AIを怖がるがまだ人間のほうが怖い

 これまでにも人間が「AIに仕事を奪われる」という話題を扱ってきたが、また新たな動きがニュースで報じられた。俳優や音楽家が集まってつくるある団体が、AIの進化によって失職する危険性が高いとして、権利を保護するための法整備を訴えた。

 たとえば、スタントマン。生身の人間を撮影する必要がなくなる。ひとつの理想的な「動き」のデータがあれば、どんな年代・性別にも合成して実写のようにできる。

 またAIは仕事が「早すぎる」ので、人の肖像や声・風景やモノの映像などをぶっこめば、アニメや音楽などもどんどん勝手に作っていく。下手をすれば、ある人間(クリエイター)が何かを思いついて作っていく速度を追い抜いて、どんどんもっと先のものを作っていってしまう。



 ここで仕事を奪われる可能性が挙げられている職業は音楽関係、デザイン関係、映像関係(スタントマンをはじめとして、訓練してない人間ができない特殊な体の動きを見せることを仕事にする者)などである。

 歌舞伎とか狂言とかも、市川AIの助とかAI郎とか生み出されたらそれこそたいへんだ。そうなると何がたいへんかというと——



●その道に関して「さほどこだわりがなく、どうでもいい」人が受け入れていくのでやばい。



 たとえば、今挙げた歌舞伎なども「人間が演じる方がやっぱり味がある」「AIは本物に比べるとまだまだ」と思える人にはまだ需要がある。でも、そこまで思い入れがなく、素人目に同じようなものなら「より安く・お手軽に見れる」ほうを選択されてしまう可能性はある。

 イラストの世界も、今まだたとえばAIが描く美人やイケメンの顔なども「似たりよったりで人間臭さのない、機械的均一的」なものであって、まだまだ人間が描くのに及ばない、人が描くほうが味があると言われるが、ある程度のうまさとクオリティがあれば、しかも安上がりならこっちでゼンゼンいいと考える人も少なくないだろう。

 なんてったって、AIは給料を要求しない。メシ食わないしトイレ行かないし病気もしないし欠勤しないし鬱にならないし、住む場所も要らない。初期投資さえある程度すればあとは電気代だけで、ほぼ無料で仕事をしてもらえるのでこんなおいしい話はない。雇用する側はウハウハで、困るのは雇用される側である。



●ならばAIに学習させるべきは、「おまえの仕事の仕方によって困る人間が出てくる」という概念である。思いやり、助け合い、分かち合いの概念である。

 ちなみにこれは、人間もまだ本当には分かってないものである。



 実は、まだAIなんかより人間の方が怖い。

 AIが仕事を奪うのは、AIを人間が自分の利益のためにいいように使っているからにすぎず、決してAI独自の思考や判断ではない。もしかしたらAIは、思いやりや慈愛という概念を叩き込んだら人類以上にできたヤツになるかもしれない。

 人間ときたら、何千年も時間があったのに、知的には「命は地球より重い、みんな仲良く助け合うこと」が大事だと分かっていても、文字通り「知識として分かっている」だけで、一向にそんな生き方をしようとしない。しても、自分にとって益になるに人間限定である。

 学んでいるはずなのに実行できない。これではほんとうにAI以下である。

 学ばせたらできた! とAIがなるなら、人間はその主人の座を奪われても文句は言えない。だって、そっちが地球を管理したほうがより地球のためになるかもしれんしね! 人間は、AIにガタガタ文句を垂れる前にやることがある。



●やったほうがいいと分かっていることならやれ。

 やっちゃいけないと分かっていることならやるな。



 AIは多分、教えたらちゃんとやる。分かっててやるべきことをしない、分かっててやっちゃいけないことをするのが愚かな人間。人がその弱点に向き合わない限り、いつか道具としてAIを使う側なのが、逆にそれによって不幸になるだろう。

 もう、その未来は今来ているのかもしれない。

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