鳥を飼う男
その昔、あるところに死刑囚の男がいた。
人生に絶望し、もうどうでもいいと自暴自棄になり、その辺にいた無関係の通行人を刺し、そのうちの数人を死に至らしめた。
逮捕され裁判となり、最終的に受けた判決は死刑。
死刑が確定してから後も「どうせ生きてたって何もいいことはない。死刑にするならしてくれ。おれにはどうでもいいことだ」と言って一切の反省がなかった。
反省がない上に、死刑が実行される日を恐れるといったこともまったくなく、でも食事と睡眠は取るので「ただ死なないというだけで、この男の生かされて在る日々に意味があるのか」と彼に関わる看守や刑務官は考えてしまうのだった。
ある刑務官が、食事を運んできた時に「動物を飼ってみたらどうか」と冗談交じりに言ってみた。男には自分が愛して大事に思う人間がおらず、また彼のことを気にかけて面会に来るような人間もいなかった。さすがに環境的な制約もあり、いきなり誰か人間を愛するというのはハードルが高いので、小鳥くらいなら何とか認めてもらえるのではないかと思ったのだ。
最初そう言った時は特に関心もなかったようで反応しなかった。興味ないのかな? と思った看守がもうその話題は振らず、2・3日して看守本人もそんな話をしたことすら忘れた頃に——
「あの話、考えてみようと思う」
「え、何の話だっけ?」
「鳥を飼う話」
本来は認められないのだが、所長の計らいで(言い出しっぺの看守も一緒に責任をもつと援護射撃をしたこともあって)男が鳥を飼うことがゆるされた。
定期的に餌を補充し水を替える。下に落ちたフンを掃除する。やることと言えばそれくらいしかないが、あとはじっと鳥を眺める。そんな生活が始まった。
ついに、男の死刑執行が決まった。
当日、迎えに来た刑務官に男は一言。
「鳥にエサをあげないといけないんです。水も替えてあげないと」
「残念ですが、もうお時間です」
「……僕がいなくなったら、あの鳥はどうなるんですか。僕がいないと。僕が世話をしないと!」
しまいには、死刑を取りやめてくれ、死にたくないという始末。言葉上だけのことだけで言えば今更何を言っているんだ、と思える話ではあるが、鳥を飼い始めてからの男の変化を見てきた関係者たちは、少なからず胸を痛めた。
死刑執行の瞬間は、本当に悲惨な最後だった。男は、最後まで鳥のことと世話を続けたいということ、死にたくないということを絶叫する中、命を絶たれた。
もしこれが、鳥を飼うことなくもとのままの男だったら、平然とこの場を迎えていただろう。殺すなら殺しやがれ、という醒めた感情と共に死刑を受け入れていただろう。しかし、下手に「何かを愛すること・慈しむことを学んでしまった」彼は、もっとも苦しい最後を迎えることになった。
刑務官は悩んだ。いったい、どっちがよかったんだろう?
答えはでないが、ただひとつだけ確かなことは「もし男が事件を起こす前に何かを愛し守ることを知っていたら、こんなところへ来ることはなかったかもしれない」ということだけだった。
『100万回生きたねこ』という有名な絵本がある。
最後には、愛を知ってやっと死ねるという話である。今紹介した話と、共通してるテーマがあるように思う。
苦しみながら死ぬのは誰しも避けたいものである。でも、愛を知らないがゆえの「苦しみのなさ」は本当に苦しむよりもマシなのだろうか。もしかしたら、たとえ無様でも最悪でも「愛を知ったがゆえの無様・苦しみ」のほうがよいのかもしれない。もちろん、自分はそんな体験をしない立場だからこそ言えるだけなのだということも分かった上で、それでもなお言いたいのだ。
イエス・キリストも十字架上で「神を責めた」。なぜ私をお見捨てになったのですか、と。でも、イエスは最後受け入れた。愛を知らなければ、今の状況は苦しくないだろう。人に呆れ絶望し「お前らと同じ空気を吸わなくてよくなってせいせいするぜ」と小指を立てながら死ぬ道もあった。でも彼は「愛ゆえに苦しめることをむしろ宝物とし受け止め、昇華することに成功した。
さっきの死刑囚の「鳥を飼えて愛が分かって死ねることに感謝できたバージョン」である。
イメージ的に「愛」というのはいいものずくめである。そこに負の要素が入り込むことはない。
でも、この世界での真実は普遍的な性格をもつ「愛」というものと、人間世界が変化する諸行無常の世界であるということとの相性があまりよくなく、時として(いや多くの場合)愛のゆえに「苦」が生じる。
愛と苦は、コインの裏表で、切っても切れない関係にある。きれいごとではなくそこを認めて、苦があろうともそれを承知でなお愛そうという、それこそがたとえ苦しくとも「良い人生」であると言えるのではないだろうか。
そう考えると、先の話の死刑囚の最後は、人情的には「鳥を飼うことを勧めなければよかった」と思えるほどに取り乱したことで一見最悪に見えたが、深い視点では「それが彼の魂の旅にとって一番よかった」と言えるのかもしれない。
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