人の目を気にせず好きなことを

 昔、あるTVドラマを見ていたらこんなセリフがあったのを覚えている。

「よくあるよね、スナック菓子とかでたこ焼き味とか焼肉味とか。僕はね、そんなもの食べるくらいだったら本物を食べるね。どう考えたってちゃんとしたたこ焼きと焼き肉のほうが美味しいに決まっているじゃないか。なんで本物が一番いいのに、それを別物で味わわなきゃいけないのさ?」



 うん。確かにたこ焼きも焼き肉も、本物が一番美味しい。一理ある。

 でも、一理はあっても万民が賛成できる真理ではない。

 うまい棒はなぜ人気があるのだ? 実にいろんな味があり、それぞれの味にファンがいる。上記のセリフを言うような人間なら、めんたい味のうまい棒を食べるくらいなら、本物の明太子とアツアツごはんで食べるのが一番とか言うんだろう。納豆味だったら、本当の納豆には勝てないとか言うんだろう。

 でも、そんなかたいことを言う人間に分かっておいてほしいことがある。



●たこ焼き味した『ポテトチップス』があえて食べたい人もいるんだ。

 コーンポタージュ味をした『ガリガリ君』があえて食べたい人もいるんだ!



 当たり前だが、好みなど人それぞれ、ということだ。

 その昔、ある高名な料理評論家が、死ぬ前に『ごはんに味噌汁をぶっかけて思いっきり食いてぇなあ』とボソッと言ったそうだ。

 ならやればいいだろ、と思うだろう。でも、この方は真面目な方で、自分の名声を維持するためには家族といる場面ですら、情報が漏れることに気を使ったのだろう。人気な有名人ほど、意外とピュアなプライベートというのはなく、お忍びでもどこかしら情報は漏れるものだ。

 世間の人が認める食通という立場を維持するために、本当に自分がしたいこともできなかったのだ。なぁんだ。食通とは言ってもやっぱりそういうもんなんだなぁ、と思われたくなかったのかもしれない。



 Netflix発の韓国ドラマで、『梨泰院イテウォンクラス』という面白い連続ドラマがある。筆者も引き込まれて全話見た。

 つい先日、その日本版リメイク『六本木クラス』の第一話がTV放映された。これに関しても、やはりこういうことを言う人はいるものだ。

「下手にリメイクするくらいなら、本家を見たほうがマシ」

 確かに、これまでのリメイク作品というもの全体の実績を俯瞰すれば、傾向として「本家越えしない」「これはこれで良い、とまでは評価されない」作品が少なくない、とは言えてしまう。それを考えたら、視聴者も「またかよ」という気分にもなるだろう。『24(トゥエンティーフォー)』の日本版リメイクの評価が散々だったことも記憶に新しいし、逆に日本ドラマが韓国ドラマにリメイクされたものがビミョーなこともある。(女王の教室やドラゴン桜など)

 もちろん、不安要素はある。不祥事で人気が安定しない竹内涼真を主人公に据え、半沢直樹の大和田常務のイメージが強い香川照之を敵役に使うなど、キャスティングが微妙。また、お金もつぎ込めて放送時間の尺も長いネトフリドラマを、日本の民放ドラマ枠の尺にはめるのだから、駆け足感を感じされる危険もある。



●ペヤング焼きそばの変わり種味があるように、ドラマにも色々な在り方があっていいじゃない! 見たくなきゃ見なければいい。



 ~味のお菓子を食べるなら本物のその料理を食べるね、というのも。リメイクと聞くだけで、まず偏見を捨てて味わってみようとせずアラ探しから始めるのも。そのどちらもいわばオリジナル至上主義者。

 竹内涼真がヘンな髪形をしててもいいじゃない。香川照之の言動を見て「これ、本当に日本で起きてるの?」とか思っちゃってもいいじゃない。失敗したら、制作側が学んで後に生かせばいいだけの話で、私たちがやるなやめろ言う話じゃない。



 心の命ずるままに、という言葉がある。

 人の目を気にせず、自分の好きなことをしろ。言いたいことを言え。

 これは、ある意味きれいごとである。残念ながら人には(特に子どもや学生ではなく大人なら)社会人として食っていかないといけない、という制約がある。

 その制約を死守するために、人によっては「本当に言いたいことを言っていたら、自分の立場が危うくなる」ケースもある。残念ながら、この世界は本当の意味での多様化が確立されてはいない。建前上の言論の自由はあるが、ある線を越えてこの世界の流行や平均を逸脱するものは、一般大衆の機嫌を損ねて叩かれる。あるいは見向きもされなくなる。

 他人からの支持が即収入に繋がるような仕事ならなおのことだ。自分の言いたいことよりも、マーケティング(世の人はどんな話が好きなのか、聞きたがっているのか)を優先させ、話を作る。そこは仕事と割り切る。



 本書では、筆者が特殊な立場ゆえの壮大な社会実験が可能になっている。

 本当に、他人の評価も気にせず言いたいことだけを言っていたらどうなるか、という。筆者は経済的に豊かになる道を追うのは捨てている。だから日々のアクセス数がどうであろうと「あれっ、この話題意外と反響なかったな。じゃあこういうのだと読んでもらえるかな?」とはまずもってならない。

 たとえ筆者の活動によって1円たりとも入らなくなっても、活動スタンスを変えないつもりだ。私が死を迎えるまでに、まだある程度の時間は残されているだろう。その間はせいぜい、どこまで一般受けしない話をほざいてられるかやってみたいのだ。

 私が書く記事は、ちょっとあり得ない味のスナック菓子のようなものだと思う。なんでそんなもの食うんだ、と眉をひそめる人が多いとしても、少しでも「これ変わった味だけどうめ~!」と言ってくれる人がちょっとでもいる限り、私の挑戦は終わりはしない。 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る