おまえがやってみろ、の真意

 ビートたけしが自身の著書の中で、TV番組の内容や構成に文句を言ってくる視聴者、いわゆる「批評家」に対してこのように一刀両断している。



●じゃあ、お前がやってみろ



 やってみれば、実際がいかに難しいものかということもわかる。そうすれば簡単に文句も言えなくなる——

 現場の現実がどういうものかも分かってないで、事情を汲めないで外から見る立場だけで好き勝手文句を言うのは違うだろ、という話である。



「ならお前やってみろ」という返し言葉は昔からあり、別にビートたけしに限らず無数に言われてきた言葉であろう。

 でも、文字通り「やってみろと言われて実際やった」などという話は、世界を探せばゼロではないだろうがまず聞かない。では、「お前やってみろ」というのは本当に相手が自分と同じ体験をすることを要求しているのではないということになる。お前がやれ、という場合その真意は相手が本当にやることにはなく、別にあるのだ。



●ちょっとは相手の立場も考えてみろよ


 → 文句は、まず相手の頑張りに対して一応のリスペクトを示してから言ってくんないかな



 頑張ったことに対して、文句をいっさいつけるな、というのでは殿様商売であり、他の意見を受け付けない姿勢では発展・向上は逆に見込めなくなる。そのような親子のユーチューバーが今世間で何かと話題だが。

 ゆえに、クレームというか苦情は別に構わないのだ。ただ、人はデリケートな部分をもつ生き物なので、いくら正論でもそのままぶつけるとちゃんと受け止めてもらえない。ここで注意したいのは、見かけで「この人はデリケートなんて言葉からは遠い人だから、大丈夫だろう」と無遠慮な言葉をぶつけること。世間に流布しているその人のキャライメージで「頑丈そう」「神経太そう」ってので判断してあげないでほしい。どんなに強そうに見える人でも、内心そうではないんですよ!

 一生懸命頑張っている人は、クレーム自体が嫌なのではない。少しでもその頑張り自体に敬意を払ってくれた上で思うところを指摘してくれれば、ずいぶん聞きやすい。しかし、引っ掛かかりの1点があるゆえに、それで「全否定」をしてしまうと、相手が多少は「そうだよな」と思っていても、むっとしてそこすら認めない勢いであなたと戦ってしまう。そんな本来無くてよかったケンカをするなど、あなただって本望じゃないでしょ?



 今の世の中のギスギス感を見ていると、ここがとても「できていない」人が圧倒的に多い。皆、自分が勝つこと(正しいと認められること)が正義でありすべてであるみたいに、徹底的に相手を潰しにかかる。マウントを取る、という言葉が今の時代っぽい言葉だろうか。

 そんなことで勝っても、後に何が残るのだろう。

 芥川龍之介の『杜子春』は、貧乏な時に仙人から三度大金をもらい、その後もっとやろうかと言ったら「要りません」と言った。単にお金がたくさんあることで幸せになどならない、と身に染みて理解したからだ。逆を言えば、数年かけて三度も痛い思いをしなければ学べなかったのだ、とも言える。

 だから、私がここで言ったからとて世間は変わらないだろう。自分の体で相当な体験をして後々に、「そういえばあの時は軽く流したけど、今なら意味が分かる」となるしかないケースがほとんどだろう。

 でも、その中でも数人は聞く耳と資質があって、早期に改善できる人もいるかもしれない。その人たちのためにも、今言っておく。そして、今は自分事とも思わない人でも、今読むことで心に種まきがなされ、遠い未来でやっと花咲くタイプの人のためにも言っておく。



●どんなにその批判の内容が正当であり、相手が非難されて当然の話でも、最初から「否定」で入らないこと。

 同じ土俵で建設的な話がしたいなら。Win-Winの関係をあなたが望むなら。まずは、相手のリスペクトできる点を1点でも多く見つけ、まずはねぎらう(可能なら褒める)こと。その土台の後でなら、多少きつめに指摘しても相手はしっかり受け止めてくれる可能性が高まる。



 ツイッターなどのSNSやネットニュースのコメントなど、宿命的に短文であり、多くを盛り込めない。仮に文字数を書けても、長文だと誰も読まない。この記事のように……(笑)

 ゆえに、批判したい文章なら批判の内容だけになりがち。そうして、一読すればギスギスばかりの議論の場しかできない。だから否定から入るなといっても限界があるのは承知している。でも、このような考えや意識の前提でいることそのものが大きな働きをしてくれると信じる。あなたのその内面の姿勢は、短文の返しでも日常のやり取りの中でも、非言語的情報として相手に誠意が伝わることを手伝ってくれるはず。

 今日の記事で書いたことは、あたりまえのことじゃんとあなたは思うかもしれない。でも、その当たり前ができていないし、そのことを改めて自覚しようともしない人も少なくないので、あえて言うことで揺さぶりたいのである。



 誰一人、その人なりに一生懸命に生きていない人などいない。

 リスペクトできる点が相手にひとつもない、なんてことはないのだ。『蜘蛛の糸』でお釈迦様が犯罪人カンダタの良いところを見つけたように。

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