かまいたち

【かまいたち 鎌鼬】


 突然皮膚が裂けて、鋭利な鎌で切ったような傷ができる現象。特に雪国地方でみられ、越後の七不思議の一つとされる。空気中に真空の部分ができたときに、それに触れて起こるといわれる。ただ科学が進む中で真空説には疑問も生じ、今日でも諸説入り乱れ確実な説明はつけられないまま。



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 安倍元首相の銃撃事件について、「世界で最も安全な国の一つで、最も厳しい銃規制を備えた国に衝撃が広がった」とAP通信は驚きを込めて伝えた。

 私はニュースでこの言葉を聞いた時、どこが安全なもんかい、とため息が出た。

 確かに、日本は銃社会ではない。アメリカなどでは、毎日のようにどこかで銃乱射事件が報じられている。それでも銃規制にならないのがアメリカだ。

 そういうニュースを聞きながら、日本はまだマシだなと心で思った日本人は少なくないに違いない。その辺の人に聞いても、日本は住みやい良いところだ(海外に比べて)と答えるだろう。それは日本に生まれ日本に育ったからこその身内びいきバイアス(そこがいいと言うのはある意味では当然ともいえる)もかかってはいるが、こんな少子化社会・格差社会・結婚しにくい子育てしにくい社会でも住み続けたい、とまで日本人をして言わしめるのはズバリ『治安の良さ』に尽きる。



 日本は長らく、銃規制が厳しいこと治安がよいことを誇り続けてきた。

 海外から『世界で最も安全な国』と言われるほどのこの国は、本当に安全か?

 皆さんは、見た目に(現実に)銃がないということ、警察が強くて治安が良いということをもって単純に「安全な国」と考えてませんか?

 かまいたち、という言葉を知ってるだろうか。間違っても、お笑い芸人コンビの名前のことではない。冒頭に挙げた不思議な現象のことであり、科学の発展していなかった昔は妖怪の仕業と言われた。危害を加えてくる犯人が見えないのだ。



●確かに、日本に銃はあふれていない。

 ただ、この社会では見えない『空気』がそこに住む人間を切り裂く。

 空気が人を殺す。日本はいわばかまいたち社会である。

 それは、ある意味で銃社会と同じくらい怖いことである。



「空気」というものがもつ怖さ、その性質のやっかいさは色々なところで語られる。空気読むとかいう言葉も一時流行し、空気という言葉は同調圧力という言葉と親和性が高い。

 目に見えた銃はなくとも、我々は空気によって常に攻撃されている。それに耐えきれなくなった人から心に闇を抱えていくようになり、人によっては犯罪行為(反社会的行為)として表面化をしてしまうこともある。

 今回の事件で、銃規制の厳しい日本でなぜ、とかどう再犯を防ぐか(警備をもっと強化する・今後は銃で狙われる可能性ももっと考えておく)という議論はちょっとピントがずれている。

 見た目に分かりやすい銃という凶器がないだけで、日本人は皆空気を操り武器もなく斬りつけることができる。この社会では、人を攻撃するのに基本銃は要らないのだ。だから今回のケースは、見えない水面下であふれていたものが、ついに可視化できるところに漏れ出てきてしまったというだけの話で、議論すべきは社会のフレーム(枠組み)自体を一度解体しちゃうところまで思い切ることなんだが、この世界を仕切る力のある方々は今のままでいいようで、一方大多数の庶民はあきらめモード(あきらめているということも自覚できない思考停止状態)なので、きっと十年先も日本は変わらずであろう。



 予想はできていたことだが、ネットニュースのコメント欄では、犯人をクズ呼ばわりするコメントで溢れている。納得できないことがあっても、暴力はいけない。みんないろいろあってもちゃんと仕事して頑張っているんだ。あんたができないのはそれ甘えだよ? 



●この社会の枠組み(システム)自体がもう時代に合わないのに、その枠組みを守る中での幸せ、成功しか人々は考えられなくなっている。

 これは、トップ権力者による洗脳の成功とも言える。彼らの都合のいいことに、その社会のひずみのせいで誰かが問題行動を取っても、それをまだその枠組みで耐えれている同じ庶民が戦ってくれるのだ。甘えるな、皆が頑張っていると言って、同情どころか攻撃してくれる。これは、富裕層は笑いが止まらんだろう。自分が頑張らなくても、貧乏人自身が世の中の在り方を疑問視する者を抑え込んでくれるのだから。



 どんな事情があっても撃っちゃいけない。不満があるなら、正当な手続きと運動で世の中を変えろ、と人は言うだろう。確かに言葉上は非の打ち所のないまっとうな意見だ。

 ただ、現実にはこの世界の仕組みというかパワーバランスは強固に出来上がっており、今の世のつくりを認識されている限りの正当な手続きで変えていくことは9割方ムリだと言っておこう。ここで何度も言ってきたが、犯人許せない人でなし、暴力反対というのは正論だが意見としての価値はほぼない。

 なぜそんなことをしたのか。しなければならなかったのか。犯人一人が特殊な人に見えるが、殺害を実行までできてしまった人が一人いるなら、実行しないまでも日本の政治に不満を持つ人は水面下で多数いるということだろう。ゴキブリを一匹目撃したら実際はもっといる、というのと同じ。

 じゃあそこをどうしていくか、が議論されないと日本という国はいつまでも病院通いをやめられない患者となる。正しい診断と治療がなされないと、またぞろ同じことが起きるからだ。

 問題を起こした者の行動を「だからってやっちゃだめだ」という大勢の意見はもううんざりするほど聞いた。ちょっとでも、善悪を越えて人を病ませる闇の正体に迫り、傷ついたひとに寄り添おうと言える人は出てこないのか。

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