信じる時にはお覚悟を

『闇金ウシジマくん』というドラマのシーズン1では、普通に「いい人」で常識的な考えをする女性がカウカウファイナンスという闇金の社員に採用されたことから、次第に「闇金」の世界に慣れていくというか、染まっていくというかそんな経緯が描かれている。

 彼女はある時、一人暮らしのおばあちゃんの担当になり、借金の取り立てに自宅へ向かう。そこでお茶を出されながら苦労話を涙ながらに聞かされ、「もう少し待ってくれたら返せるから。すぐには無理だがあとなら子どもたちも助けてくれるから」という趣旨の訴えを受け入れる。人のよい彼女は、おばあちゃんの必死の訴えが演技などとは露ほども思わない。



 事務所に戻った彼女は、社長であるウシジマに返済を待ってやってほしいと懇願する。だが、彼女に告げられたのはたった一言「駅前のパチンコ屋に行ってみ」。

 果たして、彼女が言われた通りパチンコ屋の店内を探してみると、おばあちゃんは元気にパチスロを回していた。お金がないのだとあれほど涙して訴えていたのに、パチスロを回すお金はどこにあったのだ。詰め寄ってそこを問いただすと……

「今いいところなんだよ。邪魔だからあっち行っとくれ」

 他にも、利息が払えずウシジマたちにひどい対応をされるOLをかばってやったのに(そのOLは本当に辛そうに見えた)、あとで高価なブランドの服を買っているOLに出会いショックを受ける。

「日頃苦しいことばかりなんだから、これくらいのご褒美が自分にないとやってられないでしょ?」

 まともで良識的な感覚を持って闇金に入社したこの女性は、やがて人を信用しなくなり取り立ての鬼と化していく。信じて裏切られ続けることを通して……



 私たちは、何かを信じる。生きる上で、それを避けて通れない。

 何も信じないということは、「信じるに値することなどこの世に何もない」ということを信じることだと言い換えられる。

 信じるということをすると、不可避的に生じるのが「裏切られる可能性」である。または「あなたの見立て違いで、最初からそれはそういうものだったがあなたが勝手な見方をしただけ。そしてただその間違いに気付いただけ(つまり相手は裏切っても騙してもいない、ただ本人の思い込み)」ということ。

 もちろん、信じる対象は人だけではない。宗教やスピリチュアルがそうだが、神とか真理とかがそうだ。筆者もかつて、旧統一教会の教義を「真理」だと信じたことがあったし、8年あまりも既成キリスト教会に信者として通い続け、牧師にまでなろうとした。でも現時点で、そのどちらも捨てている。あれほど信じたのに。



 さっきウシジマくんのドラマの話を例に出したが、今回の記事のメッセージは「裏切られるのだから信じるな」ということではない。筆者は確かにひねくれ系のメッセージを頻発はするが、一応はスピリチュアルの看板を出して活動している。さすがに信じちゃいけない傷つくから、なんて絶望的なメッセージはしない。(笑)

 信じるという行為は、あなたの精神的成長には欠かせない。おそれずどんどんするべきである。ただ、そこにひとつ大事な前提を加えること。



●(考えたくはないだろうけど)裏切られる(本当の姿に気付く)可能性もコミで、覚悟で信じる。



 その覚悟の儀式を、何かを信じて入れ込む前にやってほしい。

 それをしていないと、いざ裏切られた(思ってたのと違った)時に、無用な腹立ちが抑えられ、冷静な行動が取れる。でないと、転倒した時に咄嗟に地面に手をつく、という防御行為すら取れず、ビターンとまともにダメージを食らうこととなる。

 贈る言葉でも、信じられぬと嘆くより人を信じて傷つくほうがいいと歌う。筆者もその考えには概ね賛成だが、やっぱり状況によってはその「傷付き」がしゃれにならないほどキツい場合がある。だから、信じるときに覚悟を決めなさい、と提案する。

 本当に信じ込んでいる人には、きっと何を言っても「絶対にこれが間違ってるなんてない。裏切られたりしない」と思って譲らないだろう。そこが逆に人の弱さなのだ。そこでちょっとでも客観視して「全面的に信じる以上、万が一のことがあっても自分に責任を持とう」と思えるためには、心にブレーキでいう「あそび」の部分が必要であるが、それを持てることこそが強さである。



 ウシジマは言う。「この世界に信用なんてない。ただ奪うか奪われるかだ。それならオレは奪うほうに回る」

 確かに、気持ちとしては認めたくないがある面の事実を指摘している。そういう現実も確かにあって、そこに生きている者はそういう結論に達したのだろう。そこにウソもごまかしもひねくれもなく、ただそういう人生観を持つに至っただけだろう。

 そっちの言い分も分かるから、いい人のようにただ信じろとは言わない。疑いを1ミリも抱かず純粋に信じるのがよいことだとは言わない。



●思いっきり信じていいけど、万が一のことがあっても正面から受けて立ち解決しつつ、「それでもこの世界は生きるに値する」と言うこと。そしてそれでもこの世界にイエスと言うこと。そのことをまず約束しなさい。



 イエス・キリストは言った。蛇のように賢く、鳩のように素直であれ、と。

 これは思考のバランスを言ったもので、ただ純粋に信じる(+)に、疑いというよりも「この先なにがあるとしてもそれでも今は信じることを選び取る」(-)という覚悟を加える。これで、プラマイゼロでバランスを取れた信念となる。それはもう妄信ではなく、盤石で価値ある強い意志である。

 心の素直さ(人の良さ)とあらゆる可能性を網羅できる(悪く言えば疑う)知恵。そのどちらかが欠けても、その歩む人生は苦しみの多いものになる。

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