まねだ聖子

 まねだ聖子さんという、あの大御所歌手松田聖子のモノマネ一筋に活動されている方がいる。モノマネではあるが、研究が行き届いていてそれはただ見る者を笑かすという次元にとどまらず、まるで一幅の絵画を見ているかのような、芸術作品を鑑賞しているような気分になる。ちと大げさかもしれないが。

 もう30年以上もやっているのだが、他人から「それだけ長くやってたらもう研究することなんて残ってないんじゃないか」と言われるそうなのだが、それでも彼女はステージに立つ前は必ずご本人の歌を聴き込むのだそうだ。

 そんな彼女は、松田聖子本人との交流はほとんどなく、「ご本人公認」も取りにいかない。別に要らないというわけではないが、ただモノマネ芸人である以前に「一人の松田聖子ファン」であるということを大事にされているようで、ただ好きでモノマネできて応援させてもらえたら、それ以上は望まないという姿勢のようだ。

 ファンとしてご本人のディナーショーなどにも足しげく通う彼女だが、スタッフには声をかけてもらえるようにはなったが、ご本人からのアプローチはまだない。でも、まねださんはそもそも「何の見返りも求めていない」ため、気にもしていない。



 ここから学べるのは「ほどよい距離感」の大切さとということ。

 筆者は、一時期ではあるが決して少なくない数の人が私のことを知り、また話を聞きたいと望まれる立場(プチ有名人)に立ったことがある。

 経験したことない人からしたら自分もそうなりたいと思うだろう。でも、実際にやってみたら分かるが結構たいへんである。



●有名になる(人気が出る)ということは、私という人間を理解しなくとも、世間の空気のなんとなくのイメージで「好きになれてしまったりする」。それが、自分が知らない人から好かれる「人気」というもののある意味での正体である。

 私という人間をそこまで理解しなくとも、本当に必要ではなくとも一方的に好意を向けることができてしまう。その分、ある瞬間に「物足りない」「なんか期待に応えてくれない」と感じた時の醒め方は早い。それも、私の正味の価値や何をしたしないではなく、ただ眺める側の感じ方がすべてであり、一方的な都合である。



 有名人は、これに年がら年中四六時中向き合うこととなる。

 これに耐えられるメンタルをもつ者が有名人になる資質がある。ただ耐えればいいというものでもなく、その間も実情は別として表向きは「最高のパフォーマンス」を見せることができないといけないので、もはや向いているのはそういう星の元に生まれてきた人種で、後付けの努力で獲得することはかなり難しい。

 これを言うと夢をもって頑張っている人は怒るだろうが、その世界で成功するかどうかはおおよそ出だしから決まっている。



 筆者が広く大勢を対象として仕事ができた期間は、確かに貴重な体験であったし今の数十倍の収入があって経済的には潤った。でも、いいことばかりでもなかった。

 本当に色々なレベルの人が寄ってくるので、中にはこちらにとって不当な批判もあり、いくら私の(あるいは悟りという分野の)何を分かってるんだと思っても、知られてしまっているものは逃げようがない。広く知られるということは、こちらが大して知らない人間(むこうもこっちのことなど分かっちゃいない)に名指しで何か言われるということだ。しかも好き勝手に。

 芸能活動なら、それでもやる価値がある。だが、スピリチュアルというジャンルで発信側が初心のまま健全でい続けるのは難易度が高い。もちろんきちんと御することができる人もいるが、皆が皆できる芸当ではない。それこそ砂粒の中の砂金ほどレアなケースだ。

 私は多分、その器じゃなかった。だから今の私の立場は失敗の産物とかではなく「落ち着くべきところに落ち着いた」に過ぎないのだと思っている。まぁあの頃は「真夏の夜の夢」みたいなもの。

 だから今、こんな場所は「人気のゆえに別に見なくていい人までが見る」ことによるトラブルの心配が限りなく少ない。そして、本当に必要な人にばかりに届くし、少なくてもそういう人にだけ継続的に読んでいただける。



 まねだ聖子さんの「公認はこちらから取りにはいかない」というのも、今の自分のやり方に似ていると思った。ただ、日々言いたいことを発信するただそれだけ。それが目的なので、反響は関係ない。もしも目的が「大勢に認めてもらうこと」であれば、アクセス数その他の数字に一喜一憂して振り回されることになる。

 才能があれば、有名人の看板を背負ってもパフォーマンスのクオリティーは下がらないかもしれないが、私の場合は背負う余分なものがないことで、安定した生活が送れているので、今の状況がちょうど身の丈に合っているのだろう。

 私は今日も、皆さんの「好意」を狙いにはいかず、ただ言いたいことだけを言ってここでひっそりと活動するのみである。

 余談ではあるが、タモリの何かの番組で松田聖子さんが出演した時、まねだ聖子さんが番組に送った花のことが紹介され、その時にクスッと笑って「ありがとうございます」と言ったそうだ。きっとそのことだけでも、まねださんには大感激なのではないか。公認云々より、もうそれでおなかいっぱいというか。

 本当に何かの道に打ち込んでいる者には、大きなものでなくても、ほんのちょっとの嬉しいことだけでも、十分活動を続けていける燃料になるのだ。

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