なぜ詐欺という犯罪がなくならないのか

 安倍元首相の国葬が終わり、そもそもの意義が問われたり弔問外交とうたいながらその実めぼしい大国の首相クラスは来ず、とお寂しい中ただひとつ国葬に追い風なニュースがひとつあった。それは菅前首相の弔辞である。胸を打つ、心からの言葉であることが感じられたなど賛辞が多数出た。

 これに異を唱えたのが、羽鳥慎一モーニングショーのコメンテーター・玉川徹氏である。あれは演出であると言い切り、向こうは印象操作のプロ(時折そうとも思えないチョンボを犯すようだが)だから、計算づくであると。そりゃ胸を打つように作れますよとも断じた。

 同氏は多分、国民の多くが「感動的だった」と素直に受け取ることへの危惧を抱いているように感じた。さぁ、当然ながらこの意見にはたくさんの批判が寄せられた。



●あれをそんなふうに見れるなんて、人としてひねくれている


●そんなふうにしか考えれないなんてかわいそうな人


●それは可能性のひとつとして否定しきれないが、かといってそうだという根拠もないではないか



 筆者も、玉川氏のように「断言する」までは言いすぎとは思う。でもやっぱり一方で、玉川氏の指摘する可能性にイヤイヤと耳をふさぐ、いい子ちゃんの国民側も、思考が柔軟じゃないなぁと思う。いや、本当にかわいそうなのは玉川氏に「あなたかわいそう」というあなただよ。なぜなら、狭い世界でしかものを考えられない人だから。残念ながら、人間はその精神性が成熟していない段階においてひとつの物の見方をする傾向にある。



●自分が受け入れたもの、よいと認めたものの出どころもまた「良いものであるはず」と自動的に決めつけてしまう。



 菅前首相の弔辞が、その人には感動的に聞こえると「私の心を打ったのだから、菅さんは真心から純粋に弔辞を読んだはずだ。それ以外のものがあろうはずがない」という論理展開になるのだが、それこそ「根協がない」。玉川氏のことを根拠がない、と言うがそっちだって同じほど根拠がない。根拠と言えるものは「あなたが感動した」ということだけ。そんなもの、裁判での証拠にもならない。



●あなたが感動したらそれは本物、という真理などこの世界にはない。



 この世界には「詐欺」と呼ばれる犯罪がある。

 人類歴史と同じだけの長さ消えることなく生き続けている。さながら「彼女イナイ歴年齢と同じ」みたいなことだ。

 なぜ、人は騙されるのか? 大金をいとも簡単に悪者に託すことができてしまうのか? 結婚詐欺など、自分の人生懸けた重要な決断をするんですよ? その正体が詐欺師である男を人生の伴侶として選べてしまうのですよ? その答えにこそ、筆者が今日みなさんに言いたいことの重要ポイントがある。

 私は別に菅首相のあの弔辞が見せかけだけのもので、国民に感動させて心の中でアッカンベーしているのだと言いたいのではない。玉川氏の肩をもつわけでもない。ただ、曲がりなりにもここは「悟りについて」扱うところだ。その観点から——



●あらゆる可能性を考えよ。本当の正しさとは、間違いとは違う正解のほうに自分がいると確信して安心し、対岸にいる人間を残念な人と思うとことにはない。自分は一方を選びながらも、常に「あらゆる可能性」を考え、自分がもしかしたら間違っているかもしれない可能性を心に常備しておくことである。



●本当の貧困とは、お金がないという事実よりも「発想の貧困」である。いくら正しいことでも、その「正しいこと」以外の可能性に目を向けられないのは心の貧困。



 物事をひねくれて見ろ、というススメではない。ただ、あらゆる可能性を考えろ、と言っている。オレオレ詐欺や結婚詐欺など、もしこの視点を持てている者なら引っ掛からない。それでも引っ掛かるとすれば、それはもう感情問題なので言葉や理屈で議論する意味合いが薄くなる。

 感動したなら、その感動させた主の心もまた本物であるはず、と考えるのはただの願望である。そうであってほしい、いやそうでなきゃいけないというあなたの無意識化下のこだわりである。そしてそれに異を唱えようものならあなたはカチンときて、感情的に攻撃する。(あるいは感情的なのを隠して冷静を装って)それが幼さだと言うのだ。そこを克服できない(自分がいいと思ったものは何が何でもいいと思いたい)からこそ、詐欺にも遭いマルチ商法や新興宗教にもひっかかり、信じたがゆえに散々な目に遭うのだ。



 もちろん、実際にたいへんな目に遭うのはごく一部の人たちだろう。だから大多数の国民は、自分が信じる=良いものだから信じたはずという幻想を自分に実害がない限り抱き続け、夢を見る。

 TV番組のモニタリングでも有名芸能人を見てキャーキャー言う一般人の姿が映し出され、神様に出会ったかのように涙を流す人までいる。でも、メディアが報じるその人の上澄みを人は見ているにすぎず、本当のその人を知らない。もちろん、この世界には夢がないと潤いがないので、そういうことがあってももちろんいい。ただ、そうして楽しむ心の片隅に、「自分が知らないあらゆる可能性がこの世界には隠れている」と考えられる心の遊びの部分がほしいのだ。

 ELT(Every Little Thing)の持田香織が、『Time goes by』という活動初期の歌がヒットした当時をだいぶあとになって振り返ってこう言っていた。

「あの頃の私は、歌詞の意味が分からずに歌っていた。(今は違う)」

 筆者は当時、あの歌を聴いて感動した。そして思った。「こういう歌を歌えるこの人は、本当にこういう内的世界を分かっているんだろうなぁ」

 ここでも、「自分が心動かされた → 動かした者はそれをよく理解しているはず」という図式が出てきたでしょ? だから持田香織の「よく分かってなかったけどただ必死に歌ってた」というのを聞いて、あれっと思ったものだ。自分の中の「思い込み」に気付かされたのだ。



 自分が純粋に感動した、良いと思ったものを腐されるのは、自分が何か失敗や悪いことをして「指摘される」こと以上に受け入れ難いものである。想像以上に腹が立つことである。これはもう、相手を下げることを何か言ってやらんことには気が済まない。それが玉川氏への批判になっている。

 私は、彼が正しいとかあなたたちが間違っているとかいう話ではなく「言わせておけよ」「放っておけよ」と思うんだ。それをわざわざ構うから、あなたのエゴがあぶりだされるんだ。構うということは、少しでもその意見を「脅威」と感じるから反応するんだ。人間、まったく脅威を感じないものには注意を払わない。

 つまりは、自分が信じたいのと逆の可能性があるかもしれないことに我慢がならないんだ。聞きたくないんだ。だから反発となる。

 再度言うが、玉川氏の言葉に腹が立った人は改めて「なぜこの世界から詐欺というものがなくならないのか、なぜ騙される人が後を絶たないのか」について、考えてみるといい。何か、自分が見ようとしなかったものが見えてくるはずだ。そしてそれは確実にあなたを成長させる。

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