つまらない映画

 最近、子どもたちに見せられるいい感じのアニメ映画がなかったので、NetFlixで『バブル』というアニメ映画作品を見つけた時には喜んで飛びついて、さっそく夕食後家族がそろっている茶の間で見始めてみた。序盤こそ、綺麗なアニメ描写と迫力のあるアクション映像に見入っていたものの——



●ストーリーが全然面白くない。



 お話の舞台は東京なんだが、かなり特殊な状況で、その説明があるにはあるが実に適当。

 誰も人が住まなくなった東京に、身寄りがなく生きがたさを感じる若者があえてそこに侵入し、暮らす。そういった若者に救いの手を差し伸べるため、数人の大人が彼らが「パルクール」というスポーツを揉めずフェアにできるようにサポートする。 

 なぜ、危険な東京に大人を派遣して監督させる、というまだるっこしい支援をするのだろう。彼らの教育・就職までを視野に入れ、東京から脱出させて見守る、という支援を考えないんだろうか? ただでさえ危ない場所なんだし。

 そこに始まり数々の「?」が生じるのだが、まぁそこはいいだろう。



 結局「人魚姫」の現代版なんだろうなぁとは分かる。

 だが、そこへ話の骨子を持っていくのにそもそもの舞台設定やお話の伏線が、ゼンゼン協力的になってない。言い換えれば「この話をちゃんと描きたいのなら、世界の異変やパルクール、別にいらなかったんじゃない?」ということだ。

 要するに、新海誠監督の「君の名は。」「天気の子」がヒットしたことを意識したんじゃないか。かわいい女の子とそのそばにイケメンの少年、特殊な世界の状況、最後にドカンと一大スペクタクルを描いて感動シーン、という。

 人魚姫のお話を描きたいが、見せ場も欲しいしヒット要素も欲しいと欲張った結果、双方がかみ合わないちぐはぐな映画ができた。シーンそれぞれが、別のシーンを補完しないという、スポーツチームで言えば「個人個人はすごい選手だけど、皆仲が良くないのでチームとして動きが悪い」という状況ができてしまった。



 二人の子どもたちは、中盤でニンテンドースイッチを別で始めてしまった。奥さんも、食器の片づけに腰を上げてしまった

 で私はというと、その「人魚姫」サマに限界がきて、主人公の少年が「死ぬな~」みたいに揺さぶるクライマックス場面で感情移入できず、自分の部屋に戻った。

 結局、この作品は我が家でエンディングまで再生されることなく終わった。



 で、あとあと考える。

 なんで、こんな映画ができてしまうんだろう?

 社会というのは、決してアホの集まりではない。私を百回以上も就職で落とすくらいの社会だから! さぞかし、私より賢者ばかりの社会なんでしょうよ。

 これにゴーサインを出すってのは、どういう経緯でできたんだろう? と。

 一部に、「これはそもそも海外向けに作った作品で、日本人に酷評されようがどうでもいい作品作りになっていたのだ」という説があるが、うのみにはしがたい。こういう、一見「あ~なるほどそれなら全部のつじつまが合うや」と思わせてくれる説明ほど、慎重にならねばこちらの頭が悪くなる。世の中、そんな単純なものではない。



●この社会は、タイタニック号である。



 これが小説やマンガ、あるいは絵画や音楽などだったらまだいい。

 なぜなら、たった一人、あるいは数人しか関わらないで済むからだ。

 もちろん、世の評価とか審査とか、多数の人間や組織の評価を得て世に出るというプロセスはあるものの、少なくとも皆正味のその作品を味わえる。で、その作品を生み出すのはたった一人(音楽などは数人のユニット、漫画ならアシスタントとか原作者とかも関わるが、十分に意思疎通ができている)だから、そこにはしっかりとした背骨(作品に流れるエネルギーの流れの一貫性)がある。

 しかし、映画となると?

 監督、助監督、脚本家、キャスティング、アニメ映画ならそこに作画。映画の最後に流れるテロップを見てもらえると分かるが、実に大勢の人間が作品に関わっている。そこに名前があがるほどではない、さらに無数の人間も裏で協力している。

 特に、あとあと売れない結果に終わった映画に関して私が思うのは、「スタッフの誰一人として、これを想像できなかったなんてあるのか?」と。

 筆者は、実はかなりの数の人間が「これ、コケるかもな」と思ったと思う。



●この社会では、多くの人間が「歯車」として仕事をしている。



 歯車に求められるのは、与えられた仕事をちゃんとこなすことである。それさえできればとりあえず食っていける。逆に、上に物申して不興を買っても一円の得にもならないどころか、次からの仕事で冷遇される可能性がある。

 だから、だまって仕事する。それが売れても売れなくても、末端の人間にあまり影響はない。映画が売れて儲かるのは、上の人間たちばかりだからだ。



 タイタニック号が操作ミスで沈んでも、それは舵を握る船長一人が悪い。舵も、その舵に連動する歯車や機械も、船体全体も、ただ船長の命令を聞いただけなので、責められない。

 くだらない映画って、そうやってできるんだろうなぁ。権力をもつトップの自己満足や、試験的好奇心。それに振り回される大勢の歯車たち。

 トップが優秀なら、そして組織全体の意見を謙虚に聞ける器のある人なら、結果売れる売れないに関係なくいい映画になるだろうと思う。本当にいい映画なら、末端の人間も「これきっといいのになるよ!」ってワクワクしながら仕事できるんだろうな。そうじゃないなら「仕事だしな」で黙々と指定された業務をこなすんだろう。生きていくために。

 


 一応、今私たちが住んでいる世界は「民主主義社会」ということにはなっている。建前上。

 民主とは、「たみにしゅがある」「たみがおもである」ということでしょ? みんなの意見が大事なんでしょ? 映画で言えば、監督や脚本家が満足でも、役者や末端のスタッフがダメ出しするなら、その意見も大事ってこと。

 本当にそうなっていれば、映画界に駄作などそう生まれないはずだ。売れる売れないの結果論の話じゃなく、スタッフが気持ちよく意見を出し合え厳しいことも言い合え、一丸となって「これできました!」と胸を張れるならそれは駄作ではない。

 筆者は、長年無数の映画を鑑賞してきたが、今回見たこの映画だけはどうしてもそれに該当しない気がしている。

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