自分で自分をゆるすのは難易度が高い

 筆者は以前、次のような話をしたことがあった。



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 ある人から質問を受けた。ある他人にひどいことをしてしまったのだが、謝って和解する前にその人物が亡くなってしまい、この世にはもういない。

 もう、生きているその人からゆるしをもらえる機会を失ってしまった今、私の罪悪感というか、心の重荷はこのままゆるされることなく背負いつづけていくしかない、ということでしょうか。生きている間にはもう、どうしようもないと考えていいでしょうか?



 この質問者さんの意識の前提にあるのは「相手からゆるされる以外の方法はない」と思っていること。

 そうではない。人生の一番の主人公はあなただ。そのあなたが、人生ゲームプレイ中に「どんな手段をもってしても解決できない」ことがあるなんて、そんなのゲームじゃない。いつどこからでも、やりようがあるからこそゲームは楽しいのだし、本当ににっちもさっちもいかなくなるのはゲームオーバーの時(死)だけである。


※注:自殺はそれに含まれない。宇宙の恣意による宿命寿命ではなく、エゴによる視野の狭い判断によってなされたもので、本当に「ほかにやりようがなかった」のかはかなりあやしい。その人物が勝手に「他にどうしようもない」と判断したのであって、落ち着いた第三者ならやりようを指摘してあげられたかもしれない。



 あまり多用するべき方法ではないが、手はある。

 それは、自分で自分をゆることである。

 自分が他人に犯した罪は、他人からゆるされないと他にゆるされる手段はない、というのは決めつけである。あなたの人生において全権をもつあなたこそが、あなた自身にゆるしを発行すればいい。



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 この話は、簡単に済ませていい話ではなかった。

 かなり注釈というか、フォローを入れないと大きく誤解されるきわどい内容であった。案の定、視聴者から疑問が上がった。



『自分で自分をゆるせばいい、とテラさんはおっしゃいましたが、それってちょっと納得しずらいです。許してくれる相手がこの世にいなかったら自分で自分をゆるせばいいなんて、ちょっとズルくないですか?』



 そう言いたい気持ちは、分からなくもない。私がちょっと言葉足らずだったか、あるいは言ったけどこの人が聞き漏らしたか。

 それはどっちかもう分からないので、あらためてここから「自分で自分をゆるす」という言葉を表面的にとらえて拒否反応がでる人への「補足説明」を試みたい。



●自分で自分をゆるすということは、簡単そうだから飛びつくものではない。

 むしろ最終手段であって、他でどうにもならない時にだけやっと使うべきものである。むしろこちらの手段のほうが苦労の多い、大変な道である。



 多くある誤解は、自分で自分をゆるすということが「他人からゆるしてもらうよりも簡単」だという完全に誤ったイメージを持たれている点である。だからこそズルいという言葉が出てくる。極端な話、相手が死ぬまで待って「じゃあ今から自分で自分をゆるそうかな!」なんて笑いながらやる人がでてくるかもしれない。

 まさかとは思うが、そんな幼稚な揚げ足取りをするようなレベルの人がここの読者ではないと信じたい。そんなことが成立するわけはないだろう?

 自分で自分をゆるせるに至るプロセスは、血のにじむいばらの道である。普通はその道を行くことを躊躇するだろう程の難関である。

 真面目で誠実な人であればあるほどに、困難である。じゃあなぜ、そんなタイヘンな道を筆者はすすめるのか?



●せっかく生きているのに(人生ゲーム続行しているのに)これはもうどうしようもない、なんてことがあるってもったいない!

 そりゃ大変は大変だけど、道はあるんだ。あるんだから、幸せになるためにあきらめずにトライしてみらどうかな? そういう思いでメッセージしたのだ。決してこうしたら楽だよなどと勧めたのではない。



 FF14(ファイナルファンタジー14)というネットゲームがある。

 MMORPGという種類のゲームで、多人数が一つの世界に同時に参加し、協力し合ってゲームを進めていくものである。

 このゲームでは、他人とパーティ(チーム)を組んで討伐モンスターの住むダンジョンに挑戦でき、それをクリアすると莫大な経験値がもらえ、ゲーム展開がかなり有利になる。

 ただこのゲーム、知っておかないといけない罠やボスの特殊攻撃など「予習しておくべき要素」が多すぎて、何も考えずに参加すると自キャラが死にまくって、迷惑をかけた他メンバーから嫌われたりすることがある。

 それで傷ついてゲームを離れる人も少なくないので、最近ではその辺も配慮して「他人と組まなくても、ソロ(一人プレー)でもダンジョンクリアできる」ような仕様になってきている。

 ただし、クリア自体はできても、他人と組んで普通にやってもらえる経験値よりは、はるかに少ない経験値に甘んじないといけない。そうしないと不公平感がでるというか、ゲームバランスに支障が出るからだろう。

 それと同じことだ。他者にゆるされるのは一番いいが、それができない状況であえて自分で自分をゆるす(ゲームで言うソロプレイ)では、他者にゆるされる場合の数倍から数万倍も、苦労を積み重ねなければ同じにはならない。



 自分で自分をゆるす道、とは具体的にこうだと示すことはできない。それは公式化できるようなものでもなく、法則化や一般化ができるものでもない。その人によってまったく違い、千差万別である。

 それでもただ一つ言えるのは、内容は違えど『困難な道』であるということ。今困難だとは言ったが、不可能だとは言っていない。

 せっかく生き続けるなら、あきらめずにやってほしい。そうしてでも、十字架を背負って生きるあなたに幸せになってほしいし、全部は無理でもできるだけ重荷を下ろしてほしい——。

 そんな願いから言った言葉なので、決して『ゆるしを乞える相手がもういんかったら、自分で自分をゆるせばいいさ~』という軽い調子の話ではないのだ。

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