Q&Aのコーナー第百四回 「特殊な人間が世に合わせるには」

 Q.


 私は過去に特殊な体験をし、人とはだいぶ違う感覚で生きてきました。同じに考えてはいけないかもしれませんが、筆者さんの場合の覚醒経験後の生きる工夫(常人とうまくやっていく方法)などありましたら、ご指導ください。素で生きると、変わり者扱いされて辛いのです。



 A.


 結果から言えば、そんな方法などありません。たとえどんな方法を考えついたって、いつかどこかでボロが出て破綻します。まず間違いなく無理がきます。

 いくらうまく生きるためとはいえ、周囲に合わせてつくろっていたらいつか「自分の本心は心から納得いってない」ことに気付けてしまうものです。

 だから、自分をうまくごまかす方法を考えるという方向性(ベクトル)の話は捨てて、ただこれだけできたらいいと思います。

『私は人とは違う、というとに自覚的である。常に心の片隅に置いておく』



※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※



 私たちは、同調圧力というものに順応することを幼いころから学んできた。

 その流儀に生きていると、どうしても「おかしいのは私のほうなのだから、私が合わせるべき」と考える。余分な面倒や争いごとを避けたい性分の私たちなら、世間に迷惑をかけないでどう生きていったらいいかをお人よしにも考えてしまう。



 でも、おかしくないですか?

 すべからく人には等しく尊い価値がある。人種・性の違いを越えて。すべての命に幸せに生きる権利がある。そして幸せに生きるとは、「無理せず自分らしく伸び伸び生きること」。

 なのになぜ、人類全体の中で「これが普通」と思われている感性・考え方・世界観の者だけがそのまま生きることをゆるされて、特殊な思考フレームを持った人間は自分を無理に標準枠にハメて、普通の人よりも苦労を背負って生きることを課せられなきゃいけない? 平等って言うんなら、おかしいでしょ。



 つい先日の記事で、『響 -小説家になる方法-』という漫画を紹介した。この作品に登場する天才的文才をもつ響という少女は、世間の常識や配慮・同調圧力や忖度といった「周囲とうまくやる能力」が完璧に欠落している。

 もちろんそのせいで問題は起きるし、響自身は何も問題がない、とまでは言わない。でも作品を読み進めていくうちに私はひとつ思ったことがある。



●お話が進むにつれ、響と周囲の支える人間との間に変化が起きている。

 無茶苦茶な主人公のほうが衝突から学んで、周囲に合わせられるようになったのではない。その逆で、響は終始相変わらずだが普通人である周囲のほうが響という命を理解して、それに合わせようとしている。

 響はその文才で世に素敵な作品を出すことで、恵みを還元している。ならば本人がストレスなく羽ばたけるよう、汲んでやれる分は汲んでやるのが、助け合いなのだ。



 この世界で、障がい者が生きる権利を認められ、皆も支えることに同意しているのはなぜ? これ、時代が大昔ならたいへんだった。

 命が大事、っていうお決まりの薄っぺらい根拠だけじゃないでしょう。彼らは私たちに必要な『メッセンジャー』なのだ。ある大事なことを(そしてそれは、五体満足な私たちが忘れがちなこと)教えてくれるためにいる。

 世話がタイヘン、ってイメージが先行するなら、あなたは命に対して上から目線のゴーマン野郎だ。(女性なら失礼)彼らは存在することそのものが、仕事であり接する私たちにこの上ない価値のメッセージを与え続けてくれる。ただし、こちらにそれを受け取る姿勢や読み取れる感性がなければ、障がい者はただの面倒で迷惑な存在にしか見えない。ちょうど相模原で起きた障がい者殺傷事件の犯人のように。



 特殊な感性や思考フレーム(今回の質問だとスピリチュアル的な開眼やいわゆる悟り)を持った人間に、世に合わせる責任などない。もちろん、天才は常識がなくて何をしてもゆるされるというのは違う。出演女優に手を出していたとされる園子温という映画監督のように、あきらかに他者に実害を与えるというレベルでは責任を問わなければならない。

 ただ、日常コミュニケーションのすれ違いで、一般人が響のような人種にムッとするくらいのことは、お互い様という考え方で、共生共栄(どちらかに無理をさせるのでなく、等しく寄り添い合う)を目指してほしい。

 どうも最近の日本人の好きなのは、「甘えんな」という言葉らしい。生活保護には「甘えるな(早く仕事せい。税金もったいない)」、発達障がいや精神障害にも(配慮しろなんて)甘えるな。

 あなた、人生のどこでつまづいたの? と聞きたくなる。そんな考えになるようなきっかけが、何か傷ついた経験があったんだろうね!



 多様性を受け入れ認める世界を、目指しているんではなかった?

 まさか、建前だけだったの? ホンネはやっぱりメジャーに合わせろ、マイナーは迷惑かけてること自覚しろ、ってのがホンネ? なんでおまいらのためにこっちがエネルギー使わないといかんのよ、ケッ! って?

 そろそろ質問者さんへの回答に入らないと、いくらでも長くなりそうなんでまとめよう。あなたは、無理に合わせる必要なんかない。あなたはあなたのまま、自分を押し殺さないまま幸せになる権利がある。ただ、犯罪行為含め周囲に迷惑がかかるレベルはいけない(そういう意味では響はちと行き過ぎか?)

 仮にあなたが「周囲とうまくやっていくテクニック」を身につけれたとしても、いつかは気付くでしょう。そうやって得た安定は、本当の幸せや心からの満足を与えてくれるものではなかった、と。

 無理していいことは何一つありません。いくら周囲のためでも、あなた自身をいびつに変形させるべきではありません。

 でも、ただひとつだけ、ささやかなことですが方法論めいたことを言います。



●どうも自分は周囲とは違うらしい、ということをいつも心の片隅にでも自覚的でいるといいですよ。それをするとしないとでは大違いです。

 そこができていたら、それ以上の無理をすることはお勧めしません。

 多少の行き違いは起きても、いつかはそういう部分を除けてあなたの価値を分かってくれる人が増えてきます。そうなるためにも、あなたはあなたらしく輝いている必要があります。

 だから、うまくやれているか他者の眼に自分がどう映っているかに頭のメモリやエネルギーを注ぐのではなく、自分の打ち込めること好きなこと、力を発揮できることに注意力を注ぐ方がはるかに建設的です。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る