できるできる、と思うよりも

 安倍元首相の国葬が昨日あった。賛否ある中で行われたが、大きなハプニングや混乱もなく終わった。この模様はメディアが一斉に報じたが、とりわけ自国日本より客観的に見れる立場にある海外メディアの報道の中に、こんな分析が書かれていた。 

 安倍氏に対して、国内の評価は二分している。



●高齢者層……戦争の記憶がまだ残っている世代(あるいは直接体験していなくても、戦後の貧しさや苦労を空気として味わっており、また学校教育においても戦争の残酷さに関しての教育が徹底していた世代)。戦争は絶対ダメ、というのが不動の思想としてあり、戦争をしないためには武器を持たない、という考え方になる。

 ゆえに、安倍氏の推進した憲法改正(中国の脅威に備えるための軍備拡張)に反対で、あくまでも「平和主義」を掲げるため安倍氏に同意できない。



●若い世代……戦争の記憶が世代をまたぎいっそう薄まる中、高齢者層ほどに「戦争反対」という思いは強くない。この言い方が気に入らないなら、「戦争が悪いことだとは思っているが、強くそう思える思想的・体験的背景がないため、実利的な考えを採用できる。実際に中国は脅威で、それに備える必要があるじゃないかと現状を冷静に見れる。「戦争ゼッタイダメ」という頭ごなしな見方をしないので、軍備拡張への懸念よりも国を守れる力があるのか、のほうにフォーカスできる。



 今挙げたふたつのスタンスの、どちらが正しくてどちらが間違っているかなどはない。それは今、誰にも分からない。百年後二百年後、歴史が語ってくれるまでは。

 もしかしたら、戦争は絶対反対路線でいくことでうまくいくかもしれない。もしかしたら逆に、軍備を拡張することでこれまでこちらを舐めていた中国への牽制力となり、むしろそれで戦争が回避された! という可能性だってある。



●人は結局、体験からしか(自分が存在する座標の手近で見聞きしたことからしか)思想を持てない。



 そりゃ、本を読んだり情報を得ようと思えば、世界にはどんな宗教があり、考え方があるかは調べられる。でも結局、それらは「知ることができる」という域を出ない。なぜならその調べた宗教なり思想なりを結局「その人自身が体験により学習により培ってきたデータベース・思考パターン」によって判断することになるからだ。その結果、これは自分に合わんとなったり、これいいねとなったりする。

 結局は、自分の考え方や信条を強化してくれる(守ってくれる)ものを選ぶことになるのだから、その点では人がなにか新しい宗教やスピリチュアルを始めても、それはただその人の精神スタンスの延長線上の話なので成長も何もない。



 この世界で起きる物事はすべて決まっている、は大げさかもしれないが、このような観察結果に立てば「ある人物が人生で取る行動は、そこまでの人生道程によってある程度決まっている」と言える。台風情報で、よく台風の動き得る「範囲円」というものが示されるが、あれのようなものだ。多少の誤差はあれど、だいたいこの辺りに落ち着く、みたいな。

 人が一人だとそうなるが、でも重要なのは「他人」だ。他人はあなたとは違う、あなたからしたら宇宙人のように世界観が違うので、あなたの人生に思いもかけない干渉の仕方をしてくる。そして、その人一人では気付けなかった、見ることができ来なったはずの世界を見せてくれる。そのおかげで、人は成長できる。

 だから、人の間とかいて人間なんだね。面白いよね。いろんな人が一緒に生きているから、「人一人だったらだいたいの未来予測は可能なのに、それが集団となって個々に影響を与え得る状況になると、とたんに未来は読めなくなる」のだ。

 だから、この先の日本の行く末もまた五里霧中だ。専門家と称する人間やスピリチュアルで「未来が見える」などという人や神託を受けただの宇宙人が言っただのと、何らかの形で「予言」する人物がたくさんでてくるだろうが、それらのものに耳を貸してはいけない。いや、貸してもいいけどマンガやテレビを見る感覚で、一種の娯楽として受け取りなさい。



●すごい人物の予言を信じるだけの人は怠け者だ。

 様々な情報の中から、私はこうだというオリジナル意見を持てる者となれ。



 この世界ではよく、頑張ればあきらめなければ夢はかなう、信じれば疑わなければ奇跡は起きる、とか言われる。

 私はあえて逆のことを言おう。



●信じようとすればするほど、できるできると思おうとすればするほど、あなたはうまくいかない。逆に「そもそも無理なんだ」「難しいんだ」と認めることろから始める方が、実は叶えられる可能性が高まる。



 あきらめから出発するのも、結構有効だ。あきらめているはずなのに、それでも行動することをやめられない。自然に、突き動かされるように何かに向かって体が動く。もちろん意志の力で無理に持って行ってないので、そこに無駄な力みもない。

 はっきり言って「信じれば、疑わなければ、努力し続ければ云々」というのは誰がやっても同じように結果が得れるという種類のものではなく、個人差がはっきり出るものである。向いている人にはいいが、向いてない人にはとことん向いてない。

 信ずるより、絶対やり遂げると思うより、ダメもと精神でそれでも「好きだからやっぱりやる」くらいのほうがいい。そしてそれが実らなくても、そもそもダメもとなんだから当然、と思っているので精神的打撃もない。

 人間、結局体験からしか自分軸を持てないんだから、その限界をわきまえ認めておくことが大事。どうせ自分の安全な範囲でしか物事を見ないんだ、と分かっておいて自分を過大評価しない。それができたら、ネットで批判コメントを目くじら立てて書き込むようなアホなことはことはしなくなる。

 その謙虚さをベースとして、自分とは違う宇宙を持っている貴重な「他人」の干渉により、あっと驚く内的体験の旅ができることにワクワクし、成長の波に乗っていくことがオススメだ。

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