私の考える本当の安心

水道トラブル5000円、トイレのトラブル8000円、パイプのトラブル8000円!

安くて、早くて、安心ね!

くら~し安心!クラシアン!



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 皆さんは、冒頭に紹介したCMの文句を聞いたことはあるだろうか。

 水回りのトラブルの出張修理業者の宣伝である。

 今回は、ここにも出てくるが『安心』という言葉についてあれこれ考えてみたい。

 単純に辞書的な意味合いでは、次のようになる。



●気にかかることがなく心が落ち着いていること。また、そのさま。


 【出典:デジタル大辞泉(小学館)】



 例えば、筆者が使っているPCは日本のメーカーのものではなく、中国製である。購入時のキーボード設定など多少の日本製品とのズレはあるが、PC知識がある程度あれば大きな問題はない。使いこなせるなら、同じ品質と性能でもこちらのほうが安価で買えてお得だ。

 ただ、皆が皆そうはいかないだろう。PCスキルにそう自信がないならNECや富士通、VAIOのソニーやパナソニックを選ぶのではないか。日本の会社だから、サポートも丁寧だし電話対応も日本人が日本語でしてくれる。これが安価な聞いたこともない中華メーカーのものだとそうはいかない。

 だから、日本製のほうが「安心」だというわけだ。先ほどの辞書の意味通り、日本製にしとくと気がかりな要素がほぼないことで、心が落ち着くということである。

 つまり、世間一般で言う「安心」とは、悩みや気がかりなことといったマイナスでネガティブな要素が心になくて済んでいる状態である、ということである。



 さて。ここから筆者流の悟り視点から見た「安心」について語っていくことにする。私にとっての安心とは、心の中に不安要素がなくスッキリしている状態のことではない。



●実は安心ではない、ということが覚悟できている状態。



 皆さんはなんそれ! と不思議がるかもしれない。逆説的ではあるが、安心できないという状態があるからこそ最高の安心を生むのである。

 そもそも論になるが、この私たちが人間肉体という入れ物(ゲームキャラ)に入り込んで遊んでいるこの舞台世界は、相対世界。プラスかマイナスかがゼロになることがない世界。完全な白黒はなく、常に両極の間のグラデーション部分を揺れ動き、決して数字にしてゼロ対百という現象はない。

 ゆえに、この世界に絶対完璧な「安心できる状況」というのはない。大まかにみて安心だから安心と言っているにすぎず、運が悪ければ低い確率のはずの良くない可能性が起きてしまうこともある。ただ大勢はその「まさかやー」が起きないで済んでいるので、「安心、安心」と思っていられるのだ。

 皆さんが言う安心というのは、あなたに低い確率で起きる「まさか」が起きないで済んでいる、という偶然に支えられた、存外もろいものなのである。



 そこまで考えなくても……と思う方もいることだろう。

 でも、悟り意識の世界ではそこまで厳密に考える。この世界に本当の安心など存在しないのだという身もふたもない現実を。でも、だからこそだ。ヘンな表現になることは承知で言うが、安心などないという事実にしっかり向き合うからこそ強い「安心」が生まれるのである。心に不安などありましぇーん、私の心は青空のように澄み渡ってまーす! という感じの安心はもろいイミテーション程度の価値しかない。

 あなたがジェットコースターに乗っているところを想像してほしい。乗り込んで安全バーが下がって、カタカタ……と急斜面を上がっていくでしょう。そのあとギューンとくだっていくために! あの時の「そろそろだぞ、そろそろ来るぞ……」というドキドキ感がたまらない、という方もいるだろう。

 でもみなさん、その「ここを登り切ったらそのあと急降下が来る」と知っているから、その心構えがコースターの上昇中にできるから、急降下の怖さがある程度緩和されているのではないですか? 

 お化け屋敷もそうだ。お化け屋敷に入った、という認識があったらこれから何かが自分を怖がらせに来る、という心構えができるでしょう。



 もしですよ。ドラえもんの道具か何かで、今会社で仕事をしているあなたか、家でテレビでも見てのんびりしているあなたがある瞬間にコースターの中やお化け屋敷の中に瞬間移動させられて、何の心構えも状況把握もないままその衝撃を喰らってごらんなさいな。あなたはきっと、自分の意志でコースターに乗ったりお化け屋敷に入ったのとは比べ物にならないくらいのダメージを精神的に受けるはずである。数倍びっくらこくはずだ。なぜなら、あなたの心がノーガードだからだ。

 ゆえに、この世間一般で言う心に不安要素がない中での「安心」は、いい時にはいいがまれに低確率で起きる「例外」といものにクジ運悪く当たってしまった時に、あなたは心のもろさを露呈することとなる。表面的な「安心」に浸り悪いことは起きない、と高をくくっていたからだ。

 筆者は、心穏やかに生きている。それは不安がないことからの安心とは違い、この世界においては一歩間違えば不安要素だらけという現実を受け入れ、腹を括っている状態なのだ。本当の安心などない、という思いが皮肉にも私を強くし、心穏やかな状態をつくっている。



 ばい菌はよくない。でもだからといってこの世界を完全に無菌状態にしたとしたら、えらいことになる。増殖しすぎたら問題だが、ある程度までは菌もあったほうが自然界にも生き物にも良いものだ。かえって全くない状況のほうが困りものである。

 安心も、ただ心ハレバレな「安心」では、あなたが試練に見舞われた時にいい仕事をしてくれない。まさかの時に頼りになるのは、そもそもこの世界の性質として完全な善や完全な平和などは存在できないことを理解し受け入れ、それでもこの世界で生きていくんだと前を向く推進力である。

 その力を養うために、古今東西の名文学や映画、ドラマやアニメがあるのではないだろうか。心や感受性を豊かにし、個人が直面する困難に立ち向かえるように。

 宗教やスピリチュアルは……残念ながらちと勧めにくい。皮肉にも、そういうもののほうが一見より役立ちそうなのにね! 一部のものは完全平和とか悲しみも苦しみも不幸もない絶対善(愛)の世界が実現できる、などとすごいことをおっしゃるので、あまりかぶれないほうがよろしいかと。 

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