金持ちは皆人格者だろうか

 私がネットニュースを色々読んでいて、これ何だかなぁと思う記事が時々ある。そういう記事のタイトルには、お決まりの文句がある。



●金持ちは実践している! 成功を呼ぶ10の習慣

●金持ちマインドがさらにお金を呼ぶ お金が寄ってくるメンタル術

●金持ちが絶対にやらないこと あなたは大丈夫?

●お金が寄ってくる人と貧乏なままの人の違いとは



 正確ではないが、上記のような感じの記事に行き当たったことはありますか? 

 筆者などは、内容を読むよりも先にタイトルだけで嫌な気分になる。

(そうは言っても食わず嫌いはいかんと思って内容まで読むのだが、結果的にやっぱり最初の嫌な印象を確認するだけのことになる)

 何も、そういった記事に書かれていることがまったく間違っているとは思わない。確かに、参考にすることでお金をもっと稼げるようになるケースだってあるだろう。

 ただし、それに『法則』とか『成功法・必勝法』とかいう言葉を絶対につけないでほしい、と切に願う。でないと、増えなくていい被害者が増える。



●そういう記事が指摘することに従えば「金持ちになれるケースもあるだろう」程度のことで、それを実践できてないとお金持ちにはなれない、ということではない。

 お金持ちになる道など本当は個性によって合うものが違い、無数のバリエーションがあってもいいはず。なのに言い方がヘタだとさも「それをしないと(そういう考ええ方ができていないと)お金持ちにはなれないよ」と受け取られてしまい、聞き手を視野狭窄に陥られせてしまうのだ。



 筆者のそもそもの疑問なんだが、お金持ち(成功者)って、そんなにできた人たちばかりなのだろうか。

 そういう記事が言うことを読むと、あたかもお金持ちという人種が『人間として洗練された、上等な人種』と受け取れてしまう。平均以下の収入しかない下等な人種が、己の足りなさを学ぶべき、仰ぎ見るべき存在として金持ちが美化されている。



●金持ちは云々というネット記事の怖いところは、お金持ちとは「できた人間のこと」だと信じさせる魔法がかかっているところである。人として上等だから、その上等マインドに富が寄ってくる、という発想が根底にある。



 時代劇で、「越後屋、お前もワルよのう。ホーホッホ」というお決まりのセリフがある。そのあとの展開として、必殺仕事人に殺される(笑)。

 当たり前の話と思うが、人がお金持ちと呼ばれるまでに辿る道はひとつではなく、その置かれた境遇やその人物の協力者がどういう人物であるかなど、不確定要素てんこ盛りの話になる。金持ちになる皆が皆、よい苦労を積み重ねて思いやりがあり、名君と呼ばれるような立派な富豪ばかりでもないのだ。

 筆者は、賢者テラとしてお金になる仕事がほぼなくなった時、一般就職を目指しある会社に入った。そこは一般的な会社というよりも、超お金持ちなある老人の個人事務所的な色合いのところだった。従業員も私以外にもう一人しかおらず、その一人だって社長のいとこだった。「同族経営」と言ってよく、社長の娘や孫がよく出入りしていた。社長にとっての他人は私一人だけだった。



 事務職で、一日八時間労働・週休二日。フルタイムの勤務である。

 最初の一ヵ月余りは、研修という名目で月10万で働いた。

 ある程度仕事ができるうになってから、月12万円になった。それでも、時給に換算すると、待遇は首をかしげるものだった。ボーナスゼロ。社員待遇にもしてくれず、各種保険には入れてくれなかった。保険証だって会社から出ない。

 私は性善説に立って(テラとして言ってることと違うぞ!)、社長もいつかきっと私の頑張りを認めて、フルタイムで働いていたら普通もらえる額をくれる日が来る、社会保障もきっと認めてもらえば考えてくれると思い頑張った。

 一年半もたったころ、さすがの私も考えた。社長が変わる日なんて来ないんじゃないか? と。あの人はああいう人で、いつまでも私を便利に使えるだけ使う気で、そもそも私を対等の人間だと考えていないのでは? だからこういう扱いができるんだ、と。

 ある日思いたった私は、ある筋の機関に自分の今の労働状況について相談した。

 したらば、そこの相談員は「それはおかしい」と判断した。その方の勧めで、私は労働基準監督署に足を運び、大阪府の最低賃金で働いていたらもらえたはずの差額の請求に踏み切った。労基署に、社長の事務所の調査を依頼した。

 


 それを知った社長は、びっくり仰天。調査の取り下げを要求してきた。

 ならばと、私は待遇改善を条件とした。社会的な立場の保証(健康保険の加入など)と、月給アップである。ノーボナスでもいいから、そのかわり月15万はほしい、と。

 社長はどれほどケチなのか、それでもその要求はのめない、と言ってきた。

 私としてはもっと戦ってもよかったが、もうこの人とは関わり合いにならないほうが幸せだと思ったので、最低賃金で働いていたらもらえたはずのお金だけ受け取って、労基署への訴えは取り下げた。

 で、私は再び無職に戻った。その時からである、収入は激減してもやっぱり私の血は賢者テラなのだなぁ、とこちらの活動に骨をうずめようと舵をきったのは。



 お金持ちという人種が、人格円満だから富が寄ってくる体質なのだというのは神話に近い。そりゃそういうケースもあるだろうが、一定数ケチさ加減や血も涙もない所業ができるからこその富という場合もある。

 だから、金持ちを持ち上げるネットニュースの言葉の選び方には疑問を感じるのである。私のような人間なら真に受けず割り引いて考えられるが、社会経験の少ない人間ならまともに受け取る人も出てくる恐れがある。これは今の格差社会を疑問に思って打倒してほしくない権力側の作戦なのではないか? とさえ勘繰ってしまう。

 そうして、持たざる者がより持つ者に不満を抱くのを防ぐのだ。金持ちは自身が頑張って成功したんですよ、自己責任なんだから皆さん妬みなさんなよ、そんなに同じになりたくば彼らを見習って成功したらいいでしょう! 彼ら(金持ち)にできてあなたにできないというのは言い訳じゃないですか? というわけだ。



 私個人としては、「金持ちマインド」などという言葉は詭弁だと思っている。

 そんなものはない。個人の成功は、もっと複雑で深遠な無数の要素によって決まり、決してこれをしたからしなかったから、という枠に収まるものではない。

 もちろん一般論として参考にすべきところはすべきだが、肝心かなめのところで大事なのはその人だけの個別事情であり、そこは他の真似では乗り切れない。

 そして人生に向き合い続けていれば分かることだが、飢えたりさえしないなら富というのはそれほど必要なものではない。むしろお金じゃない、いやお金じゃ買えない「あるもの」のほうがずっと重要だと分かる。その段階に至れば、今回紹介したようなネット記事には見向きもしなくなるであろう。

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