本当の『バカヤロウ』を叫べるか

『うしおととら』という、伝説的なマンガがある。著者は、藤田和日郎。

 内容は単純には「妖怪退治アクション」。ずいぶん前に完結済で、もはや古典の域に入るマンガであるが、今でもその作品がもつ「熱さ」は消えることがない、稀有な作品である。

 動画配信のラインアップを見て、リメイクでアニメ化されていたことを知って鑑賞した。大昔に最初にOVA化された時にはたった10話で制作が終わってしまい、原作で言えば序盤を少し描いただけで終わってしまったので、非常に残念だった記憶がある。

 最後のアニメ化は、駆け足で省略しまくっているとはいえ、一応お話の完結までを全部描いていたため、満足度は高かった。



『さとり』という妖怪の出てくる話がある。

 こいつはなかなかにやっかいな妖怪で、「相手の心を読める。考えていることが瞬時に分かる」妖怪。だから、相手が凶器を持って襲い掛かってきたら——

「下から突き二回、それから右に回り込むつもりだなぁ~」みたいな感じで、相手の動きや意図を全部読んでしまうので、まともに戦ったのでは勝てない。

 ただ、この妖怪には悲しい欠点があった。相手の表面的な考えは読めても、その気持ちや心の中までを読むのは下手だったのだ。。



 さとりは、目の見えない少年・みのると仲が良かった。

 みのるは、さとりを「たまに帰ってきてくれるお父さん」だと思い込んだ。

 さとりは、人間の眼をたくさん集めればみのるの眼を治せるかもしれない、と考えた。(相手の考えが理解できるほどの頭の持ち主にしては、お粗末な方法である)

 だからさとりは、人間を襲い健康な眼球を奪っていたのだ。

 もちろん、いくら動機が良かろうが人を襲うのは見過ごせない。うしおととらのコンビが、このさとりを退治に乗り出す。

 うしおは、ウソがつけずすぐに感情や考えが前面に出てしまう分、苦戦を強いられる。しかし、その弱点は結果良い方に作用した。

 相手があまりにも本心ストレートで裏がない、ということを知ったさとりは、うしおから読んだ思考が本当だと認めざるを得なくなったのである。

「みのるの眼の病気は、人間の眼玉を集めたからって何もならない。手術というものをしないと、治らない」。



 戦闘の紆余曲折は省くが、最後さとりが死んでいくシーン。

「みのるの眼……良くなるかなぁ? で、オレを見て『お父さん』なんて呼んでくれたりするかなぁ?」

 うしおは言う。「当たり前だろ……」

 相手の思考を読むさとりが、その言葉をどう捉えたのか? ウソだとは分かっていたはずだから——

 ただ分かるのは、「お前、優しいんだな」という言葉を残し、さとりは満足して死んでいったということ。その後さとりが死んでから、みのるに「お父さん、どこ行ったの?」と聞かれ、「遠くに言ってしまったよ」と、うしおはふたつ目の「ウソ」を重ねる。

 ウソが大嫌いなうしおが、作品全編を通してついた唯一の珍しい「ウソ」である。



 相手の言っていることが「ウソ」でも、その本質が「思いやり」であれば、相手を癒す。

 ただこれは大変難しい問題で、本気度100%でないと効果がない。テクニックや、作戦的なニュアンス(わざと狙う感じ)が混じると、あなたが独りよがりに「思いやりのある返答だろ?」と思っても、相手にはクソ野郎と思われるかもしれない。

 よく、宗教やスピリチュアルで「内容が真理か間違いか」ということが問題にされることがある。もちろん、それを論じることにまったく意味がないとまでは言わないが——



●そのメッセンジャーなりの思いの世界が本気度マックスで、しかも世界からどのような評価を下されようとも背負って行く覚悟がある内容なら、真実性は二の次でいい。真偽より「思い」のエネルギーのほうが格上であるから。

 例外的に、本当に時として「法則性を捻じ曲げる」ことが起きるから。

 本当かどうかより、人の助けの力となるかどうかが重要。



 うしおは劇中、さとりという「動機はすごく理解できるのに、やり方がゆるせない」敵に対して、「バカヤロウ」と何度も叫びながら戦っている。

 筆者は、このバカヤロウの意味が、ものすごく大事だと考える。

 よく、日常では本当にあきれたヤツに対し、侮蔑の意味を込めて「バカヤロウ」を使う。本当に相手を見下していて、いいところなどちょっとも見出せない相手に、心からこき下ろす。

 しかし、ここでの「バカヤロウ」は、まったく別物である。



●なんで、他のやり方ができなかったのかよ!

 もっと、うまい方法もあったんじゃないのか? それで、他の皆が喜ぶと思うか?

 何で分かってもらえないかな、バカヤロー!



 これが、本当にただ「相手が間違っている」というバカヤローなら、その言葉に力はない。たとえ相手を倒しても、それは「傷付ける」だけで終わる。

 傷付け、相手の息の根を止めることを「勝ち」とする程度の価値観の者には、どうでもいいだろうが……

 すべてがひとつの命でひとつの有機体である、という視点からは逆に「自分自身を傷付けることにもなり、自分にもマイナス」である。

 ただ、安易にこの教えを使うと、ただの因果論(いいことをすればいいことが起き、悪いことをすればそれなりの不幸な報いが来る)に陥りやすいので注意。いいことが起きるからいいことをしよう、とする結果狙いの行動をとる愚も犯しやすい。

 そのレベルだと裏を返せば、いいことがないと何もしないということだ。

 良いことというのは、良いことだからするのではなくただ「そうしたいからする」というのが一番健全である。



 このマンガの「バカヤロー」は、「罪を憎んで人を憎まず」ということわざを一番ストレートな形で表してくれたものだと思う。

 確かに相手はバカなのだが、「本当にバカ」という意味合いか、それとも「お前自身という命の価値も、その行動の理由も同意する。しかし、そのやり方だけはダメだ」と指摘するために言うなら、これこそがその「バカ」を救う。

 命への眼差し、というのはこういうものを手本とすべきなのであろう。 

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