それぞれの中の小さな正義は困りもの

 最近注目されるニュースで、ロシア侵攻にからみ苦境にあるウクライナへ平和への祈りを込めた「千羽鶴」を送ることに関して、一部の口の立つ芸能人が「まったくためになっていない。むしろ迷惑」「頭悪い」というようなことを言ったのが始まり。

 確かに、一理はある。あるが、その言い方にはトゲがあり、今現在千羽鶴を送った就労支援施設や障がい者施設などが、心無い抗議電話を受け続けているという結果を聞けば罪深いような気もしてくる。そういうことが起きることも見越して、その有名人は批判を口にしたのだろうか?



 スピリチュアルのみならず自己啓発においても、一人ひとりが、あなたこそが「人生の主人公」であると言う。そのことに自覚的であれと。それは裏を返せば自分が心から同意はできないがそうしないと便利に(快適に)生きていけないという時に、一時的な利益のために「自分を殺す」選択をし続けていると、心がマヒしていつしか一番大事なものを失ってしまいますよ、というメッセージでもある。筆者も、本書内で人間一人一人が「宇宙の主人公であり宇宙の王」という表現で、その価値が唯一無二の最高なものであることを述べている。

 ただ、それは薬と同じで「適切な使用量・使用法を誤ると逆に体を悪くする」。過ぎた自己肯定、私はできるという万能感は時として、その宇宙の王であるその人が好きなものはこの宇宙で正しい価値をもち、嫌いなものはどこかが絶対に間違っていていつかは滅びる、という裏信念を強化してしまう。

 スピリチュアル、時に引き寄せなどは「思考(意識)が現実化する」ということを言う。意識で強くフォーカスすることが現実に反映されていく、というイメージだ。これはつまり——



●自分の望むとおりになる。すなわち私は神!



 あまりにも引き寄せのトレーニングをやりすぎると、裏メッセージとしての「あなたはこの宇宙に起きる現象を変えられるほどに正しい立場」という裏ホンネを強化する結果となる。

 千羽鶴の件も、先日吉野家の役員が不適切発言をしたら関係のない吉野家のバイト店員に心無い言葉をかけるという事態にしても、まるで「自分の考えの基準こそがこの宇宙の法律であるべき」と言わんばかりだ。



 筆者の個人的な話になるが、キライな芸能人が数人いる。

 筆頭に上がるのが、木村拓哉とそのファミリー。キムタク本人がきらいなわけではないんだが、連日のように持ち上げ記事がネットに踊り、二人の娘も七光りで連日ニュース記事になる。母の工藤静香も、やれケーキを焼いただのこういう服を着て似合っただの、ファンでもなければ吐き気がしそうな記事がゴリ押しのようにアップされる。なぜこれほどまでにこの一家を持ち上げる必要があるのか、理解に苦しむ。

 もう一人挙げると、フワちゃん。人間としての彼女に罪はなく、そこはまったく問題ではないんだが、あのルックスである。筆者はあの人をテレビで見るだけで生理的に嫌悪感が生じてしまう。だから彼女が出演する番組は見ないようにしているが、たとえば大好きな番組「モニタリング」などでどうしても映ってしまう場合、家族で見ていたらTV消せ! チャンネル変えろ! などという横暴なことは言わない。そこはなんとか耐える。(笑)



 ご自分が「神にでもなった」と勘違いされている(勘違いではないのだが使いどころを間違ってはいる)方は、それこそ「自分が認めないものはいつか必ず衰退する」くらいの勢いで考えている。特に、自己肯定というものを健全にできず間違ってヘンな部分をとがらせてしまったいびつな「自己肯定」のせいで、自らの正義が絶対だと思っている人種は増えた。

 筆者も、下手をしたらその人種になってもおかしくはなかった。しかし、そこは賢者(悟り人)である。私はちゃんと罠に気付いている。

 私は、自分が気に入らないもの、受け入れられないもののことを次のように考えることにしている。



●これは、むしろ私のために存在している。



 子育てを考えてみてほしい。

 子どもが喜ぶものばかり、絶対に不快に思わないものばかりでその人生を彩ってやれる親はいますか? いないでしょう。

 どうしたって泣く経験や思い通りにいかない経験が生じるでしょう。他人との関係で、いろいろに乗り越えないといけない試練や壁も出てくるでしょう。今「はじめてのおつかい」という番組が日本のみならず海外でも人気なんだとか?

 甘やかされて、何の不快な思いも乗り越えず育った子どもを想像してみなさい! その子が社会に参加してきたら、と思うとぞっとしませんか?

 ゆえに、それを自分に当てはめる。宇宙規模に拡大して考える。

 その嫌いな何かは、心から歓迎はできなくても、自分のために巡り巡ってなっているのだ。情けは人のためならず、みたいに。

 なぜこれが嫌いなんだろう? その事実は、私にどんなメッセージを送っているんだろう? そう発想できたらしめたものである。一番勿体ないのは、ただキライキライばかり言って攻撃に終始することである。そのキライな何かを排除する具体的行動に駆り立てられというアホなことに、貴重な人生の時間を費やすことだ。



 ひろゆきにしても、メンタリストのDaiGoにしても、言っていることそのものがどうこうというより、その発言の副作用で直接悪くない、関係のない人種にまで影響がいくのだということも多分想像できてなかったんだろうと思う。

 あんなに思考が人より優れていると思われるような人でも、所詮は同じ人間。やらかす時はやらかすんだなぁと思った。

 とかく、スピリチュアルで意識が拡大したような人は、自分は素晴らしいという自己肯定感は完璧な反面「その完璧な自分が考える基準は正しい」につながりやすい。しかもそれは自覚的にではなく無自覚的になされる場合が多いのが始末が悪い。

 自分が認めない対象・攻撃する対象は宇宙から消えるべき、という危ない思考に行きつく前に、自らの魂に適切な「処方箋」を下せるように気を付けるべきである。

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