遠くの愛に手を伸ばさなくても
今朝、ネット記事で面白い指摘があった。
昔は、結婚といえば自由恋愛による結婚など全体の十数パーセントで、ほとんどが近所の紹介やお見合いによる結婚が多かった、という。
言い方を変えると、「大勢が自分と世界の近い、身の丈に合った人物と無難におさまる」ということだ。そこには確かに「自由」はないかもしれないが、いろいろなことがうまく回っていた時代だった。
仕事もそうだ。就職は、近所のオジサンや親戚、地域の顔役みたいな人を通して決まる側面があったらしい。でも現代はすべてシステム化し、企業の募集もすべての人に開示され、自由に応募できる。ただし人気なところの競争率は高くなる。
どちらがいいのか、という問題は簡単に語れることではない。
ただ言えることは、現代人は自由というものを「うまく扱えていない」という事実に関してだ。
自由恋愛が推奨される世界では、その世界の基準で「イケメン・美女」「金持ち」である一部の人種の一強となってしまった。
昔だと、妥協といったら失礼になるが、女性はそこそこ身の程をわきまえて「この人で!」と決断できていたものが、世のいけてる男子の情報が砂漠の砂ほどたくさん溢れる情報社会にあって「もっといい人がいるはず」なんて期待して、どんどん機会を逃し気が付いたらアラサー・アラフォーとか。その巻き添えを食うのが、ルックスも年収も平均以下の男性である。彼らはよほど頑張らないと結婚相手として考えてもらえない。
就職もそうだ。裕福な家庭に生まれ、小さい頃から社会の良い波に乗れるように投資をしてもらった人間に、習い事もせず塾にも行かずの人間が勝てない。企業としてもそりゃ優秀なのが欲しいから、一部のエリートの一強となる。別にビジネスだけに限らず、スポーツや音楽や芸術ですら、カネがないと難しい。
自由、ということを大事にしすぎたがゆえに、その自由の中で結局強いものたちだけがいいところを取り、その他は残りかすを食らうという現実が生じてしまった。
昔なら、強者が「弱者を取り込み、得た富を分配する」という文化があった。強者がそれなりに、自分の今あるは色々なお陰様と感謝し、自分の部下や縁のある人間たちに手厚く対応し、守ったのだ。
でも、自己責任論が声高に叫ばれる現代にあっては「貧しいのはその人の責任」となり、その考えでは助けてやろうとか過剰に得ている分をもっと還元しよう、などという発想はくなる。だから強者は当然の権利として自分の富をそのまま持ち続ける。
世界のすべてのお金のうちの半分以上を、たった十数人の大富豪が持っている、というのもその表れだ。
●人類は、自由というものをうまく扱えるだけの成長を遂げていない。
そういう段階では、自由を前面に押し出すよりも、大勢の満足度を高めるためにあえて自由を制限することもあり。
問題の解決は、言葉にすると非常に簡単なもので、「皆が思いやりを持てばよい」という話になる。
たったそれだけのことなのに、今という時代はそれが非常に困難だ。
昔と違って、隣人がどんな人か分からない。下手に関わって面倒を被るのはごめんだ。それに、大勢にとっては自分と自分の家族を守るのが精いっぱいで、とてもじゃないが直接関係しない人の命や幸せなど考えてられない。余裕もない。
考え方としては単純でも、それを実行するのが困難なステージにあるのが、歴史を通して人間が積み上げ作り上げてしまった、悪いところが際立った「システム社会」「自由競争(は建前で、裏では違う)社会」である。
最近、小林麻耶という(元)芸能人が、不思議なことになっている。
スピリチュアルに傾倒し、「愛」についてハートフルな内容を語る一方で、ゆるさないだの納得できない、謝罪しろだの穏やかでないことを言っている。世の人々は、その表裏というか、矛盾に戸惑っている。
愛のすばらしさを語る人間が、なぜに一方であんなに攻撃的に?
要は、スピリチュアルに傾倒するような人にとっての愛は、「基準が高すぎる」のだ。
小学校程度の基礎学力がないのに、中学や高校の授業内容が理解できますか? できないでしょう。
小林麻耶が陥っているのは、まさにそれである。他者に優しくあること、ゆるすことというスピリチュアルを学んでなくても分かるような簡単なこともできないで、より高度な「愛」に手を伸ばそうとしている。
●他者の痛みを知る、思いやる、視野を広く持つという基本的なことができていないくせに、より高度なスピリチュアル概念を追いかけている。そりゃその先には破綻しかないでしょうよ。
これは彼女だけでなく、多くのスピリチュアル人口にも言えることかと。
真理とか宇宙とか世界の終焉とかアセンションとか、なんだかすごい用語が飛び交っているが、彼らは高度な概念をいじくりおままごとをしているにすぎず、人として備えるべき最低限の良識・礼儀・配慮に欠けている場合が少なくない。小難しいことよりまずはそこだろ? と私などは思うのだが。
強者総取りで、それを「彼が自分の力で稼いだのだから、それをどう使おうが本人の自由」と弱者も認める不健全な不平等社会。いいや、それは強者の実力ではなく大勢の屍の上にその利益は成り立っているんですよ。お陰様なんですよ!
ただ、大勢に「優しさ」があればいい。ただ言葉にすると単純なそのことが非常に難しい。だから宗教もスピリチュアルも自己啓発も、成功だとか神だとか真理だとか上澄みの高度な理論で遊ばないで、ただ「優しくある」ということだけに集中してもいいのにな、と思う今日この頃である。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます