衣食足りて礼節を知る

 木村拓哉、ことキムタクが出演する予定の『ぎふ信長まつり』の予想来場者数が60万人、予想経済効果が39億円と報道された。

 その経済効果を歓迎するむきもあるが、果たしてよいことだけだろうか。先日韓国での人混み圧死事件があったばかり。本当に来場者を管理、統制できるのだろうか。落ち着いた目的の集まりならまだ安心だが、何せ皆の目当てはキムタクである。もう若くはないとはいえその人気は未だ健在。キャーキャーというおかしな熱狂が生じることは想像できる。

 はたしてこのイベント、まったくの無事故で終われるんだろうか? 危険が見込まれるので中止、とかあるいはコロナが再燃して(世の大勢がかかるか、キムタク自身がかかるとかあり得る)中止とか。



 ちなみにこのイベント、あまりに行きたい人が多すぎて観覧の権利が抽選となった。で、当選した人は自分を含め4人までの同行者が認められる。

 普通のライブなら、その4人までもが身元を確認されるものだが、このイベント間抜けなお役所の役人が考えたものらしく、代表者1名以外の確認はしないようなのだ。そのオバカさ加減を狙って、よこしまな人間が何をするかというと——



●代表者に同行者としてついてくる権利を売る。



 ネットオークションでは、だいたい2万円程度からその権利が販売されている。

 中には「10万円なら即決」というものもある。

 お金のためとはいえ、見知らぬ人を同行させるのは何もトラブルに発展しないのだろうか。ものすごい来場者数の中、ちゃんと合流できるのか?

 何より、その場合同行者は権利購入にあたり自分の個人情報を開示しないといけない。現地で会うためにも電話番号も知られる。また、そういう「感心できない」方法で見る権利を得たという事実を、相手に握られるというリスクを負う。

 どんなにキムタク好きでも、そこまでして見ようというのはちとリスクが高すぎないだろうか。



 ソニーのプレイステーション5も、未だにまともに買えない。ソニーの日本市場軽視の姿勢もあるものの、手に入らない原因の大きなものは「転売屋」である。

 転売屋も人間である。普通教育を受けてきたなら、自分のしていることが良いことか悪いことかでいうとどっちかの判断くらいつく脳味噌はある。なら、なぜあえてするのか。それはオレオレ詐欺などの犯罪にも言えることである。



●そうまでしてお金が欲しいから

●やっちゃいけないことでもあえてやろうと思うほどお金がほしい

●つまり本人にお金がない

●お金がないと生きていけない社会構造。だから必死になる



 私は思う。この世界には、犯罪(そうでなくても転売のように良くはない行為)に手を染める人は常に一定数いるが、皆が皆根っからの悪者ではないのだ。人を騙して、あるいはルール違反をしてまで金儲けしたいというのではなく、その大多数は「経済的に十分豊かであればそんなことはそもそもしない」人たちなのだと思う。

 確かに、なぜその人にお金がないのかを聞けば「そりゃあんたが悪い」というケースはある。でも、決して少なくはないケースで「本人はそれなりに頑張ったが、世のシステムが非情にもその人物をはじいた」と言えるものもある。社会はあまりそういうところへ目を向けないが、そういう扱いを受けた人はどう考えると思う?



●社会からそんな扱いを受けたんだから、生きるために多少こちらが悪いことをしたって、文句言うな。こちとら生きなきゃなんだから仕方がないだろ?



 もちろん、最低限「生きなきゃ」という動機から始まるが、罠もある。ルール違反の方法というのは得てして「まともに働くよりもはるかに高額に儲かる」。

 悪いことというのとは違うが、たとえばギャンブルで勝って、その人が一ヵ月汗水たらして働いて得るお金をものの1時間で得れてしまったり、容姿端麗な女性がOLをして稼ぐ年収を一ヵ月足らずで風俗で稼げてしまったりする時、人は「まともに働くのがバカらしく思える」という罠にはまる。

 生きるために仕方ないから、もっともっと欲しいぞモードにいつしかなるのが怖いのだ。でも、カネを稼ぐのにラクで安全で高額なんてものはなく、高額ならそれなりにリスクのある人生になることは覚悟しないといけない。



 筆者はこれまで、このテーマで何度も記事を書いてきた。またこの話か、と思う人もいるだろうが、私のうしろはなぜか何度もこの話を書かせたがる。それだけ今の世の中が私の「うしろ」からしたら煮詰まっている、危険なゾーンにいるということではないかと解釈している。

 人がここまでしてお金を得たいと思うのはなぜなのか。じゃあそれを解消するためにはどうしたらいいのか。できそうにないなら、どういうシステムや既得権利・利権構造をぶっ潰せばいいのか。

 できるだけ血が流れない「無血革命」で世の中が良くなるのが理想だ。もちろん最後まで理想を追い求めはするが、その時々の判断で剣(つるぎ)を抜くことが避けられない場合もある。この先時代が、世の中が大きく変わるその代償に、どれだけ少ない犠牲で抑えられたか? その数が人類の成熟度を物語るような気がする。



 犠牲が一人でも少ないことを願う。その際の重要なキーワードは「衣食足りて礼節を知る」である。世の犯罪者の大半は犯罪それ自体が楽しかったり生き甲斐なのではなく「自分が安全かつ豊かに暮らせるならやらない」人であることから、ならばそうなるようにすればいいというだけの話なのだ。

 しかも、皆がある程度の豊かさになるのに十分にカネもものも世界にない、というわけでない。あるのに、ただ偏っているだけなのだ。そこにメスを入れる勇気が、人類にあるのかないのか。

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