笑い飯の塾運営

 M-1で優勝経験のある漫才コンビ『笑い飯』の哲夫が、子ども向けの激安学習塾『寺子屋こやや』を運営している。

 きっかけは、仕事仲間が「子どもの塾代が高くて大変」ということを話していたことから。親の経済格差が子どもの学力や後の幸せに影響するような社会は本当に健全だろうか? そこで自分にできることはないかと考えた。



 ベビーブームの頃は子どもの数が多く、塾代が安くても成り立った。しかし今は少子化で、子ども一人当たりの単価を上げざるを得ず、結局金持ちしか子を塾に行かせられない、となる。

 哲夫は言う。「儲けって、何も現実のお金のことだけやないと思います。安くでやってますけど、その分頭のええ子増やして世に出したら、その子がなんかすごい発明とかしてくれて俺らが助かるかもしれへん。偉大なことやってくれるかもしれへん。そう考えたら、それも『儲け』ですよね?」



 情けは人の為ならず、という言葉がある。

 意味は、「人に親切にすれば、その相手のためになるだけでなく、やがてはよい報いとなって自分にもどってくる」ということである。

 しかし、それを意識して、つまりその「戻ってくる」ことを期待して何かをすることは無意味である。それを忘れてはならない。

 昔、ある高僧のところへ相談にやってきた者がいた。私は、仏教で教えられている知識・経文はすべて覚えましたし、自分の持っているものをすべて捨てて、ただこの仏の道に懸けております。この上、私には何が必要でしょうか?(これ以上に何かできることはありますか)

 高僧は、その者を「よくやった」と褒めるどこか𠮟りつけた。



●これこれをした、捨てたということを覚えているうちは全然ダメじゃ!

 捨てたということすら忘れるのだ!



 情けは人のためならず、ということが成立するのは精神的に非常に高度な段階であるのだ。狙って、下心で発動させられるゲスいものではない。

「自分はいいことをしている」「そしてそうし続けていれば、何かの形で最後自分に得がある」などと考えて成立などするわけがない。

 そういう状態を体験したことのある人なら分かるが、ただひたすらに「それがしたい」。打算もなにもなく、ただ純粋に、ひたむきにそれにうちこむこと自体が目的となり、余計なことは考えない。

 そうしているうちに、「あれっ?」と気付くのだ。意図しない。大きな宝(利益であったり、良い人間関係であったり大勢の感謝であったり)を、いつの間にか得ていることに。この「いつの間にか得ていることに気付く」というところがポイントで、今か今かと待っているようなやつには来ない。



 私は笑い飯の哲夫に会ったこともなく、ただネットニュースの記事を拝見しただけではあるが、そこからさわやかなエネルギーを感じた。あくまでも個人的な感想として言わせていただければ、この方は本当に「心からそれがしたいだけなんだなぁ」と感じた。売名とかよく見られたいとか、そんな部分は微塵も感じなかった。

 笑い飯といえば、M-1で何度も優勝決定戦まで行くも、惜しくもグランプリを逃すということが続いたコンビである。出場制限により最後の最後、王者となった時は、好きなコンビであったがゆえに見ている私も喜んだものだ。

 暗いニュースが多い中で、笑い飯のささやかながらも素晴らしい取り組みを紹介するネット情報を見つけて、とてもうれしい気分になった。

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