それはあなたに関係あること?

 ペトロは彼(ヨハネ)を見て、「主よ、この人はどうなるのでしょうか」と言った。イエスは言われた。

「わたしの来るときまで彼が生きていることを、わたしが望んだとしても、あなたに何の関係があるか。あなたは、わたしに従いなさい。」

 それで、この弟子(ヨハネ)は死なないといううわさが兄弟たちの間に広まった。

 しかし、イエスは、彼は死なないと言われたのではない。

 ただ、「わたしの来るときまで彼が生きていることを、わたしが望んだとしても、あなたに何の関係があるか」と言われたのである。



【ヨハネによる福音書 21章21~23節】



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 読者からの質問で、次のようなものを寄せられた。



●「悟りを得ると一切の探究がやむ」と言われますが、過去の筆者さんの放送を聞いていると「悟っていなくても探求がやむ状態になれる」という可能性を示唆しているように思えたのですが、そういうことで間違いないでしょうか?



 え、そんなこと言ったかな?(笑)

 覚えがない。この質問者さん独自の思考回路というか考え方が、私がそう言ってるかのように解釈したのだろう。

 この世界は、この世界を掌握する上位次元の存在(みなさんが考える神に当たるが、完全無欠でも全知全能でも全くの善や完全な光とかでもない)が、すべての可能性を無数の知的生命体を使って味わい尽くすために創造された。キリスト教が言うように神が愛ゆえに創造された世界とかではなく、科学者がする壮大な科学実験だと考えてもらっていい。

 実験なので、何がビーカー(試験管)の中で起きようとも「へーそうなるんだ」という扱い。だから特に何もしてこない。神が愛で世界を、人間を愛していると考えるから「神がいるならなぜこの世界を何とかしないのか」という愚問が出てくる。



 それた話を元に戻すと、この宇宙はすべての可能性を実現するためにあるので、そういう意味で「悟っていなくても探求がやむ状態」になる人間がいてもおかしくはない、という程度のことで、「悟らずとも探求がやむ境地になることはできるんですよね?」と頑張るほどの意味はそこにない。

 世界のどこかにはその僅かな可能性を体現する役割をもった者が現われ得るだろうが、でもそれは取り立てて話題にする価値もないほど、レアケースだということだ。

 イチロー選手は野球界において偉業を成し遂げたレジェンドである。あなたが今から頑張って彼と同じようになれる確率は、理論上ゼロではない。数学の世界でも「ゼロじゃないがある線を越えて小さい数は実質ゼロとみなす」という話がある。私たちが生きる上で、まずそれはゼロではなくても「ない」と思って差し支えないことというのはある。今回のことがまさにそうだ。



 冒頭にて、イエス・キリストの言葉を紹介した。

 一番弟子のペトロは、イエスに将来苦難の道を歩み命を落とすだろうことを示唆される。その時ペテロは同じ弟子仲間であるヨハネという人物のことを気にして「彼はどうなるのでしょうか」と聞いた。

 古今東西、人間というものは変わらない。イエスの時代も今の時代も、進歩がない過ちを犯している。



●ヨハネがどうなろうが、それはペトロの道とは何の関係もない。



 この世界においてくだらない質問とは、その答えが「本人の人生になんら関係がない」場合である。

 言えば、ただの興味本位・知的好奇心である。別に知的好奇心そのものが悪いわけではない。ただTPOをわきまえず発揮するなということだ。例えば今回の質問なら、この私をまず巻き込んでいる。

 イエスがペトロの質問に答えるどころか多少怒った感じになったのは、あなたと関係ないでしょという点以外に——



●それを聞く動機は何?



 筆者が好むのは、魂からの問いである。

 心の叫びからくる、本当に知りたい質問である。それを分かるためなら、苦労も厭わない、というほどの。それなら私も気合を入れて、喜んで答えることだろう。ただ、他人事なものはしらける。

 99.9%の確率で、この質問者さんが「悟らずとも探求がやむ」ことを体現する人生にはならないと考える。関係ないこの人がこんな質問をするのはあからさまに知的好奇心であり、へぇ~なるほどという「スピリチュアル知識の誇れるコレクション」の一部にしたいのだ。それだけのために、私は使われようとしている。

 私は今50歳だ。まだまだ生きるだろうが、それでも人生の時間は限られている。できれば双方にとって意義あること、ウィンウィンになることに使いたい。

 たとえば、筆者によく寄せられる冷やかしと思われる質問で、「悟りって何ですか?」「霊界って、どういうところですか?」「輪廻って本当にあるんですか?」「(宗教が言うような)神はいないって本当ですか?」というのがある。これらの質問に共通する点がある。



①短文であること。魂からの問いには、自分がなぜこういう質問をするに至ったかまでの背景・経緯についても書いてある。さらに丁寧な質問は、丸投げではなく「私としてはこう思うのですが、あなたはどう思いますか?」といふうに自分の意見が書かれてある。人に聞く前にまず自分で考える、という作業を誠実にやっている。が、短文な質問はただ~とは何かとだけ書かれていて挨拶もない場合が多く、人にものを聞くわりに失礼である。そこからは「どれこいつの程度のほどを見てやろう」という上から目線が見え隠れする。



②私が頑張って解答してもその答えが真に相手に必要なものではない。たとえばであるが、「いじめをどう思いますか」と聞かれるがその方がいじめに遭っている当事者、あるいは身内や知人にそういう人がいるとかならまさに「魂の問い」となる。だって現に直面している話だから! そうでないなら対岸の火事で、ただ一般論的なこととしての興味で聞いている。ものによってはそれでもいいが、私のする悟り系の話や次元を超えた話は、そういう姿勢で聞くものではない。



 世に、ネットの誹謗中傷の書き込みが膨大に湧くのは、「自分と直接関係ない」からだ。言いっぱなしで、それと繋がらなくていいからだ。

 リアルで誰かを本当に批判・非難するということは、する本人に相当の覚悟や痛みを覚悟することを要求されるものである。ただ、匿名性を守れる世界では嬉しいくらいにそこがラクなので、皆その誘惑に負けて好き放題書き込む。ああ、言うだけ言い放ってあとは言った相手と完璧に無縁でいられるという、この贅沢さよ! ヤミツキになるな。

 今回しているのは、ちと厳しめの上級者向けの話になる。あなたがモノを言ったり行動したりする際、気を付けてほしい点があるということ。



●それは、現実のあなたに関係がありますか? 双方にとって益になることですか? そうなる確信がありますか?



●関係ないなら、何で聞きたいんですか? その動機をよく探ってみてください。きっとちゃんとは見たくない、認めたくない自分の嫌な部分が見えてきますよ。



●相手にも人生があり、その時間は無限ではありません。その時間をいただくのですから、あなたにはそこが分かっていて相手に時間を取らせるんですよね? ならあなたは必然的にそれだけの価値あることか吟味したんでしょうね?

 あなたのヒマつぶしに付き合うほど私もヒマではありません。



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【編集後記】


 今回の記事では聖句を引用しているため、『クリスチャンがひっくりかえる聖書物語 ~イエスが本当に言いたかったこと~』という別作品に収録してもよかったのですが、そちらではすでに似たような内容を扱っているため、あえてこちらで掲載しました。

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