一度その軸を離れてみないと

 私は今朝、奥さんが起こしてくる声で目覚めた。

 何事かと思えば、「テレビ番組が急に映らなくなった」という訴えだった。そんなことがあるのか、と思いながら私はテレビのある居間へ。

 なるほど、いろんなチャネルをリモコンで押してみるが、画面は真っ黒である。私はテレビを再起動してみた。それでもやっぱり何も映らない。何が悪いんだろう、こうなったらアンテナ? それなら集合団地の他の住民も騒ぐはずだし。

 その時、ひとつのインスピレーションが頭に湧いた。もしやと思いある操作をしてみたら、見慣れたTV番組がパッと画面に映った。

 結局何が悪かったのかというと、『BSモード』になっていたのだ。ウチは衛星放送が入らない(ってかそもそもアンテナがない)仕様なので、そこでチャンネルをいじっても当然何も映らない。NHK料金も、衛星放送ナシの分少しだけ安い受信料を払っている。(ホント安いのは少しだけ!)

 そこで、リモコンに『地上波』と書かれたボタンがあるので、押せば見事にもとに戻った。何かの加減で、うっかりBSモードになるボタンが押されてしまったのだろうと推測する。

 なぜ、こういうことが起きるのか?



●自分軸を離れられないことで起きる。



 奥さんは、TVがいつもの当たり前の「地上波モード」である前提で考えていた。だから、TVが映らない! という認識になった。

 TVが壊れたのでも不具合を起こしたのでもなく、ただ前提が違っていたのだ。何かの誤操作、たとえばソファーに置いてあったリモコンを知らずにお尻でふんずけ、いつもは押さないボタンに力が加わってしまった、とかそういうことで奥さんにとっての「当たり前」が崩れてしまっていたのだ。

 そもそもの「前提」を疑うことまでできるかどうかがカギだったわけである。



 筆者の書く記事は、本当に一部の人にだけ感謝される。

 大概の人はキライだと思う。それは時々、書いていて自分でも思う。(笑)思うけど、シャーマニズム的に降りたものを書くだけなんで、どうしようもない。

 言ってみれば、ここの記事は「一般の常識や自分の信念・思想から離れる柔軟性がないと反発しかない」という特徴がある。文句を言ってきたり批判してきたりする人の多くは、要は「自分(あるいは自分の属する世界)が守ってきたものと逆のことを言うので、落ち着かない気分にさせる」だけなのだ。

 読んでカチンときて、一般的に受け入れられている無難な考えを盾に(それだって検証され絶対となっているわけでもない)文句をまくしたてるだけで、深い議論も何もない。頭の悪い人は、言うに事欠いて私の人格攻撃をしてくる。正味の話題の議論では戦えないからだ。



 私は、ここで書く内容が受け入れられないままでも構わない。あまり人に見てもらえなくても、書くこと自体が目的であとはただのおまけなので、別にいい。

 ただ、読む人の長期的な視点での「成長」のためを思う時、反射的に起きてしまう「反発」に飲み込まれる前に、一度「自分が強固に持っている前提を試しに手放してみる」ということをしてみてもいいのでは、と思うのだ。

 そうすると、「転んでもタダでは起きぬ」ということが起きる。なるほど、聞いた瞬間はあまりに突飛な発想だから受け入れ難かったが、一度実は根拠のない「一般流布して常識に格上げされたスピリチュアル的教えや法則」を忘れてみて考えてみたら、それもありなんでは? と私の話が肥やしにできる部分が生まれてくる。

 そうなればしめたものである。あなたは(別に私の話のおかげとかではなく)、柔軟に固定的観念をずらせる力を得ることになるのだ。 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る