Q&Aのコーナー第百三回 「病気は自分が生んでいる?」
Q.
病気は、自分が生み出しているんですか?
A.
そんなわけないでしょう。
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最近のニュースはずっと、安倍元首相が撃たれた事件のことが手を変え品を変え報道され続けている。日本人とは単純というか喉元過ぎれば熱さ忘れるというのか、安倍氏が悲劇的な最後を遂げると「かわいそう」と思うのか、安倍さんは良い人だった論がなぜか盛り上がり、モリカケや彼の政治の功罪部分の「罪」の部分(アベノマスクとか)、国会での虚偽答弁などまるでなかったかのようになっている。死んだ者にこれ以上追い打ちをかけない、いいことだけ思い出し讃え送り出してあげようという日本人なりの美学は分かるが、これからも生きる私たちには今後のためにもチャラにしちゃいけないものがあるだろう!
筆者としては、いくら安倍氏が哀れな亡くなり方をしたからといって、「それはそれ。これはこれ」だと思うのだが、世間の人は違うようだ。「安倍さんは実はこんないいことを裏でしていた!」とかいう情報を今更発掘してきて、「安倍さんありがとうキャンペーン」にわざわざ花を添えたりもしている。
菅義偉前首相の時もそうだ。在任中、あれだけ批判して文句を言っていた国民が、退任し岸田首相に代わったあとで「実害をかけられる心配がなくなった」安心感からか、菅さんは実はよかったという話が盛り上がった。人間というものは、考え方において実に両極端になりがちということが分かる一例である。
そう、人間は両極端。
だからスピリチュアルの世界においても「思考が現実化する」という言葉が実に極端に解釈されている。
●思考が現実化する、というのは厳密には間違い。
思考は現実化しない。
ただ、その人の思考(信念とか情熱・執念と言い換えてもいい)という外界を捉えるフレームが、情報を取り込む際に特殊な効果を与えることはある。それを人間側が拡大解釈して、「私が(100%)やったんだ。引き寄せたんだ」とストーリー付けをしてしまう。
思考は現実化する、という言葉は人生の成功者が「私が自分の(思いの)力でこれを引き寄せたのだ!」と思い上がってしまったことで生まれた言葉である。
この問題の難しいところは、人によっては本当に「意識で100%創造できた、心から信じてイメージして得れたと思えたら本当に引き寄せられた」としか思えない現象が起きるからだ。それはその人物特有のことで(イチローが野球うまいみたいなこと)万民に起きることではないのに、法則と勘違いしちゃって人に広めだした。一体、引き寄せを習ったうちの何%の人が、引き寄せは学校の教科書に載せてもいいくらいの真理で、バンバン夢が叶っている! と思えているのだろうか。
●思考が現実化する、という言葉の生みの親は人間の傲慢性である。
自分の人生を支配できるという傲慢。
意識操作次第でなんだってできる、不可能はないという考え方は危険である。
隠し味のスパイス程度なら、人生に潤いと刺激が適度に備わって良い。だが、成分の全部がそのスパイスになると、もう美味しいとかいう次元ではない。過ぎた「自分がすべて生み出している思考」は、お蔭様という言葉を人から忘れさせる。
●この世界の本質を言い表した言葉のひとつが、『お蔭様』である。
良くも悪くもそうなのだ。
芸能人発掘オーディションに、自分に自信のある人物が合格したとしよう。彼は思うかもしれない。オレがこの成功を引き寄せたんだ、と。完璧に「絶対成功する」と信じ切れたから、自分に実力があったから現実となったんだと。
でもそこには、これまでお金と愛情をかけて育ててくれた両親、過去に出会った教師の教え、友人の影響。実に有形無形の『ご縁』が広大な蜘蛛の巣のように張り巡らされていて、あなたがその成功のために寄与したのは全体の数%にすぎない。まさにすべてが繋がっていて、お蔭様と言う他ない「恵み」なのである。
そう考えることができてこそ初めて「謙虚」というものが生まれてくる。引き寄せに凝り固まった人に多いが、会って話してみると謙虚さのかけらもない。
逆のお陰様もある。あなたがお風呂からあがってタオルで体も拭かず裸でウロウロしていたら、風邪をひいたとしよう。あなたは風邪をひきたくてひいたのではない。単にズボラで不注意な行動をしただけなんだが——
●風邪をひこうなどと思ってないのに、ないはずの思考が現実化した?
誰だって常識で分かるでしょう。そんなことしてたらそりゃ風邪のひとつもひくでしょ! って。要するにこれは、この世界で起きることはその人物が思考した(意識で創造した)ことではなく、外のあらゆる要素(人的・物理的)の干渉によりあなたのコントロール外のところで起きているということだ。
その中でたまたまあなたが心の中で願っていたことと、コントロール外のはずの様々な事象の干渉がたまたまその願いに沿うものだったという偶然が重なっただけというのが、この世の成功の正体だ。ここまでをまとめると、すべて自分だけの力で生み出すものなどこの世界には何ひとつない、ということ。
では、改めて今回の質問を見てみよう。
「病気は、自分が生み出しているんですか?」言葉はこれだけだが、深読みすると「思考は現実化するというから、病気なんかもその人自身の創造の産物なんですか?」ということだろう。
『病は気から』ということわざがある。思い込みというものの怖さは、具体例を挙げなくても皆さん承知のことだろう。
確かに、「私はきっと長生きしないわ。だってうちの家系がんで早逝した人があまりにも多いんですもの!」と深刻に考え続ければ、体調だって悪くすることはできるだろう。でもそれだって「思い込んでしまったから体調が悪くなった」というのが百%の正解ではない。いくら本人が思い込んでも、それ以外の外の世界のすべてがその人物の思い込みに協力的でないなら、あなたは風邪ひとつ自分でひくことができない。イエス・キリストはこういう言葉を遺している。
●わたしは言っておく。一切誓いを立ててはならない。また、あなたの頭にかけて誓ってはならない。髪の毛一本すら、あなたは白くも黒くもできないからである。あなたがたは、『然り、然り』『否、否』と言いなさい。それ以上のことは、悪い者から出るのである。
【マタイによる福音書5章33節~37節の一部抜粋】
●はっきり言っておく。子(あなた)は、父のなさることを見なければ(あなたを取り巻く世界のすべての同意なしには)、自分からは何事もできない。父がなさることはなんでも、子もそのとおりにする(あなたの願望や考えに関係なく、起きたことはすべて受け止めていくしかない)。
【ヨハネによる福音書5章19節 カッコ内は筆者の補足】
病気は自分が生んでいる? バカも休み休み言いたまえ。
あんたそんなすごいの? 病気を生めるくらいだから、さぞかし成功とか富とか幸せも生めるんでしょうねぇ!
O・ヘンリの小説『最後の一葉』もそうだ。病弱な女性が「窓から見えるあの木の葉っぱが全部散ったら、私は死ぬんだわ」と言ったら、画家が散らない葉っぱの絵を描いた。結果女性は死ななかったが、本当に葉の絵のおかげだけで死ななかったと言い切れるのか?
もしかしたら絵の葉っぱが描かれず本当に葉が全部散ってしまっても、生きていた(死ぬと思い込んでいたが死ねなかった)かもしれないではないか。
●何事も、その人間の意志だけで決まることはひとつとしてないのだ。
だから病気になるのも、縁起でつながっている世界の森羅万象の同意無くしてなれないのだ。逆にあれば、あなたの表層意識が望まずとも病気になる。
この問題は「考えても仕方がない」ことの代表格のようなものなので、難しく考えすぎないがよい。
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