Q&Aのコーナー第九十五回「祈りという行為に意味はある?」

 Q.


『祈り』という行為には意味がありますか? 祈ることで何かを変えることができるでしょうか?



 A.


 あなたがどういう意味合いでそう聞いているのかによります。

 祈りで現実的な何かを動かせたり、問題を解決できたりという「物理現実面」において力を及ぼせるという意味合いでなら、祈りに意味はありません。

 しかし、心から何かを祈ることによってあなたという人の意識面への影響があるという点でなら、意味があります。祈りによって、あなたは良い意味での変化を成し得ます。そんなあなたを見て周囲の誰かも感化され成長できると考えたら、祈りは十分意味あることだと言えます。

 祈りを、何かの願いを現実に叶える手段程度に捉える人には無価値な行為となります。祈ることそのものでは、現実を何も変えられません。



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 皆さんは、祈りというものをどう捉えていますか?

 宗教やスピリチュアル的なものを信じている人と、そうでない人とでちょっと違うだろうと思います。

 宗教では、神という存在を想定します。神は常識的には、善であり愛です。ということは、愛する人類の願いに耳を傾けてくれるはずだ、となります。

 そこで、神に祈るという行為が生じます。ここで重要なのは、祈りを聞き届けてくれる神という絶対者がいる前提になり、神がいないなら祈りに意味がなくなります。

 筆者は、そのような神はいないという立場を取っています。この世界をクリエイトした存在はいるがそいつは科学者のような存在で、科学者が観察対象を見るような視線で見ているため、特段こちらが可哀そうとか助けてあげないと、なんて思いません。ただ『そうなるのか。ふん、なるほど』という感じです。

 そういう切り口で言うと、祈りは無意味です。自分の心以外、聞き届ける者は誰もいないからです。百歩譲って上位次元の何者かがあなたの祈りを聞いたとしても、我々のような喜怒哀楽・論理体系と思考を持ち合わせていない(そもそも世界の根本原理自体が違う)ので、同じ目線で同情など不可能だからです。



 神がいない、あるいはいるかもしれないが自分の人生の中でそう大きな位置を占めていない(まぁぶっちゃけどうでもよい)と考える人が日本人の大半かと思います。

 そういう人物にとって、神とは自分と切り離された遠い絶対的存在ではなく、どちらかというと自分の内側にいるイメージとなります。

 たとえば、『思考は現実化する』『あきらめなければ夢はかなう』というのは、人という存在自体、細かくは人が持つ『魂』『精神』自体に願いを叶える力があると考えているからこその言葉です。願いが叶わないのは本気で願っていないから、疑っているから邪魔されてできないのだ、と。外の絶対的な何かに他力本願的に叶えてもらおうというのが宗教的祈りで、無宗教・あるいは自己啓発的な祈りというのは、自分の内側(精神世界・魂の領域)にこそものすごい力が宿っていて、それは使いようによっては神が起こす奇跡のようなレベルのこともできる。ゆえに、それをいかに使いこなすか(パワーを引き出せるか)が注目され、それでスピリチュアルという分野が追及され、引き寄せという概念も生まれたわけです。成功哲学もそれに当たります。



 あるスピリチュアル指導者は、祈りのことを「意宣いのり」だと言った。

 意識にあること(心からの願い)を、口に出して具体的に宣言することだと。

 単に心の中で思うだけでなく、紙に書き出してみたり言葉にして口で発することでその振動を自分の耳に・体に浴び、改めて自分の願いを意識に固定・確定する。

 その作業をすると、『その願いを現実的なものとするような具体的行動』が生じやすくなるという効果がある。例えば、心の中で漫然と「将来俳優になりたいな」と思っているだけでは、一生なれない。ただその思いが募ると、そのままではきっといられない。堤防で夕日に向かって、あるいは山に向かって「私は俳優になりた~い!」と叫ぶかもしれない。日記に何度も書きつけるかもしれない。身近な、そういうことを語れる仲の知人に告白するかもしれない。

 そのように心の内をアウトプットする「可視化・具現化」をすることで、はじめて夢の実現への第一歩が踏み出される。そこまですると、次に「俳優の養成所に願書を出す」「一般人向けのタレント発掘オーディションみたいなものに応募する」などの発想が生じる。漠然としたあこがれだけでは、手段(入口)を探す段階にすら行かない。



●祈りとは、自分の今の望みをはっきり言葉にすることである。

 それ以上の効果はない。祈りそのものが現実を動かすことはない。

 ただし、その祈りがきかっけであなたが具体的に行動をし、その行動が現実を変えて願いが達成される、という現象は起きる。

 そう考えると、祈りは間接的にはなるが願いを叶える一助にはなるとは言える。



 何か、祈りそのもののパワーが直接仕事をする、というのは間違いだ。世界中の人の祈りが届いて世界が変わる、とか。

 そうじゃなく、一人一人が自分の心からの願いを自覚する結果、それを本気で叶えたくなって起こした『行動こそが世界を変える』のだ。

 祈りは、人が具体的行動に駆り立てられるよう助けてくれる。心から祈れば祈るほど、なんとかしたいと思う気持ちのエネルギーが増大し、その増大したエネルギーは出口を求め、「じゃあ具体的にどうしたらいいか」という知恵を渇望する。

 そうして、物事というのは良い方へ進んでいくのだ。

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