ありのままに大して価値はない

 筆者の住んでいるところは純然たる田舎とは違うが、それに近い。

 都市部からそう遠いわけでもなく、隣りの市にまで足を伸ばせばイオンもある。でもそれに隣接する我が町は、半分以上が山間の、住宅地以外ほぼ何もないところである。もちろん食料品店や最低限生活に必要なサービスはあるが、だいたい大手ではなく個人経営(バックが大手でも委託)であり、何か買いたいときに「それなら(まさにその機能さえ果たすなら)なんでもいいというわけではない若者は、当たり前だが品揃えの多い都市部の店に行くしかない。



 そんな場所だから、飲食店など開いても素人でもそうメリットはないと分かる。もうけよりも趣味(採算度外視で自分の趣味を貫ける小金持ち)だったり、あとは生まれ育ったその町が好きだとかいう郷土愛だろう。実際、小さな個人経営の喫茶店や食堂しかなく、大手の名のあるチェーン店は1店しか知らない。大きな国道に辛うじて引っ掛かっている場所にある吉野家だ。

 そんな場所だから、新しく飲食店が建つと聞いて「なんでまた」と思った。

 儲ける気があるのだろうか? しかも皆さんご存じの通り名前を挙げなくてもツーカーで分かる「あの社会現象」がまだ終わっていないご時世だ。場所も、ずいぶん引っ込んだところにある。本当に儲ける気があるのか、と思った。

 聞けば、インド料理のお店らしい。田舎だと紹介したのでインド料理とは意外かもしれないが、もっと意外なことにすでに一軒あったのだ。インド料理の店。リサーチすれば誰でもその田舎にすでに一軒建っていることは分かるだろうに、それでもあえて建てるのは自信があるからなのか。それともやっぱり、自分の町で採算度外視で好きな店をやりたい、ということなのか。



 私はそのお店ができて一週間ほどしてから、奥さんとそのお店で食べてきた。

 お昼のランチに食べに行ったのだが、まず第一の問題が立ちふさがった。駐車場がないのである。東京や大阪のド真ん中や京都市内だったら土地事情があるからそれも分かるが、比較的田舎の立地で駐車場がないというのは、ちと痛い。

 仕方なくコインパーキングを探すのだが、店から遠い。どこぞの駐車場と提携して飲食したら駐車場代を割引、という細やかさもない。

 車をどうにか停めてやっとこさ店内に入る。客席が二人掛け6席とカウンター席5つほどの、こじんまりした店だった。そこでおすすめのインド料理プレート(1200円)を注文してみた。で、食してみた感想はというと——



●本格的すぎるのだと思う。



 ぶっちゃけた話、まずいのだ。

 こだわって米もインド米を使っているのだが、パサパサして味気なく「これ絶対日本のコメのほうがええやろ」としか思えない。せっかくのこだわりが、日本人客に功を奏していないのである。

 味付けも、こちらはインド料理素人なんで「奇妙」という感想しか持てなかった。カレーはまだなんとか「現地ならこういうものなんだろう」とあきらめもついたが、サラダとスープが自分には食えたものではなかった。これも、現地の味を忠実に再現しました! とにっこりされたら、こちらは「ああそうですかすごいですね」と言うしかない。

 これは最大に致命的なんだが、料理が冷めていた。

 スマホに夢中ですぐに食べなかったから冷めた、とかではないよ。目の前に置かれてすぐに食べたのに、カレーもお米もほぼ常温。これは、現地が暑い国だからこんなものですよと言われても納得できない。ここは日本で、食べに来るのは圧倒的にインド料理の何たるかを知らない、日本の味に慣れた客ばかりが来るんだよ?

 店を出た後、「二度と来ることはないだろう」と思った。



 家に帰ってから、すでに町にあるほうのインド料理の店との違いを考えてみた。

 そちらは店主が正真正銘インド人で、日本にはビジネスで来たらしい。で、定年の年を迎えてビジネスもひと段落したので、余生は得意なインド料理でも広めるか、ってノリで始めたものらしい。

 私は何度もその店に行ったことがある。理由は単純に「おいしい」からだ。

 もちろん、食べてみてファミレスやココ壱のカレーが「おいしい」というのとは質が違うのは明らかに分かる。そこは、本格インド料理をベースとしているからだろう。でも、シェフは長年に日本に住んだ経験から「こういう風にしたらもっとおいしいと思ってもらえる」工夫を思いついたのだろう。店内に不器用な日本語で「カレーうどんもご希望ならつくります」と書かれてあったのが笑えた。

