好きになった人がタイプですが、何か?

 朝読んだネットニュースで、ある調査によると「結婚したい女性が男性にかける年収フィルターは600万」というようなことが書いてあった。

 妥協してそれよ? 昔どこかで、理想は900万とか800万とかいう数字を見たことがある気がするが、妥協案で600とは高すぎないだろうか。この日本でそれだけの年収がある適齢男性はどれだけいる? と考えたら現実的ではない。そもそも、女性が飛びつきそうな年収も人格もあるような男は婚活しない。だって不自由しないから! とすれば、残っているのは……? 言葉は悪いが、婚活アプリやカップル成立のための紹介組織に登録するのは「余りもの」。たとえ顔が良くても年収があっても、そこじゃなく「なんらかの問題がある」可能性が高い。

 筆者も、余りものである。40代後半にして奇跡的に結婚できたが、奇跡という言葉は大げさでもなく、なぜ私のような人間が家庭を持てて子どもも二人も授かれたのか、いまだに人間的発想と分析では奇跡としか言いようがない。皆さん承知の通りこういうおかしな文章を書くし、見た目は売れない三枚目お笑い芸人だし。足悪いし発達障害だし、結婚当時の年収は150万に届かない額で、非正規だ。女性に選ばれない、分かりやすい代表格のようなものである。



 私が思うに、世の女性は結婚相手になる男性には少なくとも年収600万はほしいと思っている、という情報に価値はまったくない、と思う。



●気がついたら、その人になっている。

 好きになって、結局そこは度外視して年収600万以上じゃない場合は多い。そうでなくても、結果としてその人の年収が600万以上ありましたという程度のことで、胸張って「私はただただ年収で相手を選びました!」と言える女性は存在しないと思っている。



 人生とは、そう単純ではない。

 世の中には、世の男は女はこう思っているとか、女子高生はこういう傾向があるとか、そういった『全体にこう考えているという意識調査』みたいな情報が氾濫しているが、役に立つどころかあなたの頭を悪くするかもしれない。

 今回の場合も、世の適齢期の女性を代表して代弁するかのような言い方になっているが、個々のドラマを見てみれば『決して相手の年収だけでは決まらない』リアルなエピソードが無数にあるのだ。情報を単純化しすぎなのだ。

 筆者など、もしそういう世の情報に絶望して最初から『もうこの歳で、ルックスで、稼ぎのない自分に結婚できる可能性など万に一つもない』とネガティブに考えていたなら、今の奥さんとめぐり合っていなかったかもしれないのである。世の情報に素直になっていたら、損をすることは多いと思われる。



 数日前に、私は「話半分に聞く能力」という記事を書いた。それに通じるものがある。世の中の意識調査、特に世の女性はどうもこう考えているようです、などという情報には踊らされないがよい。心配しないで良い。

 もちろん、今の日本の賃金や社会保障は、全体的にもっと上がるべきで、そこはまた別の議論になってくるので置いておくが、とりあえずあなたが仮に年収の少ない男性だとしたら、一生懸命に生きている限り卑屈にならないでほしい。この世界は時として残酷ではあるが、それでも驚くべき可能性に満ちた世界でもあることを忘れないように。

 励ますわけではないが、私のような例もあるのだから。だから、もはやここまでと死を選んだりしないで。死ねばすべての可能性を放棄することになる。生きていてこそ、考えもつかないことが起きる可能性があるのだ。賭け続けていてこそ、当たることもある。

 最悪賭けに最後まで当たらない人生だったとしても、死ぬ瞬間に『最後まで賭け続けることができた自分というものに満足できる』ことは保証する。それはそれで間違いなく「幸せな人生」なのである。

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