が「もうお金はいいです」と言わずに死んでしまっても、別にそれはそれで構わなかったはずだ。仙人は彼の寿命が尽きる前に慌てて「実はこう学んでほしかった」なんてことを言ったりしなかっただろう。



●教育とは、教えられる側の子ども(生徒)が主人公である。教師の果たす役割など100%のうち数%の値打もない。

 本人が学ぶことに大きな意味があることであり、教師側が「教える」のだとかいう方向を見過ぎて、その教え方で生徒が変わるのだとかやたら「教える側の重要性」を語るものは教育が分かっていない。



 見方が幼ければ、正解を教えず金を与え続けるこの仙人はずいぶん冷たい人間に見えるだろう。非情な人間とさえ思えるかもしれない。

 でも、その人物はただ知ってるだけなのだ。正解だけを教えるなら、こちらも「いい人」でいられるし相手も傷付かないが、本当の生きた知恵を教えるならよくも悪くも相手の魂とのガチ勝負になることを。まさに「格闘」となることを。

 そうでない、安易にデータ的に得た知識は、いざという時屁ほどの役にも立たない。本当に相手に何か大事なことを伝えるということは、こちらが泥をかぶったり悪役を引き受けなればいけないケースも生じるのである。一時的に憎まれることも織り込み済みでなければならない。

 子育てというものが、まさにそうではないのか。しかも、忍耐力も試される。あまりにも長い間相手が変わらなければ、教える方もしびれを切らすという試練に襲われる。なんでこんなことをしているのか、訳を説明して説教してやりたくなる。

 でも、それ(種明かし)をしてしまえば台無しである。杜子春に三度までも大金を渡そうとした仙人のようでなければならない。



 最終的に、他者に知恵を伝えようとする者に必要な資質は「相手への信頼」である。信頼があるからこそ、最後まで待てる。

 そのような人物は、それが結局何も生まなかった(相手が最後までこちらの意図に気付かなかった)としても、ダメもとというかそれはそれで構わない、という覚悟の仕方をしているから問題ない。

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