 そこが、本格的すぎて媚びなさ過ぎてまずかった店と、柔軟なアレンジも辞さない姿勢の店との違いだろう。



 昔、アナと雪の女王というディズニー映画が大ヒットして皆が「ありの~ままの~」というあの歌を口ずさんだ。

 自己啓発やスピリチュアルの分野にもそれは波及し、「ありのままのあなたでいい」「なにかできないと価値あるあなたではない、という言葉に耳を傾けるな。あなたはあなたであるというだけですでに価値があるのだ」という話がもてはやされた。

 もちろん、今挙げた言葉は間違いではない。むしろ正解の部類である。ただ正しいと言っても使いどころを間違えると害になる危険はある。たとえば、努力しない人や面倒くさがりが「必死に努力することを避ける言い訳」「乗り越えなければならない課題から逃亡する言い訳」をこさえる片棒を担ぐからだ。

 あなたは、あなたしか分からない。ましてや他人に、あなたが理解している以上のあなたを分かることはない。あなた自身ですら時として「自分というものが分からない」なんてことすらあるのに、他人に何を期待する?

 


●ありのままのあなたの価値など、他の誰にも分からない。

 分かり得ないものに、価値などない。だからありのままなどに価値はない。(その本人以外の他人には)常識に欠けた人間が何かしても、褒められるどころか蹴っ飛ばされるだけ。育てりゃいいというが、忙しい現代人には他人をかまっている時間がない。家族ですらかまえないところがあるほど、世の中は狂っている。

 世の大勢は、ただ命である・同じ人である・個性(違い)は尊重されるべきといった倫理的・精神論的観点から「ありのあままは大事」という根源論(現実には意味が薄い)を言っているにすぎず、それぞれのありのままの価値など分からないのに、自分勝手に分かった気になっているだけ。それが一時の社会現象の正体である。



 インド料理を、日本人に媚びず「ありのまま」を出して胸を張っていいのは、そこがチャイナタウンならぬ「インドタウン」か何かであって、その町にインド人率が高いとかで、故郷の味を懐かしむ人の役に立っていて基本日本人は「来たいなら来たら?」程度の塩対応、というなら筋が通っていて納得する。

 でも筆者は、この町でお店関係者以外のインド人を見たことがないよ! であれば、あの媚びなさ(徹底したご当地再現)は何なのだ? 集客したくないのか。大勢に「おいしい」と言って来てもらいたくないのか。ちなみに筆者と奥さんが訪れたランチタイムは、私たち以外のお客はゼロだった。採算は合うのだろうか、と他人事ながら心配になった。



 ありのままでいい論は、あくまで根源論だ。命はすべて尊い、というのと同じ。

 でも、快楽殺人犯とか人を貧乏のどん底に叩きこんで自分は幸せそうにしている詐欺師とかを考えても、平然と同じ言葉を口にできますか? 子どもを殺されても「命は皆尊い。犯人も同じ」と無理せず言えますか?

 だから、「ありのままでいいんだ論」とは、ありのままをゆるすことで周囲が「そう大きな実害や迷惑を被らない」範囲でのみ語って良しとされることが暗黙の了解だ。そうでないと、ヘンな人にまでありのままでいられて大きな事件でも起こされたらことだ。

 限定的状況でしか発動できない考え方教えなど、真理や法則でないどころか、一歩間違えたら詐欺まがいの洗脳となる。ありのままでいい、ということを表面的に利用して人として退化していったのが何人いることか!



 人に合わせる、ということは一見自分という軸を大事にせず、他人の評価や顔色を窺っているというイメージを持って連想される。忖度、という言葉もある。

 確かに、保身のために度を越して他人第一にするのは考え物だが、インド料理を日本人も喜ぶように出すのは「日本人に媚びたしっぽを振った」「魂を売った」という評価がまったく当たらないことなのだ。いわば「愛」ってやつだ。

 人の間と書いて人間。もちろん、自分の人生だから、自分軸を貫くのも自分がいいと思ったものを貫くのも大事だ。でも、やっぱり、人が幸せだと思うものを想像してその想像を実現していくのって、やっぱりかなりの場面で必要だ。




●ありのままに、ちょっとひと手間かける。



 それこそが大事なのだ、と思ったインド料理店訪問のお話でした。

 ならば、ここはどうなの? いやなら誰も見てくれなくていい・好きなことを書いているだけです、って今日の記事は筆者さんのこれまでのスタンスとずいぶん違うことを勧めてくるんですねぇ! と言われそうだ。

 こうしたら大勢にとって幸せなことなんじゃないでしょうか、っていう提案にすぎず、私はこの徹底した媚びなさが命なんです! 集客や利益を目的とした客商売ならそうなんだということで、私のは客商売じゃないのでいいのです。 

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