常に向上しないと、という強迫観念

 皆さんは牛丼メインのチェーン店といえば吉野家だろうか。松屋だろうか。はたまたすき家だろうか。どれが一番お好み?

 筆者は牛丼のことだけを言えば吉野家だが、その他の色々な定食物を食べるなら松屋のほうに軍配を上げる。だが残念なことに、家から近いのは吉野家かすき家しかなく、松屋はだいぶ遠くへ移動しないとないため(しかもそのためだけに移動しようとまでは思わないため)もうかれこれ一年半以上は松屋に入っていない。



 今日のニュースで、松屋が試験的に新しい注文システムを導入したというのがあった。全国的にどこも、ではなく限られた店舗でだけらしいが。

 皆さんは、松屋で券売機に並んだことはあるだろうか。筆者は過去それほどストレスを感じる経験をした思い出はないが、「券売機の前で何を注文するか悩む人がいて、後ろに並んでいる人間がイライラする」ということがあるらしい。そんな客の声を拾ったのだろうか、「そういったことが起きない」システムを考えたようだ。



①一度席に着いてタッチパネルで商品を注文する。

②商品を待っている間に、席から立ってセルフレジで会計を済ませる。

③そして、注文した商品が出来上がると、再び席から立ちあがって提供口に受け取りに行く。



 これに対し、実際に体験したお客から「確かに、券売機の前で並ぶということからは解放されたが、なんか面倒くさくなってる」という感想が上がった。結局モグラ叩きみたいなことで、こっち引っ込めばあっち突き出るで、問題をひとつ解決した代わりにまた新たな問題(導線がめちゃくちゃ)を生んだということだ。

 確かに、「面倒なシステムだけど、それでも券売機の前で待たなくてはいけないのが解消されただけでもうれしい」という声もあるようだ。だが、それでいいのか。

 これは実験的導入のようだが、もし本当に全店舗に投入するとなれば、途方もない額の設備投資となる。大多数の歓迎でなく「不便と引き換えでも券売機のないシステムを喜ぶ」人のためだけにやるほどの価値はあるか? それでも本当に投資に見合うだけの、過去システム時以上の集客が見込めるか?



 この世界では「向上心」というものが大事にされる。

 社会では特にそうで、常に創意工夫の継続、それによる右肩上がりの発展が期待される。会社の壁に営業成績や売り上げのグラフが貼ってあったりするのはそういうことだ。下手をしたら、現状維持で同じことをしていると何か悪いことをしているような、後ろめたい気分にさせられるのがこのイケイケ自由競争社会だ。

 下手したら、ただやることだけをやっていたら罪悪感すら抱きそうだ。筆者は、向上心というものはもちろん大事だと考えるが、ただいつでも常に前へ進み続けていないといけない、というのは行き過ぎだと考える。



 松屋の今回のチャレンジは、「時期尚早」だと考える。

 多分、上層部にケツを叩かれた企画運営部門が、苦し紛れに考えたものだろう。売り上げをあげんかい、何か画期的なアイデアを出せとせっつかれたに違いない。

 現場を知らない(でも売り上げは上げさせたい)上層部にそう言われたら、心では「じゃあお前考えてみろ」と腹が立っても、いかんせん生活を握られている。クビになったら終わりだ。となれば、言われた期限までに何か形にしないといけない。

 それで出てきたのが、今回の試験的システムだろう。筆者は、いついかなる時でも前進しないといけないという考えには反対である。勝負というのはかけるべき時と見合わせるべき時とがあると考える。



●その時点でどんなに知恵を絞っても限界がある(満足いく出来にはならない)ような時は、無理をせずにその不完全で課題を残すアイデアは寝かしておくべきである。



 今ある技術(国家機密とかではなく、一般的に知られている科学技術・機械技術)でできることは、限界というものは当然ある。それでは、松屋のような店だと券売機を無くせばどう頭をひねってもできることには限界がある。それが形となったのが先ほど紹介した、商品を受け取れるまでの面倒な「導線」である。

 商品が空間移動するとか、客の頭上を飛んでくるとか、注文用のタブレットに会計ができるようなシステムを持たせるとか。そういったことが可能なら問題は一気に解決だ。でももちろん今そんな技術はどこにもない。

 だから、おとなしくしとけというのだ。もちろん、裏では常に開発チームが日々動いていていい。でも、焦ってムリしてシステムを変えることはない。満点に近い改革ができる日までは、裏で着実に歩を進めつつ誠実な商売をすればいいのだ。

 たとえば、今では当たり前な「回転寿司」。昭和の前半とかは、もちろんそんなものなかった。でも、その当時に「どうやったら少ない従業員で、できた鮨を何でもすぐに選んで食べてもらうということが実現できるか?」と考えても、どうにもならなかったのである。機械技術が発展し、小さなぐるぐる回るベルトコンベアー上に握った寿司をどんどん載せて、客席をその脇に設置すれば、人が運ばなくても取ってくれるのでは? という考えも実現可能になったのだ。

 松屋の問題は、今の時点ではむりにあがかなくてもいいもののように思える。客の要望に応えようという姿勢だけはよいが、完璧に問題解消するにはさらなる技術革新を待つ方が利口だ。



 なんでもかんでも、常に前向きで結果出そうとしてます! というのが偉いと思わない。それで無理してハンパなもの出されたらこちらも迷惑だし、出す方だって労力が大変だろう。本当によいものをださない限り、その労力が報われないことになる。

 だから、満足いく域に達するまで改革は焦らない、という知恵が必要だ。

 あくまでも実験なのだから好きにトライすればいいじゃないか、と思う人もいるだろう。実験と言っても実際にオカネも手間もかかることだし、何より実験店に来たお客を巻き込むことなのだ。

 実験、という言葉に甘えず成功見込みの精度の高い実験をこそすべきだ。せっつかれてとりあえず考えてみました! 的な苦し紛れの今回のアイデア、筆者には実行する前にたたき台の段階でもう少し議論してほしかった。

 なぜ、こんな問題の円満解決になってない案に実験とはいえゴーサインが出た? 職員はみな疲れているのか?

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