神降ろし

かみおろし 【神降ろし】


日本で、祭の場に神霊を招請すること。 また巫女が神託(神語り)を受けるため神霊を身にのり移らせること。 その神を天に送り返すのを神上げという。



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『ドクターホワイト』という医療物の連続ドラマがあった。浜辺美波が主演。

 筆者も最終話と特別編まで見た。見れたのは、ドラマが面白かった、引き込まれたとかよりも「浜辺美波が見ていてかわいい」からだ。偉そうにペンネームに賢者とはつけていても、私もただの男性なのだ。



 実際、ドラマのレビューサイトでもドラマ自体が素晴らしかったという評価は少なく、圧倒的に「浜辺美波が可愛い」「目の保養」みたいな理由での高評価が多い。

 一つの見方には過ぎないが、私としてはこのドラマ『浜辺美波の可愛さと人気で押し切った』ドラマだと評価している。

 圧倒的人気を誇る医療ドラマに「ドクターX」がある。大門未知子というキャラが視聴者に絶大な支持を得て、彼女の「いたしませーん」や「私、失敗しないので。」という名ゼリフは視聴者をしびれさせた。

 勝手な想像だが、若年層のみならず中高年層からも好かれる浜辺を主演に据えて医療物を作ることで、第二のドクターXと言うと言いすぎかもしれないが、そこそこ息の長いヒットドラマに化けるのではないか? という期待がテレビ局にはあったのではないか。そしてあわよくば「劇場版」など作って興行成績もよければ、局としては御の字である。

 ただ、結果から言うとスピンオフや特別編などは作れても、今のところ「この勢いでシーズン2や劇場版をつくろう」という雰囲気はない。ドクターXに続くぞ! というよりはその足元にも及んでいないレベルである。



 ドクターホワイトの劇中の浜辺の決めセリフは「それ、誤診です!」である。

 局も、医療物はさんざんやり尽くしているので、ただ単に難病を名医が見事に治療するとかいうのでは、水戸黄門のようにその王道パターンを喜ぶ人の視聴率は取れたとしても、頭ひとつ抜きんでて人気になるのは難しいことが分かっている。

 だから今までにないパターン、大勢の医者が下す診断に対して、圧倒的に豊富な医療知識を生かしてその穴を探り当て、誤診です! とひっくり返す。その爽快感と、本当の病名が明かされた時の「そうだったのか!」というカタルシス。

 この目新しさを武器に「どうだ!」と勝負をかけてきた局だが、結果は?

 もちろん、成功かどうかで言えば成功だ。実際に、人気ドラマとなった。ただそれはきれいな成功とは言えず、ある程度浜辺美波の人気とかわいさに助けられての支持となってしまっているのは明らかだ。



 筆者は、気が向けば(ここ最近はなぜか毎日。義務化してないのに!)このような記事を書いている。今は書かないが、小説など物語も書いていた時期があった。

 今も昔も変わらないのであるが、筆者の発信するものは文章であれ動画配信であれすべて『神降かみおろし』である。神降ろしという言葉の意味は、記事の冒頭に紹介している。

 筆者の神降ろしは、自分の意志で「来てくれ!」と呼ぶのではなく、向こうから勝手にやってくる。逆に言うと、向こうからこなければ何もできないのである!

 ある有名ロックシンガーが、インタビューで語っていた。楽曲の創作は「神が降りてくるからできる」と。で、そういう状態の時に一気に無心に書き上げる、と。

 だから彼の心配事は「いつか、この降りてくる感じがなくなりはしないか」である。降りてきてもらわなきゃ曲が書けないし、それは自分の意志じゃどうにもならないから、その日が来たら自分は作曲家としては終わりだ、と考える。

 私も、一時期書くということをやめ、数年間を動画配信のみの活動とした。口はまだ取り憑かれてしゃべってくれるからだ。文章は降りてこないので、あきらめた。

 だがここ最近、また書き始めたのも、降りてくるようになったからだ。



 降りてくる、というのに一つの特徴がある。これは私だけなのか、他もそうなのかは分からないが「全体がぶわっと降りてくる」のである。細部も、である。

 骨組みのような「案」というか「アイデア」が降りて来て、これいい! と思ったあとに、「じゃあここはどうしよう? 登場人物は、話の展開は……」と考えて足していく、というのは違う。それは、神降ろしではない。

 もちろん人間の脳のメモリーには限りがあるので、一度に同時に考えられはしない。だから順番に話は組み立ててはいくが、もうその先が悩まなくとも準備されている感じ。今この記事を書いていても、先に続ける言葉が鉄道のレールのように敷かれているのをありありと感じる。私がこの記事を書き終えるまでは、一度も「う~ん、この先どう書こう……」なんて止まることはないと確信している。



 そういう感じで、神降ろしでモノを書くような私から見ると、どうもドクター・ホワイトという作品は「それ誤診です!」が格好良さそうだ、医者の診断を覆すドラマってうけるかも? という軸がまずあって、そこから色々と展開し、肉付けしていった結果としてああいうお話になったんじゃないかと推察する。

 優れた物語は、細部にも神が宿る。もちろん、まったくツッコミどころがなく矛盾もない、と言いたいわけではなくその欠点すらも魅力となることが多い。市場や利益を意識し、作戦を立てて組み上げたお話は、大まかに大勢のニーズはつかめても、視聴者ひとりひとりの心にくさびを打ち込むような、その人の世界観を左右するほどの大仕事をすることはほぼない。

 もちろん、あるアイデアから全体を組み上げる作り方を悪いと言っているわけではない。この世の創作物の半分以上は、そうしてできたものであろうから。その中にも優れたものがあることは事実である。

 だが、傾向として「神降ろしによる物のほうが圧倒的魅力がある」というのはあると思う。ただ、それは諸刃の剣で、良くも悪くも他者の強い反応を引き出す。つまり、人気になるのとは反対のベクトル「嫌われ、過剰に批判される」ということもあるということ。

 イエス・キリストなどがその例である。生前には評価されなかったゴッホの絵や、石川啄木の歌集などもそうだろう。



 神降ろしを使わない創作物が大きな成功を収めるには、徹底的に振り切るということである。細部の細部まで、徹底的に考え抜き検証し、理科の実験か数学の証明問題のように分析し尽くし、実に細かいとこまでこだわった作品を作り上げることである。ほとんどを霊的なものに任せたものに対抗し得るのは、極めた人の知恵である。

 ドクター・ホワイトもそこを振り切って、医療場面にしろキャラ設定や人物や組織相関図なども、大勢の人に違和感ややっつけ仕事的な印象を与えないほどに作りこんでもらえていたら、もうちょっとこのドラマの評価も違ったのではないか。

 浜辺美波かわいい、という言葉で高評価をもらっても、それはドラマ制作側としては敗北であると受け止め、精進してほしい。

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